27 成果の実証
❶
春の県大会の初戦は下関高校に快勝した。およそ2年ぶりとなる15人制の公式戦だったが、選手たちは冬場に取り組んだ体幹トレーニングの成果を十分に発揮した。
この試合では4人の1年生が出た一方で、トコは風邪をこじらしてしまい休養させた。いかにもタフに見える男だが、彼は彼で心労があるのだ。
2回戦の対戦相手は東萩高校だ。
鮮やかなブルーのジャージを着た相手選手を見るだけで、去年の花園予選で惨敗を喫した忌まわしい記憶が蘇る。
だが、向高の選手たちは落ち着いている。試合前も相手を意識する言葉は出ない。神村はチームメイトに向けて、これまでやってきたことを1つ1つ言葉にする。今日のテーマは『パーソナルスキルの発揮』だ。鍛えまくった体幹を使ったラン、基礎から徹底的に繰り返したパス。全てキーワード化されている。
試合の序盤は東萩高校がジリジリと攻めてくる。彼らは、向高に対してすっかり自信を持ってプレーしている。
試合開始10分、東萩高校ボールのスクラムからBKSのサインプレーで大きくゲイン(前進)を許してしまう。神村が何とか追いつくが相手サポートにパスが渡り、一気にゴール前に迫られる。
実戦慣れしていないために、所々に穴が空いてしまい、試合巧者の東萩高校はそこをうまく突いてくる。向高ディフェンスはゴール前で反則を繰り返してしまい、そのままなすすべなく先制トライを奪われる。トライ後のキックは外れて0対5となる。
「大丈夫だ! 今日の目標を思いだそう」
三谷は両手でメガホンを作って声を張り上げる。そこに背番号3を付けた三室戸が反応する。
「みんな落ち着こう、
ラグビーの試合においては、監督が細かい戦術を大声で選手に伝えるのはNGだ。東京教育大学では、相手チームにばれないように暗号を使って指示を出していた。
だが、今の向高なら、わざわざ暗号を使う必要もない。「拇指球とコアを意識してずらそう」という言葉を聞いたところで、試合中の相手は何のことだか分かるまい。
すると、その三室戸がさっそく力強いランで、相手のタックルを軽々とずらしていく。太多の理論を実践すれば、大げさなステップを踏まずして突破することができる。自分の一番強い体幹を相手の弱いところに向けているからだ。
3人がかりで止められた三室戸は体勢が崩れる前に2年生の白石に丁寧なパスを放る。十分スピードに乗ってボールを受けた白石は、その勢いでさらにずらして抜けていく。
向高は4人のサポーターがいるのに対し、相手は2人だけだ。白石は練習どおりに、敵と味方の両方を視野に入れながら、最高のタイミングで、最高のパスを放る。
最後はFWからBKSに転向させた2年生の
これは本当に勝てるかもしれないと思う。
「もっと立ってプレーしよう」
2点リードのハーフタイムで、神村は円陣の真ん中で指示を出す。
「1年生は仕方ないとして、みんな倒れすぎやろ。体幹は絶対に俺たちの方が強いんやから、そこに力を入れようや」
三室戸も吠える。
すると普段は控えめな浦が言う。
「もっとサポートにつこう。パスを回そう。熱くなりすぎて激突するのはやめようや」
三谷は復帰したばかりのトコに目を遣る。
「どうだい、出られるか?」
蒔田あゆみの通訳を介したトコは、「デラレルデス」と応える。
「オッケー。じゃあ、ラスト10分になったら声をかけるから、準備しておいてくれ」
トコはやや緊張した面持ちで、「ハイ」と返事をし、小さなマスクを外す。
後半は風下ということで劣勢に立たされる。東萩高校はキックを使った攻撃に切り替えてくる。相手の監督は金剛力士像のような形相で立ち上がって声を出している。
「キックを蹴れ!」
作戦自体は悪くないが、こっちまでまる聞こえだ。選手たちも監督に怒られまいと、指示通りにキックを蹴ってくる。向高のBKSは当然下がってキックに備える。しかし、ターゲットにされた1年生が予期せぬノックオン(ボールを前に落とすこと)をしてしまい、相手ボールのスクラムになる。
後半開始5分、スクラムからFWに押し込まれ、あっさりと2本目のトライを奪われる。ゴールは不成功で7対10。逆転されてしまう。
「オッケー。これからだ!」
三谷は手を叩いて鼓舞する。
