ギャンブリ・LA

楠々 蛙

地下酒場での一幕

 退廃の空気漂う、地下に蹲るうらぶれた酒場。


 果たしてここが、曲がりなりにも合衆国で一、二を争うカジノ都市──ラスベガスの一端に籍を置いていると言って、どれだけの人間が信じるのだろうか。ラスベガスのメイン──ストリップ・ストリートならともかく、ダウンタウン場末の酒場ともなれば、実体はこんなものだ。


 エチル臭と紫煙が入り混じった、不健全極まる空気。きぃきぃと軋みながら回る天井のシーリングファンが空気を撹拌するも、そもそも室内は既に悪質な空気で満ちている。壁に設置された三つの換気扇も、その内二つがナメクジ以下の速度で回転しているのを見る限り、効果は期待できそうになかった。

 肺と肝臓が健康な人間なら、入店するなり引き返しそうな悪環境。それ故、今この店内に居るのは、既に救いようもなくニコチンとアルコール漬けになった人間達のみである。


 その数は五人。

 一人は当然、バーテン。カウンターの奥で、グラスを拭く初老の男である。


 そして、残る四人。彼らは、店内の隅に置かれた丸テーブルの四方の席に腰掛けていた。各々の席の前、天板の上に乗せられているのは、それぞれ違う銘柄の煙草が入った紙箱。それぞれ違う酒が注がれたグラス。そして、二枚のトランプが表を伏せた状態で、各々の前に置かれている。


「ギャンブル必勝の秘訣、おたくらは知ってるかい?」

 シリル──シリル=スタンフィールドは、己以外の三人に向けて、そう問うた。

 瞳の色は、ライトブラウン。くすんだ色をしたブロンドの上には、中折れ帽。室内で帽子を被るのはマナーに反しているものの、今更それを咎める者はこの店内に居なかった。カードの山に伸ばした左腕、捲れ上がったジャケットの袖から覗く手首には、何故か女物の腕時計が巻かれている。

 彼の前に置かれた煙草の紙箱の銘柄は、ラッキーストライク。山の一番上のカードの端を摘まみ上げた左手とは対の手、右手に握るグラスの中で揺蕩うのは、ハバナクラブの七年モノだ。


 シリルは一口、濃い褐色のダーク・ラムを呷るや、一番上のカードを山の隣へ、伏せた状態のまま置く。


 それとは別に天板の中央へ置かれているのは、表が上になったトランプが四枚。

 彼ら四人がプレイしているのは、フロップ・ポーカーだ。


 プレイヤーに配られた都合二枚のポケットカードと、最初に三枚、そしてベッドラウンドを終える毎に一枚ずつ足し、最終的に五枚になる全プレイヤー共通のコミュニティカードを使って役を作る、テキサス・ホールデムと呼ばれるポーカーゲームである。


「こんな場末の、カジノとは名ばかりのポーカー台で確実に勝ちを拾いたけりゃ、どうすれば良いかって聞いてんのさ」

 シリルはグラスを置いて、今度は右の手で山の上にあるカードの端をめくり上げた。傷などの印をつけてある可能性を考慮して、コミュニティカードを場に置く際は、上から二番目のカードを使うのが、フロップポーカーの作法である。


 彼の前にもポケットカードが置かれている事からも察せられるように、シリルもまたプレイヤーの一人なのだが、この古ぼけたポーカー台に専属のディーラーなど付いているわけもなく、彼がその役を兼ねているというわけだ。


「どうした? こっちは答えを待ってんだぜ?」

 返答を寄越さない三人の男達。シリルはカードを場に置こうとする手を止め、彼らを見渡す。


「……運」

 シリルの左方に座す男。禿頭の寡黙そうな黒人が、億劫そうに呟いた。煙草はアメリカンスピリット、グラスの中身はワイルドターキーである。


「知恵か?」

 そう答えたのは、シリルの対面に座るメキシカン。如何にも屈強そうな大男。天板に置かれているのは、ニューポートの紙箱に、熟成一年──アネホのテキーラが注がれたグラスだ。


「……イカサマだロ?」

 口許に皮肉気な笑みを貼り付けながら言ったのは、シリルの右方の席に着くチャイニーズである。彼の前には中南海の紙箱と、老酒で満たしたグラスが置かれていた。客入りの悪い割に、妙に品揃えの良い店だ。

