16 オレたちに用意されていたストーリー

「やっぱり、勝つことは簡単じゃないな。いまだに胃が痛いよ」

 明くる日のミーティングで、下関高校との試合の動画を観た後、三谷は制服を着た選手たちに向かって吐露する。

「でも、最終的にうちにツキがあったんだ。神様がチャンスを与えてくれたんだよ。だからきっと、次もあるに違いない。とはいえ、相手は東萩高校だ。気持ちを引き締めていかなければならないね」

 選手たちは凜々りりしい顔を向けている。

「勝つためにウチがやることは至ってシンプルだ。いつも通り、FWは身体を張って、いいボールをBKSに出してやる。BKSは視野を広く持って、チャンスを見つけ、そこに走り込む……」

 ゲームプランの説明になった途端、選手たちの表情からは、先生、その話は何度も聞いているから分かりきっていますよ、という思いを感じ取る。

 いや、みんな、そうじゃないんだ。もう知っていると思うことでも、実際試合になると案外忘れるものなんだ。えてしてそういうところからほころんで、思わぬ失敗につながることは多々ある。だから

 大学時代のコーチが頻繁に話していたことが、指導者となった今、選手たちに語る際のベースになっている。

「でも先生」

 声を上げたのは秋元だ。

「昨日の試合では、みんなスタミナが切れていました。もしあれが東萩高校だったら、絶対に負けてますよ。そのゲームプランを実行するためには、まず体力をつけなきゃいけないんじゃないですか? 翔太、お前はどう思う?」

「俺もそう思うね。先生、もっと走り込まないと勝てないですよ。勝負はそんなに甘くないですから」

 急に話を振られた河上屋は、相変わらずの河上屋砲を炸裂させる。

「でも、3年生は勉強があるんじゃないのか?」と三谷は返す。

「周防高校とやるまでは、休んじゃいけないでしょう。週2の練習で勝てるわけないじゃないですか。3年生は毎日練習に出るやろ?」

 秋元は野太く強い声で辺りを見回す。もはやこの男に反論する者など誰もいない。

「とりあえず、今日から走り込もう」

 河上屋は秋元と張り合うように、立ち上がって言う。昨日の試合で疲れているはずの選手たちは、驚くことに、嫌な顔を見せずに合意する。

 これは本当に決勝に行くかもしれない。選手たちを見ながらそう思う。この子たちがテレビに映るのだ!


 中央ラグビー場に足を踏み入れた時、まず「新山口新聞」の記者が挨拶をしてきた。それから生放送を担当する「山口テレビ」の記者も名刺を渡してきた。どうやらマスコミにも注目され始めているようだ。

「今日もいけるやろう」

 選手たちのウォーミングアップを見ながら、宇田島が話しかける。

「決勝でテレビに映るんやから、ユニフォームを新しくして良かったですわ。前のボロユニフォームやったらとんだ恥かくとこやった」

 宇田島はたいそうご満悦の様子だ。

「僕もいける気がします。この1週間、本当にハードな練習をしてきました。しかも彼らはあまり疲れてないんです。気力が充実してるんでしょうね」

「これまでろくに練習してこんかったから、体力は有り余ってたんやないですか?」

 そう言って宇田島は大声で笑い、砂糖たっぷりの缶コーヒーを喉に流し込む。


 スタンドには1回戦よりも多くの観客の姿がある。教員や保護者、他の部の生徒もわざわざ足を運んでくれている。高いところには、光田校長と、その父である理事長の姿もある。三谷はそこに向かって頭を下げる。校長は中腰になり、右手を上げる。

 試合開始直前、選手たちは円陣を組む。ここまで一生懸命練習してきたこと、3年生は引退せずにここにいること、この1週間極限まで走り込んだこと。

 円陣の真ん中で河上屋が語り、呼応するかのように、他の選手たちは大声を張り上げる。これまでで最大音量だ。

 15人の選手たちが顔を紅潮させながらピッチへと入っていく瞬間、観客からは揚げ物の油のような拍手が起こる。

 真新しい朱色のジャージの向津具高校と、鮮やかなブルーのジャージの東萩高校の選手が整列する。今まで雲の上の存在だったチームと、相まみえている。

 口の中が乾ききっているのを感じた時、いよいよキックオフのホイッスルが鳴り響く。三谷は腕を組んだまま、ベンチの宇田島の横に腰を下ろす。


 立ち上がりは一進一退の攻防が繰り返される。

 お互いに陣地を取ろうとキックの蹴り合いになる。河上屋と神村のキックが正確に東萩高校の陣地に飛び込む。だが相手もなかなかミスをしない。それでたまらず河上屋が意図的にタッチラインの外に蹴り出し、ゲームをいったん切る。がっぷり四つの展開に三谷の背筋は細かく震える。

「おっし、ええよお――っ」

 宇田島は大声を張り上げて手を叩く。この人も大学でラグビー部を見ていたときの高ぶりを思い出しているようだ。

 すると、相手のノックオン(ボールを前に落とすこと)により、マイボールのスクラムを得る。エリアは敵陣に入ったところだ。キックで手堅く前に出るか、それとも思い切ってパスをして連続攻撃を仕掛けるか、どちらでも面白い。

 スクラムは押し込まれる。7人制とは比べものにならないプレッシャーを受けるが、何とかパスアウトする。最初にボールを受けた河上屋は、キックを選択せずに、長谷部にパスを放る。東萩高校のディフェンスラインは出足鋭く目の前に迫り、長谷部は慌て気味に秋元にパスをする。

 ギリギリでパスを受けた秋元だったが、1人目のディフェンスをハンドオフで突き飛ばし、軽快に前に出る。そうして次のカバーディフェンスも巧みなステップでかわす。前が開いた、トライチャンスだ! 三谷と宇田島は揃って立ち上がる。

 だが、秋元がギアを上げようとした瞬間、東萩高校の捨て身のタックルが後ろ足に引っかかる。完全に不意を突かれて転倒した秋元の上に必死のディフェンスが幾重にも覆い被さる。

 レフリーが長い笛を吹く。ノット・リリース・ザ・ボール。ラグビーでは倒れた選手はボールを放さなければならない。秋元はボールを渡すまいと、ずっとボールを抱えていたのだ。


 朱色とブルーの選手たちがそれぞれのポジションに散っていく中、秋元だけが地面にうずくまって起き上がらない。すぐにレフリーが駆け寄り、その後でドクターが走っていく。秋元はうつむいたまま動く気配がない。三谷も秋元のところに駆けつける。

「どうした?」

 秋元は枯れた芝生の上に顔面を付けたまま答える。

「やばいっす。ボキッて音がしました」

 ドクターが右の手首に視線をやりながら言う。

「こりゃ完全に骨折しちょるよ。すぐ退場せにゃ」

「いやです。15人しかいないんです。僕は出ます!」

 そう言い切った秋元だが、すぐにうめき声を上げる。三谷は絶望に近い気分にとらわれる。

「どうせ試合に出たって、プレーはできんよ」とドクターは念を押す。

「できます。左肩でタックルに入れます。絶対退場はしません」

 ドクターは険しい顔をして三谷どうするかをゆだねる。

「秋元、ほんとうに大丈夫か?」

 三谷が問うと、秋元はスクラップされた自動車のように歪んだ顔を向けて「大丈夫です。出れます」と声を絞り出す。

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