34 遙かなる想い

 8月16日朝、スリーアローズのロゴが入った青いエナメルバッグを提げた選手たちが、向津具公会堂に集結する。

「いいかい、今日は大事な強化合宿だ。でも、ラグビーボールは使わない」

 3年生をはじめとする選手たちは静かにうなずく。日本語の語彙が増えてきたトコも、遅ればせながら反応する。髪を後ろに結んだ蒔田あゆみはトコの隣についている。宿泊はしないが、専属の通訳としての参加だ。


 まずは公会堂の掃除から始まる。

 昔の網元の家を改装しただけあってとんでもなく広く、ふすまを開放すると50人収容の畳の間が1階と2階にそれぞれできあがる。

 選手たちはほうきで畳を掃き、掃除機をかける。窓を開放し、座布団や毛布を干す。トイレ掃除も入念に行う。古い建物は瞬く間に輝きを取り戻す。以前ここを使っていた人の魂まで蘇ってくるかのようだ。 

 次に、1階の畳の間に集まり、班決めをする。30秒ミーティングをし、まず5人のリーダーを決める。神村、三室戸、浦の3年生3名と、白石と松川の2年生2名が選出され、神村が他の選手を手際よく割り振っていく。トコは浦の班に入る。班が決まるまでに3分とかからない。 

 それから長机を出し、「スリーアローズ・テスト」の準備に取りかかる。ラグビーファイルに綴じ込んだ資料を見ながら、テスト勉強をする。班ごとに学び合いが始まり、ちょっとしたアクティブ・ラーニングが成立する。

 テストが終わった後はビデオで相手の分析をする。東萩高校のゲームを1試合見た後、周防高校のゲームを2試合見る。

 選手たちはもはやゲームにおける目の付け所を心得ている。相手がどのエリアで何をしてくるか、攻撃のバリエーション、ディフェンスシステムやキックを蹴ってくる場面、セットプレーからの動きなど、自分たちで一時停止しながら細部までチェックする。


 持参の弁当を食べた後、再び班ごとの協議が始まる。夕食のカレーライスのコンセプトを練っているのだ。

「チームトリップをラグビー以外のテーマで体験させるんだ。今回はカレーライス作りでそれをやるんだけど、ラグビーは上手いが料理は下手な選手がいたりする。そういう状況を作ってやることでグラウンドでは見られない選手の一面が出たりして、よりチームワークが深まって、アイデアが出やすくなるんだ。これと似た活動はトップリーグのチームでもやってるよ」

 太多の言うとおり、買い出しから戻ってきた選手たちは和気あいあいと協働しながら調理に入る。

 結局全ての班のカレーライスが完成したのは夕方を過ぎてからだった。


 1階の座敷では父母やOBが集まっている。

 エプロン姿の選手たちがそれぞれの皿を運んでくると、微妙な拍手が起こる。その中にはトコもいる。バドワイザーの三角巾をした彼ははりに何度も頭をぶつけ、そのたびに建物全体に激震が走る。

 選手たちは1班から順に、自分たちの考案したカレーのコンセプトをプレゼンし、その後、試食評価してもらう。


 神村たち1班が作ったのはバナナカレーだ。言うまでもなくバナナがたっぷりと入ったあやしげなカレーで、バナナの存在感も大きいが、けっこういけるという驚きの評価を得た。

 三室戸たち2班が作ったのは体幹カレーだ。一見ただのカレーだが、真ん中にまん丸のハンバーグが埋め込まれている。視覚的に体幹を表現したらしい。味は平凡だった。

 浦たち3班が作ったのはシンキングカレーだ。中に何が入っているのかを考えてもらうというコンセプトだ。シーチキンやトマト、白身魚やパクチー、それから缶詰のパイナップルも入っているらしい。不思議な味がするのは言うまでもないが、異なる具材を煮込み過ぎたために原形をとどめておらず、結局何が何だか分からなかった。

 白石たち4班が作ったのはずらすカレーだ。むしろシンキングカレーよりも何が入っているのか期待が高かったが、答えは牛すじだった。じっくり煮込んでトロトロになった牛すじがたっぷり入っていて、口の中でずれる、というよりは、溶ける。地元の和牛の肉を仕入れたらしく、味わいは抜群だった。