 三者三様の答え。それを聞いたシリルは、大仰な仕草でかぶりを振った。


「ノゥ、ノゥ、ノゥだ。まるっきりの的外れ。ちゃぁんと、頭回してんのかい?」

 しかしその語調は、何処か愉し気である。


 彼らの返答は間違いであると指摘しながら、シリルは最後のコミュニティカードを場に置いた。

 都合五枚のカード。その組み合わせは、ハートのQに、ダイヤのQ、スペードのJに、ダイヤの9と8。


 シリルは出揃ったカードを見遣り、ふぅんと声を漏らした。

 彼は紙箱を手に取ると、指で上蓋を叩き、飛び出した一本の煙草を咥える。そして「なぁるほどねぇ」と呟きながら、懐に右手を差し入れた。


 抜き出した右手の掌中に握られているのは、日本製のライター、『デューク』シリーズ初期タイプの、ワイルドブラスモデル。

 箱型のオイルタンクに、サスペンション式のフリントロック。クラシックな風合いを出す為、敢えて磨き加工処理を省いた真鍮製モデルのオイルライターである。


 サスペンションを押し込むと、連動したフリントドラムが回転して火花が散り、小さな火柱が上がる。

 特殊な機構で、最小限な力でも高い着火精度を発揮する事こそが、このライターの売りだ。見た目ばかりでなく、きっちりと実も取る。エンタテイメントを忘れない機能美。そういう心意気が気に入って、シリルはこのライターを愛用している。


 咥え煙草の先端へ火を点すと、サスペンションから指を離し、火の消えたライターを懐に仕舞う。


 肺をラッキーストライク独特の悪辣な苦味が利いた煙で満たし、天井のシーリングファンに向けて紫煙を吐いた。苦情を訴えるように、心なしかファンの軋みが大きくなる。


 そうやって充分より些か以上に勿体付けてから、シリルは灰皿の縁を煙草で二度叩いて灰を落とし、「取り敢えずチェック」チェックを宣言。


 それを聞いた黒人が舌打ちを漏らし、人差し指で天板を二度ノック。彼もまた、チェック。

「レイズだ」メキシカンが威勢良く宣言して、ポッドにベンジャミン=フランクリンの肖像画を三枚置いた。この酒場は、チップを置いておらず、賭けとなればそのまま現金を使う決まりになっていた。


 ポッドの総額は、今のレイズを含めて二千三百ドル。場末の酒場の隅に置かれたポーカー台としては、相当ホットな状況と言えるだろう。


 シリルはフランクリン二十三人分のドル札を見遣ると、天井に向けて輪っか状の煙を吐いた。

 そろそろ終盤か。台に着いた誰もが、それを感じている。だからか、チャイニーズもまた威勢よく新たにフランクリンを五人ポッドに投入した。


「どうするヨ、大将」

 不敵な笑みを浮かべ、チャイニーズはシリルを見遣った。対する彼は、中折れ帽の庇の下瞳で以ってチャイニーズの挑発を受け止め、反撃とばかりに彼以上のふてぶてしさを籠めた笑みを浮かべた。


 唇をすぼめ、長く細い煙を、上へと昇って行く輪っかを目掛けて吐き出す。──ブルズアイ。円の中心を穿たれた輪っかが霧散し、靄となって宙に溶ける。それを見遣り、口端を曲げたシリルは、煙草を咥え直し、再び右手を懐に差し入れた。