その時、背後でざわめきが起こる。トコがウインドブレーカーを脱いだのだ。規格外のナイスバディのお披露目に観客席からも声が上がる。トコは、顔の周りを飛ぶハエに気づかない牛のように、のっそりとアップを始める。
ピッチ上では、向高のペースでゲームが進んでいる。ずらすラグビーを実行しながら何度もゴール前まで迫るが、絶対的ポイントゲッターの浦が徹底マークされていることもあって、トライにはならない。
東萩高校も必死だ。これまで負けたことのない相手に負けるわけにはいかない。何より、あの金剛力士像の監督にずっと睨み付けられている。
ラスト10分、1年生の選手に替わっていよいよトコがピッチに入った時、会場は異様なムードに包まれる。朱色のジャージはまるでソーセージを包む皮のようにパンパンになり、高級ボンレスハムのような黒い二の腕が陽光に輝いている。
これで流れが変わったのか、背番号13を付けた浦の芸術的ランで一気にゲイン(前進)する。その後、大きく敵陣に入った所のスクラムからBKSに展開し、再び浦にパスが渡ると、持ち前のスピードでぐんぐん相手を抜き、トライの直前で4人がかりのディフェンスに捕まる。その時、レフリーの長いホイッスルが鳴る。相手のオフサイドがあったようだ。
点差は3点。ペナルティゴールが決まれば10対10の同点になるが、選手たちは逆転トライを狙って迷いなく攻める。
三室戸が力強くずらしながら突破をはかり、再び浦に渡ると、見事なボディコントロールで再びゴール前に迫る。だが浦は無理をせず、
その時だった。ザトウクジラの黒い影が
相手はタックルに入るが、まるで通じない。電柱のようだ。そのままトコはど真ん中にトライを決める。12対10。圧巻の逆転トライだ。
選手たちはトコを取り囲み、頭を撫でながらたたえる。トコはというと妙に興奮した表情で笑いもしない。何を考えているのか想像もつかない。
神村がゴールも決めて、14対10になったところで、ノーサイドのホイッスルが鳴る。
東萩高校に勝った!!
その瞬間、向高の選手たちは、石像のように呆然とする東萩高校の選手たちの合間を飛び跳ねて喜ぶ。
❷
決勝戦は翌日に行われる。相手はもちろん周防高校。初対戦だ。
昨日はからっと晴れていた空も、どんよりとしている。決勝の舞台に監督として立つだけで背筋に興奮が走る。
選手たちは今日も生き生きとウォーミングアップをしている。決勝トライを挙げたトコだけマスクをして別メニューをこなしている。
「あいつは今日も先発させんのですか?」
宇田島は三谷の隣に来て言う。
「本当は出してやりたいんですけど、本人がどうしてもしんどいって言うんですよ。咳も出ますし、微熱が続いてるんです。まだまだ先は長いので、今日もインパクトプレーヤーとして、最後に出場させます」
「まあ、先生がそう言われるんならしゃあないけど、若いんやから体調とかあんま関係ないと思うけどね」
「それが、トコはああ見えて結構繊細で、心労が絶えないみたいです。学校も欠席がちですし。ひとつは言葉の壁が大きいようですね。部活中はマネージャーが上手にコミュニケーションを取ってるんですけど、授業の方は全くついていけなくて、そういうストレスが体調に現れているんじゃないかと、養護教諭も言っていました」
「そりゃまあ、いろいろあるでしょうけど、せっかく無理してトンガから引っ張ってきたんやから、こっちとしては、どんどん使うてほしいですわな」
宇田島は苦々しい表情をして、引き上げる。
ラグビーはあくまで教育ツールだ。異国の地から来たばかりの高校生が体調不良になっているのに、ラグビーで過度の負担をかけるわけにはいかない。おっしゃるとおり高校生は若い。だが、高校生はそれほど強くはないのだ。
そうしているうちに、いよいよ朱色のジャージ身を包んだ向津具学園と、黒いジャージの周防高校が整列する。
赴任した年、河上屋以下、当時の選手たちは絶対に勝てないと口を揃えていたチームと今対峙している。この2年間の圧縮された思い出が回想される。
キックオフの長いホイッスルが鳴り、背番号10の神村がキックを蹴り込む……
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