ムギさんとキッチン

 その日、ムギさんと僕はマスターにキッチンの手伝いを申し出た。いつもで乗せてもらっているのがなんだか申し訳なかったのだ。

 それに料理にはちょっとした自信がある。お母さんが忙しいときには、僕が家族の分のご飯を作っているし、味もなかなか好評だ。皿洗いだってお手の物だ。

 その旨をマスターに話すと、大笑いしながらカウンターの奥にあるキッチンへと案内してくれた。

「そんな事気にしなくてもいいんだぜ? まあでも手伝ってくれるってのはありがたい。ほら、彼女がうちのキッチン担当のツヅキだ。おう、ツヅキお疲れ様。この2人がキッチンを手伝ってくれるってさ」


 キッチンには、すらりと背の高い女の人がひとり、きっちりとしたコック・スーツにキャスケットを身に付けて、食パンを切り分けていた。

「よろしくね。ツヅキ」

「あら、よろしくね。でもマスター、申し出は嬉しいのですが、乗客の方に手伝っていただくというのはのでは」

 ツヅキは、背筋をぴんと伸ばしたまま首をかしげている。

「まあまあ。ツヅキはきっちりしたいタイプだからそう思う気持ちも分かるよ。料理の素人が手を出すなと言うんだろ?」

「いえ、腕前が理由ではありません。そもそもお客様に手伝っていただくというのは、とても失礼な……」


 マスターは、ツヅキの答えを手を振ってさえぎった。そしてニヤリとなにやら悪戯っぽそうな笑みを浮かべるとこう言った。

「実は、俺もそう思ってさ。どうだろう? ここは彼の腕を確かめるために、俺とをして彼が勝ったら採用というのは」

 そして、すっとカフェエプロンのポケットから、ぴかぴかのペティナイフをひとつ取り出した。

 ツヅキはそれを見ると、肩をすくめて、ふぅ、とため息をついて僕の方に向き直った。


「君、すまないけどマスターと勝負してあげてくれないかな。勝ち負けは気にしなくていいよ。マスターは、昨日あのナイフを買ったばかりで、使いたくてしょうがないだけなのよ」

「うん。きゅうりの輪切りをすればいいんだね」

「ええ。ありがとう。ああなるとマスターは凄くめんどくさいのよ。でも、ああ見えて、輪切りのスピードはなかなか速いわよ。無理に合わせて怪我しないようにね」


 僕はシンクの高さに合わせた台を用意してもらい、包丁を1つ借りた。マスターの方も、背中合わせの位置にある調理台へとまな板を敷き、それをペティナイフでトントトンと楽しげに叩いてウォーミングアップしているようだった。

 ツヅキがサラダ用のキュウリを何本か取り出してくると、マスターが待ちきれないといったように声を上げた。


「よし、準備いいかい? 30秒の間に多く輪切りにできた方が勝ちだ!」

「うん! わかった」

 ツヅキがキッチンタイマーを30秒に合わせ、スタートの合図をする。と、後ろの方から猛烈なスピードでトトトトトト……ときゅうりを切る音が聞こえてきた。僕も慌てて包丁を振る。

 しばらくの間、キッチンはトトトトト……というマスターの音と、トントントントン……という僕の音、それとたまに出る「よっ!」「ほっ!」というマスターの掛け声で一杯になった。


「はい、じゃあそこまでです」

 ツヅキの合図で僕とマスターは手を止め、輪切りにしたきゅうりをボウルへと入れる。それをツヅキとムギさんが、球入れよろしく声を上げて数え始めた。

 まずはマスターの分。結果はというと60個。マスターは自信満々で腕組みをしてにやにやしている。

 そして僕のきゅうりが数えられる。30……40……。マスターは、余裕の笑みでそれを見ていたけれども、50を過ぎたあたりで、という顔になった。そして最終的に80個という結果が出ると、信じられないといったように首を振った。僕の完勝だ。


「いやー、凄いな。まさか負けるとは。でもどうやったんだい? 音を聞く限りは完全に俺の方が早かったのに。ひょっとしてとか?」

「ぼくは手も尻尾も出してないよ」

 ムギさんが尻尾をくるんと振って否定する。

「じゃあどうやったんだい?」

 マスターが顎に手を当てながら不思議そうに考えているので、僕はきゅうりを1本手に取ってまな板に置いてみせた。それを半分の位置で2つに切り、片方をもう一方と揃えて並べる。

「こうやって最初にきゅうりを半分に切って並べたんだよ、このまま2本まとめて切れば、1回切るだけで、2本分まとめて輪切りにできるでしょ」

 僕が2本そろえたきゅうりへの上から、包丁を1回とんと叩くと、2本のきゅうりから、2つの輪切りが転がり出てきた。


「うーむ、そういうわけだったのか。それで切るスピードは遅くても、切っている数は倍になってたってわけか」

「うん。だって、うちでは早くご飯にしないと妹は待ちくたびれちゃうし、ムギさんに至ってはどこかに遊びに出かけちゃうからね」

 マスターは腕を組んでしきりに感心していた。すると、ツヅキがマスターの切ったきゅうりを拾い上げてこう言った。

「しかも見て下さい。マスターのきゅうりは、ところどころ繋がっている上に厚さがバラバラです。それに比べると彼のきゅうりは、きちんと切れてるし厚さも均一ですよ」

「うっ……」

 痛い所を突かれたと言うように苦笑いするマスターに、ムギさんがさらに付け加える。

「マスターは、新しいナイフを使いたかっただけだものね」

 マスターは、たまらず頭を掻いた。

 その足元をムギさんが、はやし立てるように、うろちょろと歩き回っている。僕が笑いながらその様子を見ていると、ツヅキが声をかけてきた。


「ねえ君、私はこういう風に目的のための手順アルゴリズムを工夫をしたり、丁寧に進めるのってとても好きなの。君の事すごく気に入ったわ。キッチンを手伝って貰うのはやっぱりけれど、その代わりに私たちのを作ってくれないかな。君の作る物ならおいしそうだしね」

? ご飯の事だよね。もちろんいいよ。これからよろしくね」


 その日、早速僕は、きゅうりとトマトのサラダに、マスタードチキンサンドのを作った。僕が準備をしている間、マスターは4人分のコーヒーを淹れてくれ、ツヅキは綺麗な色のランチョンマットを4つ用意してくれていた。

 背の高さも体の大きさも違う4人で、繋がったきゅうりのように並んで食べたご飯は、いつもよりもちょっと、美味しい気がした。

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