35 人工知能が微笑む
❶
合宿2日目は、ターゲットを周防高校に絞り込んで、具体的な戦略を立てる。選手たちは1階の座敷に集まり、筆記用具を手にして真剣な表情で臨む。
座敷のテレビにはパソコンとカメラが接続してあり、スカイプを使って太多とやりとりができるようになっている。太多も福岡レッドドラゴンズの合宿中で、彼のスマートフォンの向こうでは選手たちの声が聞こえたりする。
「周防高校は、自陣ではキックでエリアを稼ぎ、中盤ではキックとランが半分半分で、敵陣に入ってから攻撃を仕掛けてくるというパターンなんだよね。ということは、中盤で攻め込まれなければピンチになることもない」
神村はそう分析する。
「つまり、中盤でのディフェンスが鍵になるっちゅうことか」
三室戸が追随する。
「うーん、でも、もっと情報がほしいなあ。これだけじゃ、ちょっと不安やな」
神村が苦笑いを浮かべる。
「先生、周防高校が中盤で何をしてくるか、確実につかみたいんです。ここにあるビデオは県大会のものだったんで、力の差があって、中盤での攻防が少ないんです。去年の花園の試合で研究しましょうか?」
神村は提案してくる。三谷は太多に問いかける。
「さすがスリーアローズ、ついにそういう観点にたどり着いたか」
画面の中でアップになった太多はいたく感心している。
「トップリーグも情報戦だよ。チームにデータ管理担当者がいて相手のゲームマネジメントを徹底分析したり、中には、練習試合でドローンを飛ばして、上空の映像からディフェンスを作り込んだりするところもあるくらいだ」
すると、後ろの方から発言する選手がいる。浦だ。
「この前、三谷先生がおっしゃっていた、人工知能を使うこととかできないんですか?」
「人工知能?」と三谷は返す。
「はい、今太多さんが言われたような情報の分析を人工知能がしたら、早いんじゃないですかね」
三谷より先に太多が声を上げる。
「さすが浦だ。トレンドの先端をいってるね。トップリーグでも人工知能を採り入れようとしているチームもあるみたいだけど、正直な話、まだ漠然としてるんだ。人工知能がラグビー界に入るのはもう少し先だと言われてる」
「たとえばどんなことができるんだろう?」
三谷は太多に問う。
「俺もはっきりとグリップしてるわけじゃないけど、敵の戦術が今よりもきちんと整理できるらしいね。それから気象データともつながって、試合中の天候や風向きを予測することもできると聞いてる。これは、すでに日本代表チームも使っているらしくて、ゲームマネジメントにとってかなり役に立っているようだ」
「高校ラグビーでも使えるだろうか?」
三谷が熱くなるのには明確な理由がある。もしかして、この点について、選手たちの期待に応えられるかもしれない。
「そりゃ、高校生にも分かるような形で情報提供されればの話だ。でも、そこまでは考えない方がいいかもしれないぞ。オレたちには時間がない」
「ちょっと待ってくれ、一成」
三谷は言う。
「トップリーグでもやってないことをやることに意味があるんだろ? だって、この夏のテーマはパイオニア精神じゃないか!」
❷
「いやあ、それはおもしろそうだねえ。もしお前が本気でやりたいんだったら、喜んで協力させていただきますよお」
「手間と時間がかかるんじゃないのか?」
「うんにゃ。今お前が言った程度のことなら、相手チームの資料と動画を送ってもらってから、そうやな、納期は10日間というとこやね」
「マジか」
「マジなんよ。ウチの研究室で人工知能をやってる大学院生が4人おるから、そいつらにやらせれば簡単なことよお。そういえば、1人ラグビー部上がりの学生がおったような気がするなあ。そもそも俺たちの世界はほぼ24時間営業やから、やれって言われたら、絶対にやりますよお。しかも、お前からのオーダーとあらば、ボランティアで引き受けましょう」
「そりゃ悪いよ」
「全~然。こないだなんか、
山本はそう言った後、ウキャッと笑い声を立てる。
「無理を言うつもりはないんだ」
「ですから無理じゃないですよお。動画を解析してマッピングしちまえばいいだけの話だ。3Dに変換して様々な角度からの画像を見ることもできるし、数値化することもできる。わざわざドローンを飛ばす必要もないってことよ。気になるのは、データが少ないっていうことかな。そこんところはちと手間がかかるかもしれんね。まあでも、今の人工知能は、自分で勝手に学んでくれるから、ある程度きちっとした結果が出るとは思うよ」
「高校生にはどういう形で可視化されるんだろう?」
「どういう形でも。思い浮かぶのは、相手が攻撃をしてくるかを確率順に予測して、それをA・B・Cといった風に記号で出力するんかね。それから、攻撃を止めるためにはどう対応すれいいかを最適化するんかな。具体的に言えば、相手がこういう攻撃を仕掛けてくるから、この選手がこの辺りに注意しなさいよという情報までは与えられると思う。実際にやってみんと分からんところもあるけどね」
「すばらしい」という声が聞こえる。実際に言ったのか、それとも心の中で唱えたのか、判別がつかない。
❸
「それはすげえ話かもしれんぞ。愛知国立大学っていったら、超一流大学だろ?」
「山本を引き抜いた名誉教授は、おととしノーベル物理学賞をもらっている。工学系大学では世界トップレベルだ」
「なんでそんな大学の教授と仲が良いんだよ」
「あいつは大学の同級生で、体育会の応援団長だったんだ。学ランを着て下駄を履いて、大学選手権の時は秩父宮の応援席の最前列でめちゃくちゃ目立ってたよ。特に俺たちはいろいろと気が合ってね、2年生の時のシーズンオフには、2人で房総半島をサイクリングしたこともあるんだ。あのときは、ひどい暴風雨でね、何度も引き返そうと思ったけど、あいつは最後まで動じなかったね。結局俺もあいつに引っ張られて、1週間かけてやり切ったよ。今じゃ良い思い出だ」
理工学部だった山本は大学を卒業するのに6年かかり、その後さらに7年かけて大学院の博士まで進んだ。卒業後、1度企業に入ったが、上司と喧嘩してすぐに解雇された。
それからインドへの放浪の旅で英語をマスターし、アメリカやハンガリーの企業で働いた末、島根大学の准教授となった。
島根では地域のニーズに応えるべく泥まみれになりながら研究を重ね、今や行政や企業と連携し、ハイテクにより地方創生の実績を上げている。教え子も次々とベンチャーを立ち上げ、グローバルに活躍するまでになっているようだ。
研究を応用して実社会に貢献するという山本の実績が、ノーベル賞受賞者の目にとまり、去年から愛知国立大学の教授に移籍した。
太多は噛みしめるように言う。
「どの企業も産学連携したいんだ。でも、有力なコネクションがない。それでしかたなく、金を払って企業に業務委託するんだけど、どうしても大学の研究の方が早いんだ。人工知能の知見においても、まだ世に出ていないレベルのものを持っているはずだ」
「じゃあ、スリーアローズと愛知国立大学のコラボが、福岡レッドドラゴンズにも応用されるかもしれないな」
太多はしばらく間を置いた後、「そうなれば、ぜひ、お願いしたいね」と静かに力を込める。
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