15 君も神様の声を聞いたか
❶
例年以上に暑く長かった夏がようやく終わったかと思うと、知らぬ間に晩秋になっていた。
すっかり冷たさが増した潮風にさらされながら、三谷はネックウォーマーに首を埋めて、選手たちの動きを入念に追いかける。
3年生は、6月から週2日の練習に出るという決断をした。もちろん練習量は全く足りないが、かろうじて引退せずにいてくれたおかげで、花園予選に向けた緊張感あふれる練習をすることができる。それだけでも感謝だ。
キャプテンの河上屋は相変わらずのマイペースぶりだが、なぜか頭を丸めて、この1ヶ月はラグビーに集中している。一方、副キャプテンの石巻はFW(フォワード)をまとめる存在に成長した。この選手の低く鋭いタックルなら周防高校にも十分に通用するはずだ。
それから秋元は、グラウンドでも単語帳を広げる姿は変わらないが、いざ闘争心のスイッチが入ると、誰にもまねできない大胆な発想でプレーを組み立てることができる。
花園予選まであと1ヶ月。限られた時間の中でチームの戦術を作り上げていかなければならない。
とはいえ、あまり複雑なこともできない。FW(フォワード)の選手は身体を張ってボールを奪い取り、BKS(バックス)の選手は相手ディフェンスの隙間をついて前に出るというシンプルな攻撃を継続することしかできない。それらの精度を上げて、相手ディフェンスよりも先にアタックを仕掛けられればトライにつながる。最後には秋元がいる。
ここへきて、選手の目標と自分の目標がだいぶ接近してきたという実感を得ながら、三谷は練習を見守る。
❷
大会3週間前には、各校の監督が周防高校に集まり、抽選会が行われた。
今年は3年ぶりに向津具学園が参戦するために、去年よりも1校多い11チームがしのぎを削ることになる。
この小さなトーナメント表を眺めると、花園出場が決して夢ではないことがはっきりと見て取れる。連続出場の周防高校も、全国に出ればせいぜい2回戦止まりだ。
40チーム近い高校がひしめきあい、第1シードには全国大会連覇の福岡北高校が君臨する福岡県のトーナメントと比べれば、登り詰めるべき山は圧倒的に低い。
とはいえ、監督として初めての抽選はさすがに指先が震える。引退せずに文武両道にチャレンジした3年生ひとりひとりの顔が浮かんでくるからだ。
三谷が引き当てたのは狙い通り周防高校とは別のBブロックで、初戦の下関高校戦に勝てばいきなり準決勝に進み東萩高校と対戦する。勝てば、周防高校との決勝だ。
「先生、それって、めちゃくちゃいいクジじゃないですか!」
明くる日のミーティングで、河上屋がおもちゃを買ってもらった子供みたいな声を上げる。すると15人が頭を寄せてトーナメント表を確認し、まるで試合に勝ったかのような雄叫びを上げる。
「いいか、お前たち、決勝に上がったら、テレビの生中継があるんだ。取材も来るし、注目選手のインタビューもある。新聞にもウエブサイトにも、向高の記事が掲載されるぞ」
「やっばー、こりゃマジで勝たんといけんな」
2年生の加納敬士がどこか間の抜けた声を出す。3人の1年生たちも輪の一番外側で緊張した目を輝かせている。
後席では宇田島が巨大な雪見だいふくみたいな腹の上に腕組みを乗せて選手たちの背中を眺めている。教室の中でもこの人はハンチングをかぶっている。今日のはドルチェ&ガッパーナのバッジが光っている。
「そのためにはまず初戦の下関高校に勝たなければいけない。だが、俺には情報がないんだ。どんなチームなんだろう?」
選手たちは、隣同士で話をし始める。
「たぶんいけると思いますよ」と河上屋は言う。
「たしか、春に周防高校とやってボコボコにされましたよね」と2年生の長谷部大樹は続く。
「あまり身体は大きくないです。進学校だから、大した練習もできてないと思いますよ」
河上屋は完全に上から目線でまとめる。この男はよくもこうビッグマウスでいられるなと静かに感心するが、こういうところがストロングポイントなのかもしれないと最近思うようにしている。
「たぶん、FWは勝てると思います。でも、BKSには嫌な選手がいますよ。特にスクラムハーフの田村とスタンドオフの中原は要注意ですね。翔太が言うとおり身体は小さいけど、パスが相当うまいから、気をつけないと、どんどん裏に出られますよ」
