17 結果よりも大切なもの
❶
レフリーの短いホイッスルにより、試合は再開される。秋元はセンターのポジションから外にずれて、ウイングの位置に立たせる。
徐々に空が暗くなってきたようだ。
右手だけミイラのようにテーピングでぐるぐる巻きにした秋元は大きな声を出し続ける。それに石巻らFWの選手が応える。秋元を退場させて14人で闘うという選択肢もあるが、彼はピッチに立たせなければならないのだと、三谷は言い聞かせる。
だが、実質的にチーム力は落ちると言わざるを得ない。センターは最もコンタクトが起こるタフなポジションだ。2年生の長谷部では荷が重い。事実、これまで安定していたディフェンスが目に見えて衰え、そこから徐々に後退していく。その分サポートディフェンスの運動量も増えてしまう。
前半18分、東萩高校が向高ゴール前でのラインアウトから
「止めろーっ。止めんか、こらっ!」
だが、
エリアは向高ゴール前。
先制点を取るために、キックで手堅く3点をを狙うという選択肢もあるが、東萩高校はゴール前でのラインアウトを選択する。もちろん、こっちの方が嫌だ。完全に押されているし、トライされると5点奪われることになる。秋元がほぼ機能しない今の向高は、取り返すだけの得点力が期待できない。
そんな懸念を抱く間もなく、東萩高校は再びがっちりとした
向高も何とか応戦しようとするが、反則をした後のディフェンスはどこか遠慮がちで、さっきよりも姿勢が高い。それでも必死に足をかき、押し戻そうとするものの、相手は強豪校だ。まっすぐに押せないとなると、左右に揺さぶり、ディフェンスの力を分散させる。結局、そのままゴールラインを割られ、トライを許す。
レフリーの右手が大きく挙がった瞬間、向高FWは肩を落とすが、河上屋と石巻が声をかけ、輪になって何かを確認している。
できることなら、自分もその中に入りたい。大丈夫だ。まだ時間はある。これまで時間を割いてきたFWとBKSの連続攻撃からトライを狙うんだ! と彼らに向かって叫びたい。
トライ後のゴールキックは運良く外れた。ゴールから離れたところにトライしたために、角度があったのだ。ディフェンスの粘りが相手に追加点の2点をやらなかった。
結局、0対5のまま前半の30分が終了する。緊迫したゲームに観客からは拍手が起こる。
「全然いけるやん」
河上屋が、開口一番、声を出す。
「絶対に勝てるぞ」と石巻が続く。
「すまんな」と秋元が言う。
「いや、お前が外から声を出してくれるだけで、相手にはプレッシャーなんだ。だから後半もたのむ。とにかく、敵陣でプレーしよう。東萩高校は思ったほどじゃないぞ。トライを取りに行こうや」
ハーフタイムは選手たちが
もちろん、監督の指示を待たずとも自分たちで考えてゲームを組み立てる方が強いに決まっている。たとえそれが戦術的には間違った判断だったとしても、チームワークの結束という意味において、はるかに強いのだ。
❷
後半は向高のペースで始まる。
練習でやってきた通りの15人が一体となった攻撃で、東萩高校のエリアでゲームを進める。だが、肝心のゴール前では相手ディフェンスは分厚くなり、あと少しの所で押し戻される。秋元の負傷で決定力を欠く向高は、どうしてもトライに結びつけることができない。
そんな中、向高のパスミスから相手にボールが渡り、ロングキックで陣地を大きく下げられる。慌てた向高は、自陣でオフサイドの反則を犯してしまう。ピンチはチャンス、チャンスはピンチ。それがラグビーだ。
後半12分。ほぼ正面のペナルティキックをやすやすと決められて3点の失点。これで0対8と点差は広がる。
格下相手に思わぬ苦戦をしている東萩高校のベンチにも、安堵の表情が見られるようだ。
だが、三谷は諦めてはいない。選手たちに疲労は見られないからだ。彼らは良い緊張状態にあり心は充実している。この1週間のハードワークが効いている。点を取られようとも、オオカミのように貪欲にトライを狙っている。
とはいえ、時計は刻一刻と過ぎていく。あっという間に残り5分を切り、彼らにもそろそろ焦りが見られるようなる。
すると、東萩高校が自陣でオフサイドの反則を犯し、願ってもないチャンスが突然巡ってくる。
三谷は再び見えない何かに背を押されているような感覚を覚える。キックで手堅く3点を狙うか、それとも攻撃を再開し、トライを狙うか。難しい選択だが、直感的にトライを狙うように指示をする。あれこれ考える間に時間が経ってしまう。決断するしかないのだ。
河上屋は三谷の方を向いてうなずく。おそらく、はじめてこの男が自分の意見を聞き入れてくれた。
マイボールのラインアウトをキャッチしたFWは、相手のお株を奪うかのように
BKSの選手である河上屋も
あと1メートル足らずでゴールラインに入るところで、最後尾でボールをキープしていた河上屋が自ら抜け出す。低い姿勢で、まるでミサイルのように突っ込んでいく。相手が3人がかりでタックルに入ったそのわずかな隙間をすり抜けて、インゴールに飛び込む。トライだ!
