第三章 運命とは


 1


 西野 平次は死んだ。

 不慮の事故で死んだのだ。その現実があまりにも突然すぎて受け止めることができない。これは運命か否か。

 祐樹は嘆いた。叫んだところで平次が帰ってくるわけではない。自分の無力さに嘆いたのだ。まるで、翼を貫かれた小鳥が必死に飛ぼうと、もがくように。失った翼は帰ってこない。失ったものは帰ってこない。その現実を受け入れられずにもがく小鳥の姿は祐樹とほぼ重なって見えた。なぜあのとき彼を助けることができなかったのだろうか。心を許す友が死んだ。結果、彼の中には絶望しか残らなかった。


 平次が死んでからおよそ二日が経った。放課後の学校、彼は教室の椅子で一人首を垂れ下げていた。この日、姫花は体調不良で休んだ。姫花の心配をしながらも平次のいないこの世界は生きている意味はあるのか。と祐樹はずっと考えていた。二日が経っても平次の笑顔が忘れられない。

「大丈夫? 祐樹君」

 祐樹に話しかけてきたのは美波だった。彼女もわずか数日でせっかくできた彼氏が死んだせいか、目に光が反射していない。ようは、目が死んでいるのだ。

「こういう時にも黙っているのね」

 美波は歯をくいしばる。グッと身体中から溢れ出す青い感情を抑えようとするが、彼女には抑えることができなかった。

「あたしだって! 今のこの状況を受け入れられないよ……! 受け入れたくないよ! だけど……これが運命なんだから……」

 美波の目からは雫がぽとりぽとりと落ちて行く。その雫は祐樹の手に落ちる。彼はその温もりを感じ取る。その雫からは本当に好きだった平次への想いと今のこの状況に絶望している彼女の想いが込められているように感じた。

 毎日、ニュースを見ていて交通事故でよく人が亡くなっているのを見るが、ここまで悲しいことはなかった。

「……運命が、変わればいいのにな」

 祐樹はボソッと呟いた。

「え? どういう意味……?」

 祐樹自身この言葉の意味は分からなかった。なぜ今の言葉を言ったのか。だが、平次が帰ってきてほしいと思って言ったのだろうと彼は勝手に自分を納得させた。

「……なんでもない」


 2


“西野 平次は二度と帰ってこない”。この言葉が平次が死んでからずっと祐樹の頭で回転するようになり、彼自身苦しみ始めていた。少しずつ精神の煌きは削られ、平次のことを思い出すだけで祐樹はカッターを持っては手首に当てた。だが、そんなことをしても何か変わるわけではない。帰ってこないものは帰ってこないのだ。納得しない自分に苛立ちを感じ始めていた。


 祐樹は休んでいた姫花の家に行く。彼女の家は意外とお金持ちで少し広い敷地の中に教室一個ぶんの庭園、そして三階建ての家屋。まるでシンデレラお嬢様みたいな暮らしぶりをしているのだろう。穴の中でこっそりと暮らす祐樹には到底及ばない。

 おじゃまします、と家の中に入り長い長い螺旋階段を登って行くと、ドアが一つ。そこに姫花がいるという。

 おそるおそるドアを開けてみると、彼女はベッドの上に座っていた。

「祐樹?」

 祐樹は黙る。何も言えないのだ。彼女を前にしたら、身体中が強張り、胸がしめつけられそうになる。でも、会いたかったのは事実である。

「わかったわよ。お見舞いに来てくれたのね。いらっしゃい」

「平次……どうだ?」

 片言ではあるものの、彼は意思を伝えることができた。実際に嬉しい気持ちだった。姫花と共にいるだけで幸せな気分になっていく。

「平次……ね……私も急に起こったことだから正直何もわかっていないのよ。一体何があったのか……私も知りたいわ」

 彼女は続けて語りだし、

「平次と祐樹とはもう十年の付き合いだわ。幼稚園の頃から一緒で、私の身体が弱いからって休んだ日は二人して私の家に押しかけて来て……ね? 覚えてる?」

 姫花の目からは滝のように涙が溢れて来ていた。彼女の頭の中は幸せという文字を墨がついた筆でグシャリグシャリと塗りつぶされたような感覚に陥っていた。幼馴染を一人亡くし、とてもショックを受けていたようだった。

