7 諦めるのは簡単だが失ったものは2度と戻らない

 試合当日は、春の風が強く吹いていた。

 山口市にある中央ラグビー場を囲む桜の花びらも、この風によってすべて力尽き、灰色の風景の中をなすすべなく舞っている。


 三谷はまず大会本部に足を運び、役員や他校の監督たちに頭を下げて回る。だが、他県からやって来た新参者と進んで話をしようとする人などいない。

 日程表に目を落とすと、7人制の試合は15人制の前に行われることになっている。出場チームは向津具学園を入れて3校で、総当たりのリーグ戦だ。

 選手たちはグラウンドの隅に集結し、小さくまとまってストレッチをしている。三谷は近くで彼らを見守る。今日は、彼らの実力を見ることができる。それだけでワクワクしてくる。

 向津具学園のユニフォームは、他の高校と比べても際立って古く、色褪せている。どうやら元々は朱色らしい。軽量速乾素材が主流の現在において、未だに綿100%だ。これでは汗で重くなってしまうし、相手にもつかまれやすい。そんな彼らを見ると、同情するところもある。

 一旦集合させると、表情は緊張しているようで少し安心する。

「河上屋、今日の目標は?」

「そりゃ、優勝でしょう」

 当然のごとく答える。

「みんなも、それでいいんだな?」

 三谷の投げかけに、部員たちはうなずく。これまで顔を見せたことがなかった3年生の4人がいるために、いつもよりも円陣が大きい。

 その時、厳しい表情をしている秋元が口を開く。

「翔太、そのためには、何を重点的にやるんだ?」

 河上屋は秋元の迫力に気圧けおされるように答える。

「そりゃ、タックルやろ」

「よっしゃ。みんな、今日はタックルやろうや。ほんで、絶対優勝しようや」

 秋元が大きな声を出すと、部員たちも呼応するように声を張り上げる。


「ちょっとずつ、良うなっとうやないですか」

 背後から宇田島が忍び寄ってくる。

「たった1週間しか練習しとらんのに、みんな顔が引き締まってきとりますわ。先生のおかげや」

「私は全く何もしてませんよ。毎日悩みまくってるんですから」

 率直な思いが口から出てくる。宇田島はどんぐりみたいな毛糸のニット帽をかぶり、海を見る漁師の目でグラウンドを眺めながら、指をさす。

「あれが周防すおう高校ですわ」

 その先には入念にストレッチをしている黒いジャージのチームがある。

「それから、あっちが東萩ひがしはぎ高校。県大会はここんところ、あの2つが決勝を戦っとります。つまり、そこを破りゃ花園ですわ。大阪と比べれば天国みたいなトーナメントですわ。やりゃ、できますよ」

 三谷も宇田島と全く同じ光景を思い浮かべている。向津具学園の選手が花園ラグビー場のピッチに立つ光景だ。生駒いこま山から吹き下ろす風がスタジアムを渡ってゆく……


 キックオフのホイッスルが鳴った直後、いきなり河上屋がタックルを決めて、相手ボールを奪う。パスを受けた石巻は相手ディフェンスを交わし、そのままトライを挙げる。試合開始から30秒もかからない、ノーホイッスルトライだ。

「オッケー、気を抜くな」

 大声を張り上げたのは、秋元だった。この3人が向津具学園の大黒柱であることは誰の目にも明らかだ。

 それにしてもあの練習で、よくここまで動けるものだと感心して腕を組む。ピッチ上の7人は果敢なタックルで相手のボールを奪い、その後のパスワークと軽妙なステップで立て続けにトライを奪う。前半を終えて、3つのトライと2つのゴールを積み上げ、19対0の大差で折り返す。

 ハーフタイムに戻ってきた選手たちは興奮ぎみだ。河上屋は自らの判断で、選手交代もする。勝手に采配まで振る河上屋の姿にイラッとするが、何も言わずに彼らを見送る。自分も少しずつタフになっているのかもしれない。


 後半は、河上屋の采配が功を奏する形となる。交代した2年生がのびのびと走り回り、トライを重ねる。

 7人制のゲームは、15人制と同じグラウンドで行われるために、選手間のスペースが広い。それゆえ、最初のディフェンスを突破すれば、相手のカバーディフェンスは追いつかず、そのままトライまで持ち込める可能性が高いのだ。そのうち相手は戦意を喪失し、思いのままになっていく。

 ノーサイド(試合終了)のホイッスルが鳴った時、得点板には45対0と表示されている。


 河上屋と石巻は、ヘッドキャップを外し、どや顔を浮かべて三谷の前を素通りする。試合後の反省をすることもなく、各々おのおのがグラウンドの隅に腰を下ろし水分補給をしている。

「身体を冷やしすぎると、次の試合で身体が動かなくなるぞ」と忠告したところで、彼らは何の行動も起こさない。

「大丈夫ですよ。次の岩国いわくに中央工業も勝てますよ。レベルは低いです」

 河上屋はあぐらをかいたまま言う。

「やつらは身体はでかいけど、全然走れんだろ」

 石巻も同調する。

「キックを蹴る必要もなかろう。走って相手を揺さぶれば、楽にトライが取れるよ」

 河上屋は余裕の表情でアクエリアスを喉に流し込む。

 秋元はというと、汗で重くなったジャージを着替えることもなく、イヤホンを耳に入れて英単語帳を開いている。


 三谷は「文武両道」を念頭に自身の高校時代を駆け抜けた。12月までラグビーをやりきった上で、1月のセンター試験でボーダーラインを超える結果をたたき出し、2月の個別学力検査を突破して東京教育大学に合格した。

 合格後、三谷は悟った。勉強と部活動は無理して両立させるものではなく、両者には好循環をもたらす相関関係があるのだと。勉強するのも部活をするのも、同じ自分なのだ。

 だが、高校教師になり、多くの生徒と接するうちに、そういったポジティブな思想は誰しもが持っているのではないという事実に直面した。高校生の多くは、はじめから自信などない。スモールステップを踏みながら、少しずつ成功体験を積み重ねる中で、前を向くようになるのだ。

 だからこそ、受験のために部活を早期引退しようとする生徒には特別なメッセージがある。安易に部活を手放すことは、高校時代にしか出来ない貴重な経験の機会を放棄することにもなるのだ。

 秋元とは腰を据えて話をするべきだ、そうしないと自分も彼自身も後悔する。

 そう思いながら単語帳を見つめる彼の前を黙って通り過ぎる。

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