 松川たち5班が作ったのはエビカレーだ。文字通り、中にエビが入っているのだが、桜エビやむきエビなど様々な大きさのエビがふんだんに投入されていて、仕上げは大きなエビフライが載せられている。だしもしっかり聞いてきて、コクのあるカレーに仕上がっていた。


 審査員の投票で順位が決められ、優勝は4班のずらすカレー、アイデア賞はバナナカレー、最下位はシンキングカレーだった。

 その後全員で試食した後、最下位の班による罰ゲームが行われた。彼らは前に出て、三谷が段ボールで作っておいたサイコロを振り、出てきた目に書いてあるテーマの話をした。

 リーダーの浦が振った目には「これまで支えてくれた方への感謝」と書いてある。

「僕が感謝しているのは、両親です。僕は生まれたときには体重が小さかったようで、身体も弱かったですが、今ではラグビーができるまでに成長しました。これも、両親が食事を始め、しっかりと育ててくれたおかげです。僕の両親は、必ず試合に来てくれます。前の日仕事が遅くなっても、必ず来てくれます。そして、帰ってからも僕のプレーを褒めてくれます。いつしか僕は、両親に良いプレーを見せたいと思うようになりました。11月には東萩高校と周防高校に勝って、必ず花園に行きます。それが両親への恩返しになると思っています」

 会場は拍手が起こる。浦の父は感慨深そうな表情を浮かべ、母は涙を浮かべている。


 最後はトコが前に出る。隣の蒔田あゆみがバドワイザーの三角巾を取らせる。まるで介護士のようだ。

 トコが出した目には「家族へ一言」とある。トコは手にした三角巾で額の汗を拭きながら、蒔田の方ばかり気にしている。

「ボクハ9ニンノキョウダイデス」

 その瞬間、会場は静まりかえる。

「イチバンウエノアニハ、トンガデラグビーヤッテイタ。シカシ、ボクダケニホンニクルコトガデキマシタ。アニモ、ホントハニホンニキタカッタノデスネ。キョウダイハミンナスキデス。イチバンアニガスキデスネ。イチバンヤサシクテ、イチバンアソンデクレマス。ソシテ、オトウサントオカアサンモスキデスネ。ボクヲウンデクレマシタネ。トンガニカエリタクナリマスネ。デモ、スリーアローズノミナサン、スゴクヤサシイデスネ。マキタサン、ヤサシイデスネ。ムカツクニキテヨカッタデスネ。ハナゾノ、イキタイデスネ。アニトオトウサントオカアサン、ヨロコビタイデスネ」

 トコは顔を蒔田の方に向けたまま頭を下げる。静まりかえっていた会場からは再び拍手が起こる。トコは顔を赤らめながら、もう一度頭を下げる。蒔田あゆみも一緒に礼をする。まるでしっかり者の姉のようにも見える。

「がんばれよ」と声を上げたのは宇田島だった。息子の自慢をするように、OBと話をしている。

 この場をセッティングするだけで、精一杯だった三谷は、朦朧とした頭の中で、夢を見ていた。花園ラグビー場のスタジアムでここにいる人たちがすべてが立ち上がって大きな拍手をしている光景だ。大漁旗が揺れ、地元の祭りのように盛り上がっている。

 もちろん、その中には奈緒美もいる。


 選手たちが寝静まった後、緊張に手を震わせながら奈緒美に電話をしてみる。

 しかし、どれだけ待っても「通話中」の表示にはならない。メールの返信もない。彼女が長門に来てから10日経つが、あれ以降、なぜかぱったりと音信が途絶えている。

 今日の出来事を彼女に報告できればどれほど心が安まるだろうと思う。自分は奈緒美に褒めてもらうためにラグビーをしてきたのだと、今になって強烈に思う。

 いったい彼女は今頃何を考え、何をしているのだろう? 

 想像するだけで、息ができないほどの不安が心の内側から押し寄せ、吐き気すらもたらす。 

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