「平次は二度と帰ってこないのはわかってるのにね……。なんでだろう。私まだ平次に未練があるみたい」

 姫花は歯をくいしばる。平次への想いを全て噛み砕き、その想いがそして頭の頂点へと達する。

「なんで!! なんで今なのよ!!!なんで平次なの!?? また三人で笑いたいのに…!……」

 瞬間、彼女の意識は急激に遠のいていく。

「……姫花? 姫花!!」

 確かに祐樹の声は聞こえたが、そんなことなど無視して彼女の意識は深い闇の底へと堕ちていった。


 3


 祐樹は待合室で姫花の両親が医師と話し終わるのを待った。あくまで家族のことなので自分は介入してはいけない、そう思ったからだ。

 しばらく待つと姫花の両親が待合室にやってきた。その顔はこの世の終わりを見たかのような顔、しかも目はすでに虚ろになっている。彼らの様子からして祐樹は何を伝えられたのかは察しがついた。

「姫花……。余命二週間だと言われました……」父親が両拳をこれほどまでにない硬さになるまで握りしめた。

「元々身体が弱いから……その原因が免疫低下だと診断を受けて……もう、手遅れだと……言われたわ……」母親は涙ぐんで告げる。

「嘘……ですよね?」

 こうなることはわかっていた。両親と顔を見て覚悟を決めるべきだったのだ。だが、姫花と平次は大切な友達だ。彼らがいないと自分には生きる意味がない。祐樹はそう思った。絶望という名の地獄。神様が仕組んだ罠だと祐樹は本気で考えた。早くお前も自殺しろ、とっとと死ね。お前に生きる資格などない。などといった非情な天罰が自分だけに当たっている。神様はなんて非情なヤツなのだと思った。

「姫花ね、もう身体がもたないことがわかってて、とても仲のいい祐樹くんを土曜日にデートに誘うんだ。ととても張り切っていました。最期くらいは、動ける今くらいは好きな人の側に居たかったようなんです。でも、最近祐樹くんが自分と顔も話もしてくれないからととても心配していたようです。」母親は告ぐ。

 祐樹は後悔した。今までなぜ姫花と話さなかったのだろう。なぜ彼女の話を聞いてやれなかったのだろう。もしかしたら少しは長く倒れずに済んだのかもしれない。あるいは、ずっと倒れずにこんな診断を受けなかったかもしれない。ああ、自分は浅はかだった。なぜあの時平次のことを聞いてしまったのだろう。祐樹は考えれば考えるほど自分が憎たらしくなってきていた。

「だけど姫花は……」

 祐樹の勘が言っている。

「姫花は……」

 これ以上進んではいけない、引き下がれ。母親の言葉を聞くんじゃない。と。だが、祐樹は姫花の真実は全て聞きたかった。

「姫花は……本気で祐樹くんのことが好きだったようです」

「……!」

 瞬間、祐樹は喉が干上がったような感覚に陥った。そこから鼻に痛み、目からは雫がポトポトと落ちていく。こんな真実を聞くべきではなかった。自分の勘に従っていればよかったのだ。何も知らなかったら自分は少なくともこんなに死にたいと思った時も、二人を追いかけようとするつもりもなかったのだから。何も知らずに悠々と過ごしていればよかったのだ。今までに姫花にしたことは二度と許されないかもしれない。だが、願いが叶うならもう一度だけ、平次と姫花に会いたい、そう願ったのだ。


 4


 平次は死んだ。姫花も倒れた。

 もう自分には生きる価値がない。誰かのために生きようとする自分がとても馬鹿馬鹿しい。

 いっそ死んでしまおうか。そう考えた。

 そして横断歩道前。赤い進んではいけないという信号を祐樹は無視して目を瞑り車道へと進んでいった。生きる意味を失った祐樹にはもう何も残されていない。あえて交通量の多い国道を選択し、中途半端な場所で死のうと考えた。

 当然、クラクションの轟音が鳴り響く。時間がとても遅く感じる。このまま楽に、車に轢かれて死ぬ……


 はずだった。


 いつまでたっても、車はやってこない。恐る恐る目を開けて見ると、周りの時間は全て止まっていた。車もクラクションが押されたまま。だが、音は鳴り響かない。その運転手は強張った顔で急ブレーキをかけている。周りの街行く人もみんなそのままバランスを崩して倒れることもなく、そのまま停止している。腕時計を見ると秒針すら動いていない。

 ——どうなってるんだ?!

