03
ケイにバトンを渡した後は、安子さんが戻ってくる直前まではすることがない。一服しようかと自動販売機を探し始めたところで、近所の奥さんたちの井戸端会議を見つけてしまったのは、情報に敏感な探偵の習性なのかもしれなかった。
「柊さん宅の旦那さん、また出世したそうよ? 今度は営業部長だってね」
「あら、そうなの? うちの旦那はまだまだ課長補佐止まりなのに、すごいわね〜」
「山田さんの奥さんは最近エステにハマっているみたいで、この前怒鳴り声がすごかったわ〜」
他人のプライベートを話の糧にするおばちゃんの力は、意外に侮れない。ただ彼女たちを取り込むためには、警戒心を解くだけの馴れ合いと情報提供が必要だ。これは今回のような短期間では、実現させるのは難しい。
「そういえば上野さんだけどね、」
なので、干渉せずに向こうから話題を出してきたのは、僥倖としかいえなかった。
「あそこの奥さん、元々婚約者がいたらしいわよ、今の旦那さんとは違う人」
「へぇー、なんで別れたの?」
「よくは知らないけど、今の旦那さんのアタックが強かったらしいわよ〜」
婚約者がいたが、別れて依頼者と結婚した、と。婚約までするとなれば、関係は深かったに違いない。だとしたら依頼者との夫婦関係が冷えてしまった時、浮気に走る第一候補になると言っても過言ではない。無論相手の家庭事情もあるだろう、しかし調べてみる価値はある。
さて、どう調べるか。俺は奥さんたちから離れ、スマートフォンを手に取った。電話をかける先は、上野弘信氏。この浮気調査の依頼者である。婚約者から安子さんを奪ったのならば、その婚約者は誰か、当然知っているはずだと考えたからだ。
「もしもし、上野さんですか。こちら、押水探偵事務所所長の押水と申します」
『はい、何でしょうか』
「実は現在、浮気調査を進めているところなんですが、少し気になることを聞きまして、調査の参考にお尋ねしたいと思いまして」
『……なるほど』
なんだか、焦りのようなものが電話口から感じられる。
「今の奥様、安子さんには元々婚約者がいたそうですね。その婚約者の名前など、ご存知でないでしょうか」
十秒ほど無言が続いた後、返答があった。
『いえ、私は、何も』
何やら知っているような雰囲気だが、依頼者であるゆえ、話したくないことを話させる権利はこちら側にはない。
「時間を取らせてしまい申し訳ありません、それでは調査の方を進めさせていただきます」
電話を切ると、そのまま次の通話先へ。
「もしもし、押水です」
『押水くんか、何かね?』
「調査してほしいことが、ありまして」
『例の依頼者かね?』
「はい、調べてほしいのは──」
用件を伝えると、「所長」は快諾してくれる。
『それくらいなら、こちらも対応できる。もちろん、料金は取るがな』
「当然です、そこまでお世話になるわけにはいきません」
お礼を言って再び電話を切ると、ケイからのメールが入っていた。
『
エキでオトコと待ち合わせ
現れたオトコ、依頼者に似ている
』
もしかして、という予感がしたのは自分が「裏目探偵」だったからかもしれない。
裏目探偵 愛知川香良洲/えちから @echigawakarasu
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