そう言ったのは秋元だった。実は相手チームの分析をしていたのだ。
秋元の情報提供が呼び水となり、その2人のキーパーソンをマークしながら、石巻を軸としたフォワード戦で勝機を見いだすというプランが固まってくる。
「でも先生、下関高校に勝ったとしても、次の東萩高校の試合はどうするんですか?」
河上屋が言う。
「大丈夫だ。相手がどこであろうとうちの戦い方はぶれない。もし初戦に勝つことができれば、チーム力は上がり、勢いも出るはずだ。高校ラグビーはチームワークの勝負なんだ。3年生は前例をうち破る決断をし、1、2年生は3年生が来ない日も真面目に練習に取り組んだ。これまでやってきた成果をきちんと出すことができれば、東萩高校に対しても十分に戦えると思うぞ」
選手たちはしんみりとしてくる。良い雰囲気だ。すると秋元が声を出す。
「ようするに、下関高校に勝つことに全力を尽くすということだよ。それと、オレたちは15人ちょうどしかいないんだから、1人でも怪我をしたら試合に出れなくなるから、そこだけは気をつけようぜ」
もはや三谷よりも要点を端的にまとめるほどになっている。
❸
引き締まったチームの雰囲気は、そのまま下関高校戦に現れる。
前半15分、相手ゴール前でのスクラムから石巻が力強く突進し、サポートの加納からロングパスを受けた長谷部がトライを決める。
向津具学園の選手たちは抱き合って声を上げる。空席の目立つ観客席からも歓声が上がる。
宇田島は足を組んで三谷の隣に腰掛け、満足げに煙草をくわえている。この人の声かけでOBたちから寄付を募って新調した朱色のユニフォームが目映く輝いている。胸には太く白い文字で「向津具学園」と記されている。4月から比べると完全に別のチームだ。
その後さらに1トライとキックを成功させ、12対0で前半を折り返す。
ところが、後半は一変して苦しい展開に立たされる。下関高校の田村の素早いボールさばきに、疲れの見える向高の選手たちは振り回される。
後半20分、要注意選手である相手スタンドオフの中原が石巻のタックルをかわし、スピードに乗った田村に絶妙なパスが渡り、そのまま右隅にトライされ、12対5と点差を縮められる。
さらにその直後、集中力が切れたのか、1年生の三室戸がキックオフのボールをキャッチミスして相手にボールが渡り、大きく外に展開されてトライを奪われる。その後のゴールも決まり、あっという間に12対12に追いつかれる。
残りあと7分。
もしこの試合で敗れたら、3年生は引退するのだという悪夢を三谷は初めて脳裏に浮かべる。ベンチを立って声を振り絞るが、向高の選手たちは明らかに足が止まっている。初の15人制の公式戦であることと、3年生は週2日しか練習しないことのツケが、よりによってこの土壇場で出ている。三谷は立ったまま様々な後悔に苛まれる。
そうして試合終了直前、下関高校が怒濤の攻撃を畳みかける。向高は自陣のゴールを背にして必死に耐える。相手はこれまでの練習をすべてぶつけるかのごとく、すさまじい形相で連続攻撃を仕掛ける。彼らも必死なのだ。文武両道を目指し、不安と戦いながらここまでやってきたわけだ。
そうしてついに、田村がジャガーのような姿勢でインゴールに飛び込むのが見える。すべてが終わった。バッドで頭を殴られたようなショックを受ける。
だが、レフリーはトライの認定をしない。入り乱れた選手たちの間をよく見ると、ボールは前にこぼれている。トライの寸前で石巻が捨て身のタックルに入っていたのだ。田村は脇腹を押さえてうずくまっている。
すると、こぼれたボールを秋元が器用にピックアップし、そのまま大きく前に蹴り出す。ボールは鋭く転がり、ハーフウエイライン付近まで達する。
秋元と下関高校の選手が必死の
ほんの少しだけ早く到達した秋元は、もう1度キックする。今度は不規則な回転で転がり始め、何を思ったか、敵陣22メートルライン付近で突然大きくバウンドする。そのボールを手品師のように片手でキャッチした秋元が、相手の渾身のタックルを振り切り、トライまで持ち込む。
レフリーは走りながら右手を高く上げ、ホイッスルを鳴らす。
すべてが瞬間的で、非現実的だ。
見えない何かに背中を押されたのをはっきりと感じる。
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