「あー、お前かー? 不幸なことだらけだからって死のうとしてるヤツってのはよー」

 急に現れた謎の少年。黒いパーカーを着ている小学生くらいの男の子だ。見た目も中性的な顔をし、甲高い声をしており、女の子だと間違えられそうな風貌だ。

「そう不思議そうな顔をするなよ〜。時間を止めたのは俺だ。今アンタにここで死なれると困るんでね。時間を止めさせていただいたよ。だが、物体に触ればその衝撃は自分にかかる。つまりはアレだ。あの今は止まっているが、元は走ってきていた車に触ったらお前は吹っ飛ぶということだ。」

「……何者だ」

 今この置かれている状況を全て理解するにはまずこの少年の正体を暴く、それが祐樹の今やるべきことなのだろう。

「俺の名前はロレイド。まあ、この世界では『死神』と呼ばれている存在なのかな」

 死神が直々に会いに来ることはとても不可解ではあったものの、時間がこうして止まっているのを見て疑わずにはいれらない祐樹。結局のところ、このロレイドとかいう死神は何のために現れたのだろう。祐樹はそこが気になってしょうがなかった。

 だが、その答えはすぐに帰ってきた。

「俺はお前を助けにきたんだよ。このせいで閻魔の大王様とか天界にいる神様の評判が悪くなったら困るからね。しかも死亡手帳にもお前の名前は書いていない。だから死なれたらあんたは天国にもいけないし地獄にもいけないわけ」

 ロレイドの持っている黒いノート、死亡手帳。いつ誰がどこでどういう理由で死ぬのかというのがリストのようなものに書き記されたメモ的なものである。ここに死亡する者は自動的に名前があがっていくのだが、そこには藤村 祐樹という名前は記されていないようだ。

「西野 平次は……死ぬべくして死んだのか……?」

 祐樹は自分が無口だということを忘れて真実を知りたくなった。ロレイドは分厚い死亡手帳のページをペラペラとめくる。一日に死亡する人の数が計り知れないのだ。

「おい、お前のいうその……西野 平次だっけ?いつ死んだ?」

「先週の土曜日……」

 引き続き、ロレイドは手帳のページをペラペラめくる。一つ一つの名前を見ているのか眼光は鋭かった。

「あった。先週の土曜日、四月二十七日、土曜日、午後四時四十六分。死因、轢死。」ロレイドは軽く言った後、ん? と少し眉をひそめた。

「これは……?」

 何を思ったのか、彼は死亡手帳を目に近づけた。その手帳をよく凝視した後、彼は喜んでいるのか悲しんでいるのかわからない顔で祐樹を見た。

「西野 平次……だっけ? 彼は運命によって死んだわけではない。俺らの世界、天界の誰かが殺した」

 言っている意味がよくわからなかった。『誰かが殺した』という言葉を連続して、頭の中で木霊する。

「この死亡手帳はな、名前、死因、死亡地獄を明確に書くとその通りに死ぬんだ。そしてその死亡は、普通、冥界にいる閻魔がハンコを押さないと死ねないはずなんだけど……冥界の上層部の仕業か……」

 よくわからない単語を並べているロレイドの前で、少し考える。いや、感じるといったほうが妥当だ。

 確かに、ノートには『名前 西野 平次、死亡時刻……』とずっと書き綴られている。轢死というのも事実だ。ハンコも閻魔のハンコが押されている。この時点でその人の死亡は確定する。だが、名前の筆跡は決して閻魔の大王のものではない。とてもきれいな字で丸っこい字や、

「ロレイド……その死亡って取り消せないのか……?」

「あーあー、無理だ無理だ。閻魔のハンコが押されたらもう取り返しがつかねえ。閻魔に頼んでも面会も許してもらえんだろうな」

 祐樹は今の状況を安心したのか、少し口角を上げて走っていた車の方へと行く。

 ——でも、死神に会えてよかったな。人生で一番の思い出かな。

「や、やめろ! 逝くんじゃない! お前の居場所はなくなるぞ!」

 それでも祐樹は止まらない。結局は無駄だったのだ。ならば死んで平次を殺した犯人を探したほうがまだマシだ。

「もう、わかったよ!わかりましたよ!時間、戻せばいいんでしょ?」

 祐樹の足はピタリと止まる。

「時間を……戻す?」

「俺ら死神にはな、時間を止めるという能力の他に時間を戻すという特権があるんだよ。といっても、死ぬべきではなかった者を蘇らすための最終手段なんだがな。止まった時間の中では発動できないんだよ。死亡したのががおよそ一週間前ならば戻せる」

「戻してくれ」

 希望は見えてきた。平次を救えるかもしれない。祐樹の心は跳ね上がるように歓喜していた。

「おい、戻す前に一ついいか?」ロレイドは少し眉をひそめて祐樹に呼びかける。

「お前は神様がいると信じているか?」

 祐樹は少し間を置いた後に、少し笑顔でロレイドに言う。

「最初は信じてなかったけど、今なら少し信じられる気がするよ」

 そういった瞬間、まるでプールに真っ逆さまに急降下する感覚を覚え、意識は暗闇の中に堕ちていった。

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Courage 〜願いの境界線〜 カガリ ナガマサ @Kagari_Nagamasa

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