向高の選手たちは飛び上がって河上屋に抱きつく。観客席からも歓声が上がる。トライ後のゴールも決め、選手たちの闘争心はさらに燃え上がる。7対8。あと1つトライかペナルティキックを決めれば逆転勝利だ。
残り2分を切ったところで、向高は再びゴール前でビッグチャンスを迎える。三谷はたまらず立ち上がり、自分でも聞き取ることの出できない声を出す。勝って決勝に行きたい。テレビ中継により、学校に活力を与えたい!
選手たちは再び
いよいよロスタイムに入った時、ゴール前でスクラムを得る。これが最後の攻撃だ。場内は静まりかえる。
もはや互角のスクラムからパスアウトされたボールはスタンドオフの河上屋から長谷部へと渡り、フルバックの神村へとつながる。神村は天性のセンスで相手タックルをかわし、FWの石巻にパスを返す。石巻は怒濤の姿勢で前進し、FWの選手たちもサポートする。1年生の三室戸の姿も見える。
ゴールライン寸前でいったん崩れた後、再び河上屋にボールが渡る。外には長谷部と右手を負傷した秋元がいる。数的優位の状況だが、河上屋はフェイントを入れた後で、自らがトライを狙いに前進を試みる。
その時だった。東萩高校のタックルをかわそうと低い体勢になったとき、その手からボールがするりとこぼれた。痛恨のノックオンだ。
これを見て、レフリーはぴたりと足を止め、腕時計に目を落としてから長い笛を鳴らす。
ノーサイド。
笛の音で数羽の鳥がグラウンドを横切り曇天に消えていった。
向高フィフティーンは膝から崩れ落ちる。対する東萩高校の選手は、安堵の姿で棒立ちしている。
頭の中を空白で満たした三谷の横で、宇田島が言う。
「7ヶ月でこれだけやれたんやから、上出来ですわ。また来年ですな」
観客席に向けて礼をした選手たちの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。河上屋は長谷部の肩に手をやって、何かを語りかけている。キャプテンとして、来年の主力メンバーに思いを託しているのだろう。だが、完全に三谷に背を向けていることが、何かの暗示でなかろうかという嫌な予感もよぎる。
そんな三谷のところに最初に歩み寄ってきたのは秋元だった。歯を食いしばり涙をこらえ、「先生、これまでありがとうございました」とがっくり頭を垂れる。「お礼を言いたいのは俺の方だよ」と三谷は返す。
❸
翌日、秋元は右手首を手術した。試合に出場させたことで怪我を悪化させたのではないかと思うと後ろめたさも感じたが、母親が試合を続けさせてもらって良かったと言ってくれ、いくぶんが心が慰められた。
2週間の入院後、三谷は秋元に受験指導を開始した。最後までラグビーをやり遂げた秋元は、中政大学法学部に合格した。中政大学といえば、都心の名門だ。
他の3年生たちも、それぞれ大学に合格したが、第1希望への合格者は残念ながらいなかった。
3年生たちが本当の意味での文武両道を果たしたかというと、心残りもある。最後の1週間は彼らの必死の姿を見たし、東萩高校との準決勝もすばらしい熱戦ではあったが、後になって振り返ると、やはりどこかが中途半端だったような感は拭えない。
東萩高校に勝ち、周防高校にも勝つためには、勉強もしながら全身全霊でラグビーに打ち込む姿勢こそ大切なのだと、再確認させられたシーズンだった。
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