 やがて右手を抜き出すと、掌に握ったそれを、ポッドへと放り込む。そして彼は、意気揚々と宣言した。

「オールイン」

 ポッドに投げ込まれたのは、二つ折り、ネイビー色の革財布。その膨らみようから言って、ざっとフランクリンを五十人程匿っていると見えた。

 他の三人の目付きが変わる。瞳の奥に剣呑な光が宿る。

 黒人が鼻を鳴らして「……フォルド」勝負を降りる。

「オレも降りる」

 引き続いて、メキシカンもまたフォルド。残るアクションは、チャイニーズを残すのみ。


「その勝負、受けヨウ」

 彼はシリルに倣って、懐から鰐革の長財布を取り出し、ポッドに放る。その厚さは些かシリルの財布に劣るが、それなりの大金が詰まっている事には違いない。


 黒人とメキシカンが、チャイニーズの方へ視線を走らせた。訝しむような眼である。

「なぁニ、ちょいとした運試しだヨ」

 チャイニーズは二人に向けて、含みのある笑みを返す。


「それじゃア、ショゥダウンと行こうカ」

 彼は再び不敵な笑みを口許に貼り付けると、シリルへと向き直って、伏せたポケットカードを開いてみせた。

 カードの並びは、ハートとダイヤのJ。つまり、彼の手役は、Jのトリップス・セット。


「サァ、大将。見せてくれヨ」

 手役を晒したチャイニーズは、シリルを煽る。対するシリルは「ほらよ」とさして気負いもなく、カードをオープンした。

 並びは、スペードとクローバーのQ。つまりは、Qのクアッド・セット。


「♪────」

 チャイニーズが、口笛を吹く。

「大将、アンタ──ツイてないヨ」

 彼はそう嘯きながら、やおら立ち上がった。席を立ったのは、彼ばかりではない。黒人とメキシカンもまた同じく、席を立つ。


 チャイニーズの双眸は、今しがた羽根の一本まで毟り取られたカモのそれではなく、寧ろ貪欲なハイエナのそれに似通っていた。他の二人もまた同様である。


「おたくらも人が悪いねぇ」

 それに気付いていないわけでもないだろう。この場の雰囲気がガラリと変わった事を悟って居ないわけでもないだろうに、シリルは暢気な口調で呟いた。


「とっくに答えは承知してたんだろ?」

「なんの事ダ?」眉を顰めるチャイニーズ。

「さっきのクイズだよ」シリルはあくまでも、悠長な態度を崩さぬまま、切り返す。


「ちゃぁんとわかってんじゃないの。……そうさ、こんな場末のギャンブルじゃ、結局最後に物言うのは──」

 身を乗り出し煙草の先端を灰皿に押し付け、火を揉み消しながら、彼は言った。──口端を歪ませて、


 暴力さ──と。


「お前の与太はもう聞き飽きた」

 懐に差し入れた右手を引き抜く黒人。ジャケットの左前身頃から覗くのは、黒光りする銃身。


 それを見咎めるよりも早く、そもそも初見の時既に、彼の持ち物にグロックが含まれている事は承知していた。ムサイ男が、それも左胸だけに胸パッドを仕込んでいるという事もあるまい。


 承知していたからこそ、シリルは黒人が銃を完全に抜き放つよりも早く、灰皿に積み上げた吸殻を彼に向けてぶち撒けた。抜銃の最中で仰け反る黒人。その隙を突いてシリルは立ち上がり、即座に黒人との距離を詰める。


 黒人は顔面の灰を振り払い、銃把を握り締めた右腕を振り上げる。彼が照準を付ける余裕を取り戻すその前に、シリルは電光石火の左ジャブを鼻面にお見舞いした。

 呻き声を上げて再び仰け反る黒人。しかし彼は、網膜に残った残像を頼りに、照準を付けて銃爪を引いた。

 轟く銃声。閃くマズルフラッシュ。


 しかし、銃口より放たれた弾丸は、標的を捉えられず、延長線上にある内壁を抉るのみに終わる。シリルは既に、黒人の正面に居なかったからだ。彼は、半身を切るようにして半転し、黒人の右手側へと回っていたのである。


 紺色のジャケットが、風を孕んで翻る。


 プレーントゥが刻むステップは、格闘術のそれとは思えぬ程軽やかだった。シリルは、さながらアドリブでダンスでも披露するように、気軽なターンを決めてみせたのだ。弾道から身を躱す為とは、一部始終を目の当たりにしても尚思えない、寧ろ銃口に晒されている事を愉しむかのような、一切の気負いのない足捌きである。


 ターンの終点で、遠心力を乗せた肘鉄を黒人のこめかみに叩き込む。重く鋭い一撃を的確な位置に入れられ、昏倒し倒れる黒人。ターンの勢いで、ブロンドから落ちる中折れ帽子。晒されたブロンドの下で光るライトブラウンの瞳が、残されたメキシカンとチャイニーズの間を行き交う。

 しかしそこにあるのは警戒の色などではなく、愉快に感じている事を隠そうともしない笑み。口端のみならず、彼は寧ろその瞳で以って、笑っていた。


「お次はどっちだ?」

 指先で、ついついと二人を煽りながら、また軽快なステップを踏むシリル。


「ナメやがって!」

 釣られたメキシカンが、剛腕を振り上げシリルへと肉迫した。振り上げた右拳に嵌められているのは、合金製のブラスナックル。筋骨隆々の腕も相俟って、人間一人の頭をかち割るに十分な威力を持っている事は想像に難くない。


