11 君のモチベーションに火を付けるのは誰?

 リニアモーターカーのようなスピード感で、ゴールデンウィークに突入する。

 三谷にとっては、恵みの連休だ。

 3年生に配慮して前半の2日はオフにし、後半の3日を練習に充てる。最終日は、北九州情報大学附属高校に遠征する。初めての15人制の練習試合だ。

 というのも、ここの監督は三谷の高校時代の後輩で、多少のわがままが許される。福岡県大会でベスト16以内に入る実力があり、部員も50人を超えている。この日は近隣の高校が集まっての合同練習会の中に無理して入れてもらった。


「ホテル楊貴妃」のマイクロバスを宇田島が借りてくれ、運転手も宇田島のコネクションで山根さんというOBが無償で引き受けてくれた。バスに乗った部員たちは、遠足に行く小学生のようにはしゃいでいる。

 関門橋を渡っていると、バスでここを通るのはいつ以来だろうと思い起こす。高校時代、クーラーもシートベルトも付いていないオンボロのマイクロバスで、広島や島根に行ったものだ。そういえば山口には来たことがなかったことを思うと、今の自分の位置が全く予想外だったことを再認識する。運命とは、時に人生を意外な方向に運ぶ。


 北九州情報大附属高校は、小倉こくらの中心にほど近いところにある。三谷には、幼い頃から見慣れた故郷の風景だ。

 グラウンドには多くの高校生ラガーマンが集まり、迫力のある合同練習をしている。それを見るにつけ、向高の部員たちの言葉もなくなる。バスの中でも単語帳に目を落としていた秋元も練習の光景に釘付けになっている。

「ええ機会やなあ」

 宇田島は山根さんに向かって言う。

「学校の中だけで練習したってこの子たちのためにはならん。どんどん外へ出て、刺激を与えてもらわんとあかんわ」

 山根さんは三谷に言う。

「雰囲気がだいぶ変わりましたな」

「そうですか? 私には全然分かりませんけど」

「いやいや、まともになってきました。ちゃんと挨拶するようになったし、顔つきも良うなってきました。先生のおかげじゃな」

 三谷は、相変わらず学校の中ではバッシングを受けることが多い。重岡からは「お前からにじみ出る軽々しさが許せん」と公然と言い放たれるし、体育の教員からも「あまり調子に乗ったマネはするなよ」と注意を受けることもある。だが、こうやって1歩外に出ると自分のことを応援してくれている人がいる、それだけで心が慰められる。 


 向高の部員は、3年生7人、2年生5人、1年生2人の14人しかいない。そこで、今日は三谷が15人目の選手として特別参加し、相手も1年生を入れたチームを編成してくれることになった。

 久しぶりにラグビージャージに袖を通した三谷は興奮を隠せない。だが今日は、あくまで人数調整のために入っていることを忘れないようにしようと心を静める。主役は選手たちだ。


「はい、それじゃ、くれぐれも怪我のないように」

 九州情報大付属校の監督は声を上げ、選手たちのポジションを指で確認してからキックオフのホイッスルを吹く。相手チームの選手が蹴り上げたラグビーボールが、工業地帯の長い煙突の立ち並ぶ空に上がり、やがて落下してくる。

 最初にキャッチしたのは石巻だ。そこを起点に密集モールを作り、パスアウトされたボールを河上屋が冷静にキックで蹴り出し、陣地を回復したところでプレーが途切れる。

 三谷の心は騒いでいる。選手として10年近いブランクがあるにもかかわらず、身体が自然に反応する。気がつけば、チームで一番大きな声を出している。

 選手たちも形になっている。15人制のゲームは、7人制とは違って簡単には突破できない分、チームワークが求められる。その点、今日はいつにも増してよく声が出ている。1年生の三室戸も、頼りなさそうに見えた浦も、果敢にチャレンジしている。

