ムギさんと鏡

 その日、ムギさんと僕は、ツヅキと待ち合わせをしていた。忙しい時間帯になる前にお土産を渡したいので、いつもより少し早い時間に来てほしいとの事だった。それなのにムギさんは、マイペースでのんびりと支度をしていた。

「ムギさん! はやく! ツヅキとの約束の時間に遅れちゃうよ」

「そう急かさないでくれよ。どんな時であろうと、猫が顔を洗わないで出かけるなんて考えられないんだから」

「それはそうだけど。ツヅキは、いろいろきちんとしたいタイプなんだから急いで急いで!」

「きみは普段は、そんなにきちんとしたいタイプじゃないじゃないか」

「その通りだけどいいから! 走ればまだ間に合うよ」


 靴を持って窓から飛び出し、屋根伝いに公園まで一気に走り抜ける。いつもの場所に停車している喫茶店に、ばたばたと駆け込むと、ツヅキは既に席についてぴんと背筋を伸ばしてコーヒーを飲んでいた。

「やあ、お二人ともお疲れ様。時間通りね。はい、これがお土産の綿シャツよ」

 僕は、言いながら、ツヅキから麺シャツの包みを受け取った。

「ありがとうツヅキ。ところでなんで今日は半分だけお化粧しているの? なんだかツヅキらしくないよ?」


 すまし顔のツヅキは、右半分だけきっちりメイクをして、左半分はだった。ひと目で不自然だとわかる、どうにもしていない顔だ。

「ええ、これね。実は、旅行先で気に入ったデザインの鏡を見つけて買い替えたんだけどね、まだしっくり来ていないの」

「それで半分だけなの?」

「ええ。鏡というのは、中にがいて、覗いたらこちらの真似をしてくれるじゃない? でも、新しい彼はとても気分屋なの」

「気分屋なんだ。でも、ツヅキはそういうの嫌いじゃないの?」

「もちろん好きじゃないわ。でも、デザインがすごく気に入って買っちゃったのよね。自分で選んで買ったのに使わないってのは、こう……じゃない?」

「そういうものなのかな」

 ムギさんと僕は、半分だけ頷いた。


「それで、彼はかなり飽きっぽいから、しばらく鏡に向かっていると、だんだんとのよね。猫背になったり、あくびをしたり。そうしたら鏡のルールがあるから、こっちもあわてて猫背になったりあくびをしなくちゃいけないじゃない? そうこうしているうちに、本格的に飽きたのか右の方に帰っちゃうのよね。で、これ」

 ツヅキは自分の顔を指さすと、片目をつむって見せた。

「それは災難だったね」

「ええ。もう一度鏡の前に座りなおしててメイクしようとも思ったけど、約束の時間に遅れちゃいそうだったのよね。それはそれで、ちょっと違うから、このまま来たってわけなのよ」

「そうだったんだ。それはそれでツヅキらしいね」


 その後、僕たちはツヅキに旅行の写真を見せてもらいながら、いろいろな土産話を楽しんだ。すっかり機嫌のよくなったツヅキだけれども、去り際に一言「鏡を買う時は気を付けてね」と、付け加えるのは忘れなかった。


 その日の帰り道、月に照らされたカリュウ川沿いを歩きながら、ムギさんと僕は、ツヅキの事について話をした。

「今頃新しいは、ツヅキにお説教されているのかな」

「されているだろうね」

「ツヅキは粘り強いからなあ」

「爆発しない代わりに、長いからね」

「うん。きっと来週には、ばっちりフルメイクで来るよね」

 ムギさんと僕は、少しだけ新しい彼に同情しながら、夜道をてくてくと歩いて帰った。

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