 しかし、それはつまり、自分のフィニッシュブロゥは右拳であると公言しているようなものである。

 六歳の頃に献金台から小銭をくすねて礼拝堂を追い出されて以来、ミサの一つも行った憶えのないシリルに、今から右手で殴ると言われて素直に左頬を差し出す趣味はなかった。


 大振りの拳はただただ虚しく空振るう。右手に相手の意識を牽き付けておいて、死角から左フックでも叩き込めば、まだしも当たる公算があっただろうに、メキシカンはただ愚直に右拳を唸らせるのみだ。


 メキシカンの剛腕から、舞い落ちる木の葉のように身を躱すシリル。数度目の拳を紙一重で掻い潜ると、メキシカンの懐に入り、拳の外側から蹴りを放った。傍目には不安定な体勢から、しかし巧みに体幹を保ちながら、太い鼻っ柱へ左足のくるぶしを叩き込んだのである。


 単調なメキシカンを嘲笑うかのような、エキセントリックなキックモーション。堪らず怯むメキシカン。

 足を踏み換えると、立て続けに右脚をしならせ、ワン・ツゥとリズミカルに爪先の連撃を、やはり太い首筋の右側へ入れる。殆ど意識を失い掛け、頽れようとするメキシカンの左こみかめへ、更に仮借容赦ない踵がヒット。


 根こそぎ意識を刈り取られたメキシカンは、蹴りの勢いのままに吹っ飛び、四人がプレイしていたポーカー台を派手に引っ繰り返した。酒が注がれたグラスに灰皿、そしてトランプが飛び散る。


「──さぁて、残りはおたくだけだぜ」

 やおら勿体付けた動作で足を下ろすと、シリルは振り返って、額に一筋冷や汗を伝わせるチャイニーズを見遣った。その瞳に宿る笑みは、しかし──チャイニーズがパンツのポケットから取り出したバタフライナイフを見た途端に、忌々し気に歪む。


「喧嘩に刃物か……、えらくしみったれた真似しやがる。……カンフームービーは見ねぇのか」

「中国人だからっテ、誰もがブルース・リーになれるわけじゃなイサ」

 せめてものハッタリか、口許に笑みを貼り付けながら、チャイニーズは手首のスナップを利かせて、ナイフの刃を展開させる。いや、単なるハッタリにしては、彼のその声には、何処か郷愁とも呼べる何かが含まれているように感じられた。

 じり──と足を擦りながら、間合いを詰めるチャイニーズ。


 ──一瞬。


 伸びるナイフの切先、その速さは、中々どうして眼を見張るものがあった。少なくとも、シリルの憮然とした表情へ、僅かに喜色を灯す程度には。彼の背筋を走る脊髄を、つい先程銃口に晒された時よりも尚冷たい熱が灼く。


 見るべきは、ナイフを突き出す時の速さよりも、寧ろ引き戻す時のそれだ。ライトブラウンの瞳が、頬を擦過する刃先を見送った次の瞬間には、ビデオの早戻しもかくやとばかりに元の位置へと戻り、次手の刺突を放つ。


 一刺、一刺毎に速度は増し、その度にシリルの瞳に宿る笑みも深みを増してゆく。そしてとうとう、笑う瞳の下に紅い筋が一筋走った。

 鋭い冷気を感じたのは一瞬の事、すぐさま微かな灼痛へ取って変わる。

 軽やかな身捌きを、冴え渡ったナイフ捌きで征した。そう見て取ったか。チャイニーズは、ナイフの切先、その向ける先を変更する。背骨に沿って、人体を縦に貫く正中線──その更にド真ん中。


 それまでは、あくまで牽制手としての意味合いが強かった攻め手を改め、決め手に掛かったのである。

 その一突きは、それまでのどの一刺よりも尚迅く、シリルの鳩尾目掛けて繰り出された。そして過たずして、紺色のジャケットの下に覗く白いワイシャツを喰い破る。──かに思われた。