 向高の3年生は、パスをつなぐラグビーに徹している。それが功を奏し、トライが生まれる。

 連日のハードな練習による疲労感があるうえに、1年生主体の相手に申し訳ないくらいに、得点のたびに選手たちは大喜びする。そのあたりのマナーを教えるのはまだ先のことだと割り切り、三谷も彼らの中に積極的に関わっていく。

 結局、前後半50分のゲームで4本のトライを重ね、気分良く小倉を後にすることになる。


❸ 

「やっぱ、15人制は、やってて楽しいっすね」

 帰りのバスで三谷の後ろに座った秋元が珍しく自分から口を開く。手には単語帳を開いているが、暗記に集中できないようだ。

「お前がしっかり機能すると、チームに勇気が出てくるんだよ」

「そうっすかね?」

「もしかして自覚はないのか?」

「僕はそんな大した選手じゃないっすよ」

「いやいや、お前はチームの中心選手だよ。みんなそう思ってる」

本当マジっすか?」

 隣に座っている2年生の加納かのう敬士たかしが、「秋元さんはすごいっすよ」と言う。秋元は、いやいやそうやって持ち上げんなよ、と返す。

「せっかくだから、やってみないか、最後の花園予選まで」

 三谷はここぞとばかりに本題に入る。決断するのにあれこれ考えていては時機を逸してしまう。決断レベルが最大になった時には、失敗を恐れずに思いをぶつけるのが三谷のやり方だ。

「どうせやるんなら勝ちたいです。でも、さすがに無理でしょ」

 秋元は言う。

「なぜ無理だと分かる?」

「そりゃ、周防高校は部員も多いし、チームも仕上がってるじゃないですか。僕らは今日初めて15人制の試合に出たんですから、差が開きすぎてますよ」

「うちの方が伸びしろは大きいってことだ」

 秋元は泣き顔のような苦笑を浮かべ、「どう考えたって、無理です」と繰り返す。

「お前は将来何をやりたいんだ?」

「とりあえず、法学部に入りたいです」

「弁護士になるのか?」

「うーん、本当にやりたいのは起業ですけど」

「どうして起業するのに法学部なんだ?」

 秋元の小さな目はめいっぱい広がる。

「だって、日本は法治国家じゃないですか。法を学ぶことはすべてにおける基本だし、だからこそ、法の立場から起業を考えたいんです」

「なるほど。でもそれって、けっこう独特のアイデアだな。一般的に起業しようとする人は経済学部とか商学部に入って、経営を学ぶと思うんだけど」

 秋元の瞳には力が入る。

「普通のことをやっててもだめだと思うんですよ。僕が思うに、法律の方が経済よりも上なんです。広い視野を持つ起業家を目指すためには、学問的にも人脈的にも、法学部の方が有利だと僕はにらんでるんです」

「人がやらないところに目をつけようとする辺り、すでにお前にはビジネスセンスが備わってるのかも知れないな」

 隣の加納はいつの間にか白目をむいて眠っている。

「ただ、ラグビーをしながら法学部に合格できれば、さらにお前のキャリアが上がると思うんだけど、どうだろう?」

「でも、大学に入れなかったら全く意味ないじゃないですか。やっぱ、学歴って大事ですよ。特にビジネスの世界では」

「俺は受験勉強を諦めろと言ってるわけじゃない。ラグビーをしながら受験勉強をしてはどうだろうって提案してるんだ」

 秋元は苦笑のまま首を左右に振る。

「物理的に無理ですよ」

「たいていの高校生はそう言うだろうな。でも、逆に物理的条件が整っていれば成果が上がるんだろうか? 俺はそうは思わないね。一番大事なのは集中力だよ。最終的に受験はこれで決まるんだ。たとえば、1つのことを理解するのに3時間かける人よりも1時間しかかからない人の方が受験では勝つ」

