ムギさんと喫茶店ポスト

 喫茶店に着いたムギさんと僕は、本棚から読みたい本を取りだすと、席を探し始めた。いつもは、カウンターか窓際のボックス席に座るのだけれども、ちょっと違う場所にしてみようと、奥の方に行ってみる事にした。

 すると、店の奥には、どっしりと大きな赤いポストが、と床から生えてでもいるように佇んでいた。

「随分と大きなポストだね。これは何に使うんだろうか」

「やっぱりポストなんだから、手紙を入れるんじゃないのかな。ぼくも長い事ここに通ってきているけど、使った事はないから良くわからないなあ」

 ムギさんは、”自分の興味の無い物には、徹底的に興味が無い”という、猫らしさ全開の説明をしてくれたのだけれども、それではさっぱりわからない。ポストが妙に気になった僕は、カウンターでコーヒーを入れているマスターに尋ねてみる事にした。


「ねえ、マスター。奥の方に置いてある赤いポストは、何に使うの?」

「お? 見つけたか。あれはもちろん、手紙を入れるためのポストさ」

「へえ、でもまたなんで、ブック・カフェにポストなんて置いてあるのさ」

「まあ、使ってみればわかるさ。ポストの隣のサイドボードの一番上の引き出しに、便箋と封筒も用意してあるぞ。好きに使っていいから、手紙を書いてみるといい」


 サイドボードの引き出しを開けてみると、マスターの言ったとおりに、便箋と封筒がしまってあった。書く物を探すと、サイドボードの上のペン立てに、羽ペンとインクが置いてあったので、それを拝借することにした。


「さて、手紙と言っても何を書こうか?」

「そもそも、君は誰に手紙を送るんだい?」

「それもそうだね。じゃあムギさんに送ろう」

「いつも一緒に居るのにかい?」

「別に嫌じゃないでしょ」

「嫌じゃないけど」

 そんなやりとりをして、封筒にうちの住所とムギさんの名前を書こうとしたのだけれども、全然書けなかった。インクが切れてしまったのかと思って、たっぷりと浸してから書いてみても、相変わらずあて名は真っ白のままだ。

 ペンがおかしいのかと思って、便箋の方に書いてみると、これまた何も書けなかった。そこで、今度は、自分の手の甲に線を書いてみると、そこには、はっきりと書くことができた。どうやらペンが悪いというよりは、この封筒と便箋が、何かおかしいといった様子だ。


「あれー? この封筒に便箋、全然書けないよ? どうなっているんだろう。ねえ、マスター! この封筒、何も書けないんだけど」

 カウンターの方を振り返ると、マスターは、頬杖を突いてにやにやしている。どうやら、こうなる事がわかっていて、見ていたようだ。

 マスターは、カウンターから出てくると、僕達のところまでやって来た。そして、便箋を手に取ると、自分でも羽ペンで何かを書き込んで見せた。やっぱり、そこには何も書き込まれない。


「この封筒や便箋は、の? いったいどういう事なのか教えてよ」

「あはは。実は、この封筒に便箋はな、んだ。だから宛名を書こうとしても、書けないようになっているのさ」

「宛名が必要ない? だったら、手紙をどこに届けるかが、わからないんじゃないの?」

「いや。大丈夫さ。このポストに入れれば、きちんと届けてくれるんだ」

「いったいどこに? まさか、マスターの家に届く専用のポストとか?」

「俺の? あはははは、違う違う。まあ、でも、。いいかい? このポストに出した手紙は、なんだ」

「自分のところ?」

「ああ、そうだ。出した手紙は、いつ届くか、そして、どこにいるときに届くかはわからない。でも、確実にいつかは自分に届くのさ。ことによったら、何回も、何十回も届くことだってあるぞ」

「そんなに届くの? それに、手紙には何も書いてないんでしょ? それってちょっと迷惑かも」

 ムギさんの方を見ると、知らん顔をして尻尾を毛づくろいしていた。


「まあ、迷惑な時に届くこともある。でも、凄くありがたい時に届くこともあるぞ。手紙の内容は、ここで読んだ本次第だ。本の内容そのものや、本を読んで感じた事、それから、その時飲んでたコーヒーの匂い、起こった出来事やその時の気持ちまでもが、便箋に沁みついて届くこともあるだろうな」

「手紙の内容は、自動的に書かれるんだ」

「ああ、読書って、そういうものさ。ウチで本を読んだ人は皆、自分でも知らないうちに、未来の自分に手紙を出しているのさ。この封筒に便箋、そして、ポストを使ってな」


 マスターが、ぽんぽんとポストを叩くと、1通の手紙がどこからともなく飛んできて、ポストに吸い込まれていった。

「お、丁度誰かが本を閉じたところのようだな。こりゃいけない。そろそろ便箋と封筒を補充しておかないとな……」

 マスターは、そう言うと、いそいそとカウンターの方へと戻って行った。


 その日の帰り道、ムギさんと僕は、満月を眺めながら手紙の事について話をした。

「ムギさんも僕も、自分に何通も手紙を出していたんだね」

「どうやらそのようだね。全然気が付かなかったよ」

「うん。僕も。ひょっとしたら、まだ届いていないのかな?」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」


「ねえムギさん、そういえばマスターは、手紙には、本を読んだ時の気持ちまで書いてあるって言っていたよね。覚えているかい? こないだ僕たちが喫茶店で、ちょっとした喧嘩をしたときの事を。あの時の手紙には、どんな事が書いてあるんだろうね」

「さあ、そんな事あったかな。あんまり興味ないよ」

 ムギさんは、プイと横を向いて、かけ足で進んで行ってしまった。


 いつかきっと、あの時の手紙も手元に来るんだろう。その手紙には、「未来の僕へ。ムギさんと仲直りしていないようだったら、すぐに仲直りをすること」なんて書いてあるかもしれない。過去の僕よ、心配ないさ。そんな事を考えながら、僕も、かけ足になってムギさんを追った。

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