ムギさんとキューピッド
いつもの満月が綺麗な夜。ムギさんと僕が喫茶店に入ると、チーターのモカが助けを求めるように声をかけてきた。
「ああ、ムギさんたち! いいところに来てくれたわ。ちょっとこっちに来て相談に乗ってもらえないかしら」
モカは見知らぬキューピッドと一緒にコーヒーを飲んでいた。そこで、僕達もモカのテーブルに座ると、コーヒーを注文した。
「こんばんは。はじめましてキューピッドさん。モカと何か相談しているの?」
「はじめましてお二人さん。そうなんです。モカさんの恋の相談にのっているところなんです」
「そうなの。私、今すごく好きな人がいてね。もう一目ぼれで、付き合ったら凄くお似合いのカップルになるはずよ。それでね、どうやって想いを伝えるかを悩みに悩んでいたら、キューピッドさんが現れてくれたの」
「はい。お仕事ですから」
キューピッドは胸をそらして得意げにほほ笑んだ。
「なるほど。それで、僕たちにどんな相談なの?」
「実はね、キューピッドさんが言うには、両想いになるにはこの『赤い糸の弓矢』を使って、彼のハートを射抜けばOKなんだって。でも、私ちょっと勇気が出なくて……。二人に後押ししてもらいたいの」
テーブルの上には、ハート型のやじりをした矢と、数字の「3」のような形をした弓が置かれていた。
「はい。この弓矢は、運命の赤い糸を結びつけるための、天使アイテムなんです。ほら、矢のおしりの矢羽の所をよく見て下さい。赤い糸が巻いてあるでしょう? それを小指の先に結び付けたら矢を引き絞って意中の人に向かって放つんです。みごと矢がぷすりとさされば、運命の赤い糸リンクの出来上がり。二人は晴れて恋人になる、というわけなのです」
キューピッドは羽をぱたぱたとはためかせながら、自慢げに弓矢を手に取って説明をしている。
「どうです。良い弓矢でしょう? 運命の赤い糸が結び付けられている時代というのはもう古い。自分から結び付けに行くのが今風なんです。モカさんみたいな肉食系の女子にもぴったりですよ! ほらほら、弓の
力説するキューピッドの横で、モカはうーんうーんと悩んでいる。
「でも私、弓矢なんて使ったことないからちゃんと当てられるかどうか……。それに彼ってチーターだから足がすごく速いし……」
「その点も大丈夫です。この弓矢は思いの強さによって、『一番好きな人』を自動追尾するシステムになっているんです。モカさんくらいに思いが強ければ、反対方向に向かって弓を射っても、Uターンしてぷすりですよ」
「そうなんだ……。ね、どうしようムギさんたち。やってみたいんだけれども、どうにも私、あと一歩が踏み出せなくて。走り出したら割と自信あるんだけれど……」
モカはもじもじしながらちびちびとコーヒーを飲んでいる。
ムギさんと僕は顔を見合わせて頷いた。
「モカ、やってみればいいと思うよ。僕も応援するよ」
「モカ、やってご覧。ぼく達だけで足りないのならば満月のせいにしてもいいんだよ」
「満月のせいに?」
「うん。そうさ。モカが普段より勇気が出せるのは、満月が力を貸してくれたからって事にして弓を射ればいいのさ。満月にひっぱられているんだから、思い切ったことをしたって仕方ないよ」
「そっか。満月なら仕方ないものね」
モカはそう呟くと、顔を上げて僕達を見た。
「ありがとう。私やってみるわ。今度の満月は3日後ね。3日後に報告に来るから二人とも楽しみにしていてね」
モカとキューピッドはやる気に満ちた顔で店を出て行った。
「うまくいくといいね」
「うん。もし、うまくいかなくてもモカの事だから、またすぐに他の彼氏候補を見つけるよ」
「そう言われると、そうかもねえ」
僕とムギさんは、今までのモカの彼氏候補の名前でしりとりをしながらコーヒーを飲んだ。
――そして3日後
僕達がマスターお手製の水出しコーヒーを飲んでいると、胸に手を当てたモカとキューピッドがテーブルにやってきて、とっすんと並んで座った。
「やあやあモカ! 結果はどうだったの?」
モカは少し照れくさそうにはにかむと、右手を胸に当てたまま左手を軽く上げ、小指をかかげて見せる。その小指には、きらきらとひかる赤い糸が巻き付いており、足元へと延びていた。
「思い切って撃ってみたわ。それで……」
そこまで言うとモカは恥ずかしそうにもじもじとするばかりだった。そんなモカを見てキューピッドが助け舟を出す。
「えと、僕が言いましょうか?」
「うん。お願い」
キューピッドは背をしゃんと伸ばして咳ばらいをひとつすると、真面目くさった顔で説明を始めた。
「あー、コホン。その日のモカさんはですね、愛しの彼氏のそばまで完璧な忍び足で近づいて、素晴らしいフォームで矢を放ったんです。お二人にも見せたかったくらい完璧な姿勢でしたよ」
「うんうん。それで?」
「モカさんの手元から放たれた矢は、彼氏めがけてぐんぐん加速して、見事命中……」
「おおー」
「……するかと思ったのですが」
「え? 外れたの?」
僕とムギさんは身を乗り出してモカに尋ねると、モカは照れ臭そうに首を振る。キューピッドの方を見ると、さらにひとつ咳払いをして続けた。
「……のですが、加速していた矢は完璧に美しい弧を描いてUターンして、そのままモカさんの胸にクリーンヒットしたんです」
僕達がモカに視線を戻すと、モカは恥ずかしそうに右手をどけた。
胸にはピカピカ光る矢がモカのハートを射抜いていた。
「いやー、えーと、あはははは。こういうことみたい」
「あー、うん。そっか。そういうことなんだ」
「えへへへへ、私にはまだ早かったのかな」
「あははははは」
その後、僕達4人は取りとめない話を、いつもよりちょっと早口で、とりとめのないおしゃべりした。
そして4人とも、いつもより少し早く店を出た。
「モカらしかったね」
「モカらしかったよ」
ムギさんと僕は、うんうん頷いて妙な納得をしていた。
しばらくカリュウ川沿いを散歩しながら、ふと思いついたことを口に出してみる。
「ねえ、ムギさん。もし僕があの弓矢を射たら、いったい誰に当たると思う? ひょっとしたらムギさんかもね。僕はムギさんが大好きだから。知ってた?」
「うん。それは知っているよ。だけど、あの矢が当たる相手とは違うのじゃないのかな」
「たぶんそうだよね」
「うん」
僕は夜空を見上げて、満月に向けて弓を射る真似をした。その足元では、ムギさんが小さな声で「うっ」と呻いていた。
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