ムギさんときりん

 その日の夜、喫茶店に入ると、店の奥になにやら見慣れないスペースができていた。マスターに尋ねると、チーターのモカ用の「特設ステージ」らしい。今度は何を始めるつもりなんだろうと話していると、キューピッドがトランペット片手に店に入ってきた。


「こんばんはキューピッド。トランペットなんて持って珍しいね」

「こんばんは。実はモカさんに無理やりバンドに入れられまして。『天使なんだからトランペットかハープでしょ?』と言われて、吹く事になってしまったのです」

「え? バンド? バンドって、あの演奏するバンドのこと?」

「はい。そのバンドを始めるそうです。天使の仕事なんだから手伝えと」


 ムギさんと僕が顔を見合わせていると、モカが颯爽と店に入ってきた。頭に大きな黒いリボンを着け、チェーンの巻かれたプリーツスカートに底の厚いブーツを履き、手には真っ白なギターと、なぜかを持っていた。

「こんばんは。実はバンドを始めたのよ。内気な私とはもうサヨナラ! あとで1曲演奏するから期待していてね。あ、マスター!! 私は牛乳をジョッキで!!」

 モカはそう言うと、ステージの方へと向かい、ドラムやらアンプやらスピーカーやらの準備を始め出した。手にしていたからは、モカとお揃いのリボンを着けた、タコのさんがにょろりと現れ、ドラムスティックを4本持って、タムタムとシンバルの位置の調整をし、さらには残りの手で大きなウッドベースのチューニングをしている。


「えと……モカが内気……? バンド? いったい、どういうことなの?」

 ムギさんと僕は、キューピッドに詰め寄った。

「ええ……、実はモカさんは今、とあるに恋をしているそうなんです。なんでも、バオム草原を散歩している時に、向こうからが歩いてきたそうです。そのきりんと自分の体の模様が、たまたまおそろいの〝黄色地にチョコレート色のぶち模様〟だったのを見て、運命を感じたとかなんとか……」

「ええっ!! それはどのきりんでも、というか、きりんじゃなくてもチーターでも豹でも一緒じゃないのさ!!」

「はあ。私もそう言ったんですが、モカさんに言わせると、それはらしいですよ。全然違うそうです」

「そ……そうなのかな」


「そうらしいですよ。それで、その日から、きりんの周りをさりげなく歩いてみたそうなんですが、いかんせんきりんは背が高いじゃないですか。それでモカさんが熱視線を送っても、気づかないどころか、眼すらなかなか合わないそうなんですよ」

「確かに、きりんはちょっと高い所を見てるからね」

「ええ。それでなんとかきりんの位置へ届かせようと、厚底のブーツを履いて背伸びしてるんです。牛乳を飲んで背を伸ばすとかも言ってました。それだけでなく、きりんにアピールするために、歌を歌う事にしたらしいんですよ」

「それでバンドをやることにしたんだ。モカらしいと言えば、モカらしいね」

 僕たち3人がうんうんと納得していると、モカがつかつかとやってきた。


「ほら、そろそろ始めるわよ。あなたもちょっと音出してみて」

 モカが、キューピッドの手を引っ張って、ひきずるようにステージに戻ろうとするのを見て、僕は思わず尋ねてみた。

「ねえ、モカ。本当にきりんでいいの? 肉食系女子のモカと、草食系男子のきりんとでは、いろいろ合わないんじゃないのかい? もっと身近な所で……」

 僕がそこまで言うと、モカは肩をすくめてため息をついた。

「もう、なあ。いい? ムギさんや君は不思議かもしれないけど、。好きってそう言うものでしょ?」

 そしてにっこり笑うと、再びキューピッドを引きずって、ステージへと戻っていった。


「あーあー。マイクチェックマイクチェック。エヘン。えー……、読書中の皆さん!! ちょっとごめんなさいね。私たちの歌を1曲聞いて下さい。タイトルは『きりん』です!!」

 モカが、こはちさんに向かって頷くと、こはちさんがスティックを打ち鳴らしてカウントを始めた。モカが尻尾をふりふりギターをかき鳴らし、こはちさんが、8本の手でドラムとベースをひとりで演奏している。キューピッドはといえば、ほぼ打ち合わせ無しのアドリブなんだろうなあ、という感じのぎこちなさで必死にトランペットを吹きはじめた。そしてモカがマイクに向かって歌いだす。


  黄色いチーター 草原で 黄色いきりんを見つめてた

  サバンナじこみの太陽も はだしで逃げ出す熱視線


  あーあ なんて素敵な チョコレート模様

  もうもう 食べたいくらいに 美味しそうなお方


  その 涼しげな瞳で 何を見つめるの?

  たまに ちらりと 目が合っちゃうと ドキドキ胸が止まらないの!!