 ──それは、ほんの一間。刹那を過ぎて、ようやく一瞬を満たすかどうかの、短い時間。


 かと言って、その挙措が速かったのかと言えばそんな事もなく、寧ろ、砂時計の一粒に等しいその時間は、酷くゆっくりと流れたように感じられた。


 ナイフの柄を握る拳に、シリルの手が重ねられる。撫でるような、柔らかな手付きだった。にも関わらず、チャイニーズの視界の上下は、巡るましく逆転した。

 ナイフと標的が交錯せんとした、まさにその時、突き出した右腕を基点にして投げ飛ばされたのだと知ったのは、回転の終点で床に後頭を打ち付けて、昏倒する直前の事である。


 その手捌きは、緩やかに流れる小川の水のようでありながら、結果としてチャイニーズの脳天を貫いた衝撃は、激しく水飛沫を上げる滝の如く痛烈で、彼の意識は即座に水面下に没する事となった。


 頬に刻まれた掠り傷に滲む血滴を、右手の親指で掬い取る。指の腹に付いた紅を見て、続いて床に倒れたチャイニーズを見遣ると、シリルは、満足気な笑みをその瞳の奥に覗かせた。

 彼は指先を唇で食んで血の痕を舐め取ると、床に落ちた中折れ帽へと手を伸ばす。しかし、クラウンの上に乗った一枚のトランプに気付くと、不意にその手を止めた。


「……連中に教えてやれよ。まぁ、もう遅いけどな」

 シリルはそれを拾い上げると、仰向けに倒れながら気を失っているチャイニーズの胸元へと放った。


 手に取った帽子をブロンドの上に乗せたシリルは、あの喧噪の中、終始寡黙なままグラスを拭いていた老バーテンの元へと歩み寄った。「電話は?」カウンター越しにそう問い掛けると、彼は静かにカウンターテーブルの一角を指差した。視線でその指が示した先を追うと、目に映ったのは、古めかしい黒電話。受話器は真鍮製で、持ち手の部分にエングレーブが刻まれ、何ともレトロな雰囲気を漂わす代物であった。


 シリルは再び足を動かし、電話の方へ近付くと、受話器を手に取り、頻りにダイヤルを回す。目当ての番号を入力し終えると、彼は受話器を耳に当てる事なく、

「依頼完了だ。おたくの言ってた強盗トリオはここで伸びてる。あとは、煮るなり焼くなり、好きにしな。金はいつもの通り、郵便受けの中だ。──忘れんなよ?」

 ただ勝手に捲し立てると、相手の返事も聞かずに、受話器を置いて通話を切った。そして、老バーテンの方へ視線を送る。


「──そういうわけだ。今から来る連中に、あの三人を渡してやんな」

 そう言うと、シリルは抜け目なく拾って置いたチャイニーズの財布からフランクリンを二枚引き抜くと、カウンターテーブルの上に置いて、出入り口の方へと向かう。

「そんじゃぁな。気が向いたら、また来るぜ」

 そう言い残すや、扉を開いて店を出る。後に残されたのは、閉じた扉の上に吊り下げたドアベルの音のみだった。


 老バーテンは、シリルを見送ると、やはり沈黙を保ったままカウンター裏から抜け出した。その手にあるのは、バケツとモップ。ひとまずは、乱痴気騒ぎの痕を掃除しようと思い立ったのだろう。空気汚染も甚だしい店内ではあるが、テーブルや床板の方は清潔とまでは言い難いものの、一先ず衛生面上問題のない程度には保たれていた。多少は、飲食店としての自覚があるらしい。


 取り敢えず、掃除をする上で最も邪魔なゴミを隅へ追いやろうと、倒れた三人組へ眼を向けた所で、老バーテンはそれに気付いた。チャイニーズの胸元に落ちている、裏返った一枚のトランプに。


 それに手を伸ばしたのは、単なる気紛れに過ぎなかった。ふと、シリルが言い残した言葉が脳裏を掠めたのだ。

 トランプを手に取って、裏面を向いたカードを引っ繰り返す。

 表面を見た老バーテンは、すぐにカードを手放した。彼は、散々勿体付けられた後に、相手から酷くつまらない冗句を聞かされた時に似た、何とも言えない表情を浮かべる。


 ひらりひらりと、舞い落ちるトランプ。表を向けて床上に落ちたそのカードの中央には、スペードのスートが一つだけ描かれていた。

 スパディル――暗示する意味は『死の予兆』。

 老バーテンは、今しがた見たモノをすぐに忘れて、自分の業務へと取り掛かり始めた。

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ギャンブリ・LA 楠々 蛙 @hannpaia

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