24 夢は口に出すことで実現する

 太多の直接指導を受けてからというもの、練習の質が格段に上がった。

 毎日の練習前には円陣を組み、チームスローガンと月目標を大声で唱和する。30秒ミーティングも機能し、自主的な話し合いも増えた。

 練習の方向性もぶれない。選手たちは11月の花園予選に向けて、この2月から3月の間はひたすらパーソナルスキルを向上させることに徹している。

 蒔田あゆみは動画を撮影し、1週間に1度太多に送付している。それを見て太多はアドバイスをくれたり、新たなトレーニングの動画を送ってくれたりする。


「だいぶ、雰囲気が変わりましたな」

 ケヤキの下ベンチで宇田島がまぶたを細める。

「この子たちも今年は3年生ですよ。河上屋たちとやりあったことがほんの少し前のように感じられます。時が経つのは、早いもんですね」

 三谷の述懐に、宇田島は渋い顔をしたままタバコの煙を吐き出す。

「いずれにせよ、今年が勝負ですわな。こないだの理事会でも、その話題が出たらしくってね、去年は15人揃わんかったけどどうなっとんや、ってホザく役員がおったようですわ。そしたら校長が反論したみたいですよ。今年は違うから見とけって」

「ありがとうございます。頑張りますよ。ご覧の通り選手たちもやる気ですし」

「まあ、こないだから太多君が言いよる体幹トレーニングは、大学ラグビーでも常識になっとることやからね。それより、もっとやらにゃいかんのは、技術指導とか実戦力の強化やないかな。こんな練習ばかりじゃ、そのうち選手たちも飽きるでしょう」

「大丈夫ですよ。太多が年間計画を作り込んでくれていて、選手たちとも共有していますから、11月にはきっちり戦えるように仕上がりますよ」

 宇田島は再びタバコをくわえ込む。

「もしよかったら、ワシの方でも大学の選手たちを連れてくることもできるけどね」

「それは心強いです。機会があれば、よろしくお願いします」

 そう言いながら、大学生がどこまで向高のラグビーを指導してくれるのだろうとも思う。単発の技術指導をしたところで、チーム力の向上にはつながらない。ぶれちゃいけないのだ。


「そういえば、父母会を結成してはどうかと思うんです」

 これも太多による助言だ。指導者が発するメッセージは選手たちよりも保護者の方に早く伝わる。

「まあ、ええんやないですかね。ただ、保護者同士、すでにけっこう仲良うやっとるんやないですかねえ。試合にも応援に来よるやないですか」

「たしかにその通りなんですが、きちんと組織化しようと思いまして。というのも、中にはあまり面識のない保護者もいて、もし怪我をして、初めて会うのが病院という状況もやりづらいなと思うんです」

「そりゃべつにええですよ。先生の方で勝手に作ってください。ワシらはワシらでOB会をちゃんと機能させようという話を進めとるんですわ。組織自体はこれまであったんですが、事務局が無能のくせしてやる気もなくてね。そんな調子やから、議員の先生にもお願いして、近いうちに総会を開く予定なんです」

「それはすごい。父母会と連携して、選手をバックアップできるといいですね」

「花園に行くようなチームはみな、父母会もOB会もありますからね。そうやって外堀から固めていくのも大事なことやないですかね」

 宇田島は何かのオブジェのように、表情をいっさい変えない。


 父母会の初代会長は、満場一致で神村の父に決まった。話しやすい人柄に加え、長男が東萩高校でラグビーをしていた時にも会長を務めた経験が買われてのことだった。

「ワシらがサポートするけえ、遠慮なしに頼ってくれいね」

 神村の父にビールを注ぐのは1年生の白石の父だ。この人は地元で水産加工会社を経営していて、力を持っている。嫌みなところもなく、高倉健のような寡黙な男気にあふれている。

 すると白髪交じりの髭をたくわえた浦の父親が歩み寄ってくる。

「三谷先生、花園っていう夢はデカいけど、先生が本気じゃけえ子供らもついてきよるよ。ウチはね、ラグビーを始めてから勉強もするようになった。国立大学に入りたいって言いよる。そのへんも、国語教師の三谷先生の指導力なんやろうって感謝しちょりますけえ」

 浦の父親は瓶ビールを持ち、三谷のグラスに注ぐ。学校の中では、同僚から褒められることもあまりないから、余計にうれしい。

寛哲ひろさと君は、県内でもトップクラスの選手に成長しましたよ。スピードがあるし、体幹トレーニングの成果も覿面てきめんに現れています。素直で吸収が早いんですね。これから、とんでもない選手になりますよ。楽しみにしておいてください」

 浦の父親は丁寧に整えられた顎髭あごひげを撫でながら誇らしげに笑う。隣には母親も座っている。

「ええねえ。先生、熱いねえ。ようこんな所まで来てくれましたね。ワシらにとっては、神様みたいなもんですわ。いやあ、せっかくやから花園行きたいねえ。そしたら先生を胴上げじゃ。みんなで祝杯も上げたいねえ。向津具も長門も、ぶち盛り上がるやろうねえ」

 浦の父親の言葉に、三室戸の父も割り込んでくる。息子の顔と瓜二つだ。

「この辺の集落も人が減るばかりで、最近は明るい話題がなかったけえね」

「私も太多も『ラグビーは教育ツールだ』と考えています。前の学校では別の競技の指導もしてきましたけど、勝ち負けにこだわりすぎることはなかったですね。最後の試合の前に、ああ、この子たちもよくここまでがんばって来たなあ、たくましく成長したなあって、それまでの苦労をしみじみと振り返る、あの瞬間が一番好きでした」

 夜眠れぬほどに辛かった日々も、今となってはどれもキラキラ輝いている。

「でも、どうせなら勝ちたいね」

 三室戸の父は膝を立てて壁にもたれる。

「もちろんです。勝たないと伝えられないこともありますから。私が向津具学園でやりたいのは、花園出場と地域の活性化なんです。引っ越してきて2年ですが、私は地域の方たちに支えられてきました。みなさん本当にあたたかい方ばかりです。勝って恩返しがしたいんです」

 浦の父親が注いでくれたビールを飲み、ヒラマサの刺身を食べる。

「今や私は、向津具を心から愛しています。ここは食べ物もめちゃくちゃ美味しいです。東京では味わえないクオリティですよ」

「普段から地のものばっかり食うちょる我々は、感動はせんけどな」

 白石の父は、どこか誇らしげに言う。


 だいぶアルコールが回ってきた。それにしても、こんなに気分がいいのはいつ以来のことだろう? 言葉が次々と出てくる。

「ラグビーには、これからの社会で必要な人材育成のツールがたくさん詰まっています。ラグビーを通じて学んだ1つ1つの価値がこの子たちの将来に生きて、やがては地域社会に貢献できる人材になってくれる、それが密かな夢なんです」

 気がつけば三谷の周りを保護者が囲んでいる。みんな、静かにうなずいている。

「ありがたい」

 浦の父が嘆息を漏らす。白石の父は経営者の表情をにじませながら、静かに焼酎の水割りを飲む。

「先生、父母会でしっかり支援しますんで、子供たちの指導の方は、どうか思いっきりやってください」

 すっかり頬を赤らめた神村の父が頭を下げる。

 夢は口に出すことによって実現する。よく耳にするその言葉が、鮮やかなネオンサインのように目の前に浮かび上がる。

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