  き・き・きりん 背をしゃんと 伸ばし 真っ直ぐ何を見つめるの?

  つぶらな瞳に足元の 可愛い私映るかしらん?

  き・き・きりん 少しだけ 高い場所のあなた もどかしい

  ブーツを履いて背伸びをして 牛乳飲めば届くかしらん?


  でもね 今は側に いるだけで満足? にゃうわう!!


 モカとキューピッドの演奏は、正直言ってぎこちなくて危なっかしかった。だけど、それを導くように、こはちさんが冷静にリズムをキープしているので、そこそこ聞ける。そして意外といっては失礼だけれども、モカの歌声は凄く綺麗だった。店内の皆はモカ達の演奏に大歓声だ。なんだかんだいって、モカはこの店の人気者なのだ。


「どうもありがとう!!」

 モカは、1曲歌い終わると、そのままステージから降りてきて、ムギさんと僕の席の向かいに座り、美味しそうにぐぐっと牛乳を飲み干した。

「ねえねえ、どうだった?」

「モカ、良かったよ。キューピッドもこはちさんもお疲れ様」

「モカ、凄い良かったよ。なんだか今回は上手くいくかもしれないって気にさえなったよ」

「ありがとう!! じゃあ今度さっそくこの歌を、彼の前で歌ってくるわ!! 期待しててね」

 そしてその日は、モカの、「きりんの好きなところリスト」を聞きながら楽しくコーヒーを飲んで店を後にした。



 次の満月の日の夜、ムギさんと僕が、喫茶店でコーヒーを飲んでいると、ギターを抱えて頭の上にこはちさんを乗せたモカと、トランペットをぶら下げたキューピッドが店に入ってきた。

「やあモカ。きりんの件はどうなったの?」

「やあモカ。うまく聞いてもらえたの?」


 モカは、「あー」とか「うー」とか言いながら顔を赤らめてもじもじとしていたのだけれども、キューピッドの手を引いてステージへと上がり、歌いだした。


  恋するチーター バオバブの ステージの上で歌ってた

  愛しいきりんの 目の前で ギターを片手にくるくるりん


  あーあ 今日もお揃いの チョコレート模様

  みてみて 私たちとても 気が合うのかしらん?


  その りりしいお耳は 何を聞いているの?

  私の歌で あなたがゆらゆら リズム取りだすといいな


  き・き・きりん 首を長くして いったい何を待ってるの?

  お探しの物は足元の 可愛い私じゃないかしらん?


  き・き・きりん 少しでも 今のあなたの場所に届けたい

  ブーツを履いて背伸びしても 今の私じゃキツいかしらん?

  でもねいつかあなたに 届くように歌うの にゃうわう


 どうやら結果を歌にして報告しているらしかった。そして歌は間奏に入った。こはちさんが静かにリズムを刻む中、キューピッドのソロパートが始まった。なんだかにも見える渾身のホーンを店内に響かせると、再びモカが歌いだした。


  あーあ 今日もあの人 西を見てるわ

  きっとね そこには素敵な 何かがあるのね


  だって こんなに可愛い 私がいるのにね

  そこに 西から すらりと綺麗な きりんがしゃなりしゃなり


  き・き・きりん 少しだけ せめて あなたの背丈 低ければ

  地平を染める夕日よりも 赤い顔も見えないのにな


  き・き・きりん 目の前で すっと よりそう2つ長い首

  見惚れるくらいに 絵になるの きいろ黒はっきりついたのかな


  でもね今はここで せいいっぱい歌うの にゃうわう

  だから今はここで できる限りの…… にゃうわう!!


 モカとキューピッドは、背中合わせになってギターとトランペットをかき鳴らす。そして演奏を終えると、お店の皆に向かって、高々と右手を掲げてみせた。店内は前回と同じように大歓声に包まれた。モカは、ムギさんと僕の方を見ると、そこそこなどや顔でにっと笑顔を作った。



 その日の帰り道、カリュウ川沿いを歩きながらモカ達の事を話した。

「今回も駄目だったみたいね」

「そうみたいだね」

「でも、モカらしかったね」

「うん。モカらしかったよ」

 ムギさんと僕は、しばらく無言で歩いていたのだけれども、ふと思った事を口に出してみた。


「ねえムギさん、いつか僕も、好きって決めたらさ」

「うん」

「そのときは吠えなきゃまずいかな」

「そうだね。吠えるしかないよね」


 僕は夜空を見上げて、好きと決める人の顔を思い描いてみた。その人は、これまでに会っているかもしれないし、会っていないのかもしれない。どこかにいるその人に向かって、僕は右手をぐっと掲げてみた。足元ではムギさんが、素知らぬ顔で、しっぽをぐっと掲げていた。

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