13 近づけば近づくほど遠ざかっていく

 かくして試合当時を迎える。まだ梅雨入りはしていないが、中央ラグビー場はあいにくの雨だ。

 三谷は、選手たちのウォーミングアップを見ながら、この子たちもラグビー選手らしくなってきたという手応えを感じる。連係もできてきたし、声も出ている。神村の加入で活気も加わった。

 今日は是が非でもいい試合をして、3年生の引退にストップをかけなければならない。


 その時だった。ふと観客席に目を遣る。そこには、閑散とした応援席に、淡いピンクの傘を差した女性が座ってこちらを見ている。奈緒美だ!

 思わず大声を上げそうになる。だが、目の前には選手たちがいる。とはいえ、気にしないわけにはいかない。すると河上屋が声をかけてくる。

「どうしたんすか?」

「い、いや、何でもない。集中しよう。今日は自分たちの納得するゲームにしよう」

 河上屋は怪訝さを残しながらパス練習を続ける。

 選手たちのウォーミングアップに目を細めながら、涙が出そうになる。みっともないゲームなど絶対にできない。


 初戦の相手は、4月の大会で苦戦を強いられた岩国中央工業だ。

 試合開始直後から、選手たちは、大きな相手に対して不要なコンタクトを避け、濡れたボールが滑らないよう短いパスをつないで前進する。外で待ち構えていた秋元は、パスを受けると相手の頭を越すキックを蹴り、そのまま自分で拾い上げてトライまで持ち込む。見事なノーホイッスルトライだ。

 岩国中央工業のキックオフでゲームが再開したかと思うと、いきなり副キャプテンの石巻がタックルを決める。相手ボールを奪った向高は、2年生の加納が河上屋にパスし、その後さらにパスをつなげで再び秋元まで渡る。今度はフェイントを入れたステップで相手を抜き去り、やすやすと2本目のトライを挙げる。

 2ヶ月前と比べて明らかに洗練された試合運びに場内は静かになっている。観客席の奈緒美も顔を上げて見守ってくれている。

 結局、初戦は52対0で完勝する。


 2試合目も圧倒的有利に試合を進める。神村を出そうかどうか迷うが、さすがに入部して1ヶ月の選手を公式戦に出場させるのは怪我のリスクを伴う。だからこそ、神村を加えた15人で冬の花園予選に出場したいという思いがますます強くなる。


「ありがとう。マジでビビったよ」

 三谷の言葉に奈緒美は品のある照れ笑いを浮かべる。

「いい試合だったね。選手たちがきびきびと動いてて、すごく好感が持てたよ。タロウさんも生き生きしてたね。フィールドホッケーの監督の時も燃えてたけど、やっぱり、ラグビーは特別なんだって思ったし、よく似合ってるよ」

 奈緒美はトートバッグから栄養ドリンクを取り出し三谷に渡す。一気に飲み干すと、タウリンとビタミンB1と奈緒美のやさしさが体中に染み渡ってゆくのを感じる。

「今日は、もちろん時間があるんだろ?」

 奈緒美の笑顔は、海水が砂にしみこむように、徐々にもの悲しげになる。

「今晩、仕事が入ってるのよ。せっかくだから、タロウさんのおうちにも行ってみたかったんだけどね……」


 奈緒美と出会ったのは2年前のことだ。

 彼女の父は恵比寿に本社を置く部品メーカーを経営していて、奈緒美もその会社の総務部で働いている。大学時代のラグビー部の同僚がたまたまそこの企画開発部に就職しており、同年代同士で飲もうということになったのだ。


 埼玉の高校に勤務していた三谷は、およそ自分とは育ちが違う女性に最初は辟易へきえきしていたが、彼女は見た目よりもずっと気さくで、懐の深い女性だった。

 2次会でカラオケに行ったとき、隣に座った奈緒美に三谷は自分のビジョンや教育観をマシンガンのように語りまくった。酔っていたこともあって、余計なことまでしゃべりすぎた気もしたが、奈緒美は「三谷さんみたいな人が大学の教官になって日本の教育を変えていくべきだと思いますよ」と言ってくれた。なんだか、高校の後輩と話をしているようなやすらぎを与えてくれた。


 付き合うようになってからも奈緒美は話をすべて受け止め、的確にアドバイスしてくれた。両親とも去年会っていて、広尾で寿司をごちそうしてもらった。今年28歳になる愛娘まなむすめが紹介した男に対してなのに、温かく接してくれた。このは3人兄妹の末っ子でかなりわがままなところがあるから、三谷君がしっかり教育してやってくれよと、お父さんは上機嫌だった。

 山口への転勤を決めた今、奈緒美と彼女の家族の優しさに甘えているのかもしれないと自らをかえりみることもある。

 だが、悲観的になりたくはない。そういう姿勢を見せること自体、奈緒美たちを失望させるのだと自分に言い聞かせている。


「また、ゆっくり会いたいね。覚悟はしていたけど、やっぱりちょっとだけ会って帰るっていうのは、たまらなく寂しいわ」

 三谷は人気ひとけのないクラブハウスの陰に奈緒美を連れて行き、そこで彼女の頭を撫で、額に軽くキスをする。辺りを囲む木々に雨が落ちる音が響いている。

「今度、いつ会えるのかな?」

 奈緒美は涙目で訴えかけてくる。

「夏には必ず行くよ。試合もないしテストもない。何があっても会いに行くよ」

 奈緒美は無理矢理笑みを浮かべ、飛行機に間に合うように、タクシーに乗り込む。

 黒い車体が完全に見えなくなるまで、三谷は手を振り続ける。その後、がっくりと肩を落としてラグビー場に戻ろうとしたとき、2人のマネージャーがこっちを見ていることに気づく。

「先生、今の人、もしかして彼女さんですか?」

「う、うん、い、いや、まあちょっとした知り合いだよ」

 しどろもどろに答えると、2人は両手を口に当てたまま顔を見合わせて、「ひゃーっ」と声を上げる。何から何まで双子みたいだ。

「なんか、山口の人には見えなかったですけど」

 右側のマネージャーが追及しにかかる。

「いいんだよ、そんなことは。それより、みんな周防高校の試合を観てるのか?」

 すると左側のマネージャーが言う。

「観てませんよ。だって、今日は周防高校の試合はないですから。Aシードの周防高校は、明日からの登場です」

「あ」

 三谷は口をぽかんと開けたまま、人形のように立ちすくむ。

 2人のマネージャーは今にも何か言いたげな表情で三谷の顔を凝視している。

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