「だから僕みたいに物覚えの悪い人間は、5時間も6時間もかかってしまうんですよ」

 三谷はこれまで自分が関わってきた人たちの顔をリアルにイメージしながら話を続ける。彼らはみな、限られた時間内で大きな成果を挙げたのだ。

「集中力はどうやって高まるか、それはモチベーションだよ。このモチベーションには3種類ある。1つは『やってみたい』というモチベーション、2つは『自分にもできるかもしれない』というモチベーション、そして最後3つめは『やらなければならない』というモチベーションだ。多くの受験生は3つめの『やらなければならない』っていうモチベーションで勉強するんだけど、こいつには問題点がある。なぜなら、この裏側には『やりたくない』という欲求が潜んでいるからだ。だからこのモチベーションだけで長時間の勉強を続けると心身共に疲弊してしまう。だったら、こう考えればいい。どうやってこのモチベーションを効果的に引き出すか?」

 秋元は単語帳を閉じて、真剣な表情で聞いている。チームで一番ガッツがある選手だが、どうやら理論的な話にも興味があるらしい。それこそが起業家を目指す資質というものだ。

「つまりこういうことなんだ。ふだんは『やってみたい』というモチベーションと『自分にもできるかもしれない』というモチベーションを大切にして、大学生活を思い浮かべながら勉強するんだ。そして、どうしてもうまくいかないときに『やらなければならない』モチベーションに火を付ければいい」

「いやいや、僕は偏差値も全然届いてないし、楽しんで勉強できるようなところにはいないです。とにかく時間をかけて自分に厳しくやらないと絶対に間に合わないです」

「いいかい、秋元、そもそも勉強が楽しくないのに成績が伸びると思うか? たぶん、お前が『やらなければならない』というモチベーションにこだわってしまうのは、本気で起業家になりたいと思ってないからなんだ」 

 秋元は口をぎゅっと結ぶ。

「今お前に本気マジで考えてほしいのは、ただ漠然と起業家になりたいというところから一歩抜け出して、どんな会社を作るかっていうことなんだ。それについて、今アイデアはある?」

「人を喜ばせる仕事がしたいっていうのはありますけど、まだそこまで具体的じゃないですね。っていうか、それを大学に入って勉強するんじゃないですか?」

「わかった。じゃあ、改めて聞くけど、どうして法学部なんだ?」

「だから、広い世界を知ることと人脈を築くことができるからです」

「それは、ラグビーではできないのか?」

 秋元は予期せぬところからタックルを受けたような表情を浮かべる。

「僕は、大学でやるつもりです」

「高校時代に諦めたことが、本当に大学でできるだろうか? 大学で前向きに学ぶためにも、今のうちから起業へのモチベーションを上げることが有効なんじゃないのか。ただ受験勉強だけする高校生なんていくらでもいる。その一方で、最後まで文武両道を諦めずに努力する高校生もたくさんいるんだ。お前の高校生活はまだ10ヶ月近く残っている。その中で、ラグビーを通じて高い目標を掲げ、チームワークを磨きながら、いろんな高校生と試合や交流をしたりして世界を広げる。そのことが、お前の『やってみたい』っていうモチベーションに火をつけるんじゃないのか? そして、そのうち『自分にもできるかもしれない』という思いも強くなれば、それがそもそもの自信になって、受験勉強にもプラスになるんだよ。それに、限られた時間で勉強することによって『やらなければならない』というモチベーションが効果的に働いて集中力も上がるんだ。普通の人が3時間かかることも、ラグビーを続けることによって1時間で覚えることができるというわけだよ。繰り返すようだけど、目標を叶えるためにも、ラグビーは辞めるべきじゃないね」

 秋元は、思い通りにプレーできなかったような苦々しい表情で考え込んでいる。

「俺は国語の教師でもあるわけだから、もしお前が最後まで文武両道を目指すなら、学習面でのサポートにも全力を尽くすよ。実際、埼玉の高校でも、ホッケー部の生徒は実績を上げたよ。そこらへんのノウハウも持っているつもりだ」

 秋元は、「わかりました」と小さく答えた後、険しい表情のまま何も言わずにシートにもたれかかる。

 それから単語帳を太ももの上に置いたまま窓の外を向き、どこか痛そうな表情で瞳を閉じる。

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