ムギさんとお化粧

 ムギさんと僕がキッチンを覗くと、いつものようにツヅキが格好で料理を作っていた。真っ白なキッチン・スーツの上下に赤いスカーフ、長い髪をくるんと丸めて濃い茶のキャスケットのような作業帽に包み、作業帽と同じ色のショートエプロン、そしてきりっと決めたメイクでデザートを盛り付けている。


「ねえツヅキ、ツヅキはほとんどカウンター側には出ないのに、どうしていつもそんなにぱりっと決めているの?」

「これ? 実は私はね、凄くいい加減な所があるからね」

「えっ!」

 ムギさんとぼくは驚きすぎて足が止まってしまった。ツヅキはと言えば、何事もなかったかのようにデザートを盛り付け終え、カウンターのマスターへと手渡して戻ってきた。

 やっとショックから立ち直った僕は、新しいオーダーの紙をボードへと貼り付けているツヅキへと尋ねてみる。


「えっと、ツヅキがいいかげんとか嘘でしょ? いつでもしてるじゃない」

「ええ、きっちりしたいから頑張っているのよ。制服をきちんと着るのはね、『私は今から料理をするんですよ』って自分で暗示をかけているの。きっちり料理を作るためにきっちり着替えて、きっちり仕事できるようにきっちりメイクして、『きっちりできる私』になるようにをかけているのよ」

「の……呪いなんだ」

「そう、せめて1日の間は解けないように強力な奴をね。そうじゃないと包丁なんてとても怖くて持てないわ」

 ツヅキはカップを洗いながら、おどけた顔で肩をすくめて口をへの字に曲げて見せた。そして、すぐににこにことした笑顔になると、オーダーを捌きながらこう続けた。


「そうそう、もちろんエプロンや帽子は、ただのなんかじゃかくて、汚れてもいいようにとか、髪の毛が料理に落ちないようにとかの為だけどね。料理の臭いが判らなくなると困るから、香水をつけていないのも同じ理由よ」

「やっぱりきっちりしてるんだね」

「そう言われると、そうなのかもしれないわね。それにね、この恰好なら一目見てキッチン担当だってわかりやすいでしょ。『私はこういう仕事をきっちりやりたいんでよろしく』っていう事をアピールしてるの。この恰好を見て屋根の修理を頼む人はなかなかいないわ」

「それはツヅキに他の仕事を頼むと怒るからじゃ……」

 僕がそう言いかけたところで、ムギさんがを向いたまま僕の足をパチンと叩いた。その様子に気づいたツヅキはくすくすと笑っている。


「ふふふ。とにかくね、この恰好やお化粧をしているのはそういうわけなの。良かったら君用のキッチン・スーツも取り寄せるけど? なんならメイクもしてみる?」

「いやいや、僕はいいよ」

 あわてて手を振って否定する。

 ツヅキはそんな僕を見て、にっこりと笑ってパスタをゆで始めた。すると、足元のムギさんが、茶化す様に笑いながら言った。


「君もキッチン・スーツを着ればいいのに」

「うーん、確かに料理に興味はあるけど、やっぱり僕にはまだ荷が重いよ」

「まったく君って奴は」

 ムギさんは呆れたようにくるりと尻尾を振る。

「でもね、ムギさん。いつか僕が何かを着るとしたら」

「うん」

「似合っているかどうか、ちゃんと教えてね」

「最初はどんな服だって似合わないものさ」

「そんなものかなあ」

「そんなものさ」


 僕は、赤いスカーフにこげ茶のハーフエプロンをしたムギさんを想像してみた。黒い毛並みに赤が映え、ゆったりとしたエプロン姿が思いのほか似合っていた。なんだかちょっと悔しいのでムギさんには言わない。

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