2 休みたいときに休むのが高校の部活

 ところが、練習開始予定の9時を過ぎても選手たちの姿は見えない。

「どうしたんですかね?」

 三谷はベンチを立ち、グラウンドを見渡す。時間を間違えたはずはない。キャプテンは部室に入っているのだ。

「まだ、全員来ておらんのでしょう」

 宇田島は座ったまま冷静に言う。


 5人の部員と2人の女子マネージャーがグラウンドに現れたのはあと少しで10時になるところだった。彼らは三谷に注意を払う様子すらない。

「ひょっとして今日は、たったこれだけしか集まらないんですかね?」

「これならまだましな方ですわ。昨日はマネージャーを入れて4人でしたから」

  宇田島は答える。

「中角は遅刻とか欠席とかをいっさい指導せんかったし、三谷先生の赴任が決まってからというもの姿を見せんことなったから、部員たちはますますになっとるんですわ」

 三谷は緊張をきながら、大学以来となるラグビーのグラウンドに足を踏み入れる。ストレッチをしている5人は顔を上げ、ぽつぽつと礼をする。いかにもだるそうだ。

「こんにちは!」

 三谷が張り上げた大きな声に対して、部員の中には、びっくりした顔とうざったそうにしている顔が混在する。

「このたび、ラグビー部の監督になった三谷太郎です。みんな、よろしく!」

 尻の砂を払いながら5人が立ち上がる。


 最初に赴任した茨城の高校では、ルーズソックスにミニスカートの女子高生や眉毛がない男子生徒たちと学校生活を送った。他愛のない雑談を武器に、自分の高校生活にはいなかったタイプの生徒たちのリアルを知ることができた。

 次に赴任した埼玉の高校ではフィールドホッケー部の顧問を任された。初めての競技で、部員やOBたちとの衝突も多々あったが、3年前には教え子がアジアユースの代表選手に選ばれた。だが彼は卒業間際に喫煙と不純異性交遊で長期の停学を余儀なくされ、三谷の心は深く傷ついた。

 とはいえ、やはり高校生スポーツの指導のベースは人間教育であり、そこをしっかりやろうとする教師には、最終的に生徒たちはついてきてくれるのだという手応えを握りしめている。

「よし、じゃあ、今日はこれまで君たちがやっている普段通りの練習をしていいよ。俺はここで見とくからさ」

 三谷は1歩下がる。宇田島は大きなケヤキの下のベンチでこっちを見ている。この人はきっと、GMという立場をわきまえている。さすがに関西産業大学のラグビー部にいたというだけのことはある。

 5人の部員が、女子マネージャーが空気を入れてくれたラグビーボールを脇に抱えて、だらだらと走り出した後で、三谷はマネージャーたちに声をかける。2人とも日本人形のような真っ黒な髪を肩まで伸ばし、おそろいのプーマのジャージを着ている。双子みたいだ。

「ラグビー好きなの?」

 2人は顔を見合わせて、そろって首を縦に振る。どうやらとても良い生徒のようだ。

「あの、キャプテンの選手は何ていう名前なのかな?」

河上屋かわかみや翔太しょうたくん、です」

 右側のマネージャーは小さく答える。

 三谷は改めて河上屋を見る。身体は細いが、スピードもステップもセンスを感じる。

 今度は左のマネージャーが口を開く。

「河上屋君、運動神経抜群なんです。バスケットボールのクラブチームにも入っていて、そこでもキャプテンなんです」

「え? じゃあ、そっちの練習にも行ってるの?」

「はい。毎週月曜と金曜はバスケの練習です」

「部活は?」

「その時は休んでます」

 マネージャーは、ごく当たり前のことを話しているという顔で見上げてくる。

「それでみんな、何も言わないの?」

「言わないですよ。だって、けっこうみんな休みたいときに休んでるし、なんだかんだ言っても、河上屋君がいないとチームがまとまらないし、トライも取れないですから」

 これまでとは違う文化圏に来たような錯覚にとらわれる。

「普段はどういう練習をしてるの?」

 右側のマネージャーに聞く。

「走ったり、パスしたり、最後はゲームみたいなこと、ですかね」

「どれくらいの部員が集まるの?」

「だいたい7、8人くらいですかね」

「それしか来ないのに、ゲーム形式の練習ができるの?」

「3対3とかでやりますね。うちのチームは15人制には出られないんで、7人制に絞って練習してるみたいです」

「なるほど」


 練習を始めて10分も経たないうちに、河上屋が休憩の指示を出す。5人は、マネージャーから渡されたコップでバケツの水をすくって飲み始める。

「やべぇ、今日全然走れんわー」と赤いジャージを着た生徒が言う。

「俺もや。昨日あんまり寝てねえから」と緑と白のボーダーのジャージを着た選手が応じる。この子はがっしりとした体格をしている。

「昨日は遅くまで勉強してたんだな?」

 三谷が会話に割り込んでいくと、緑と白の部員は臆病な犬のような目を逸らして答える。  

「ゲームしてました」

「お、ゲームか。どんなゲームをしてたんだ? スマホか?」

「いや、俺はスマホは好きじゃないんで。プレステですね」

「そうか。ところで、名前は?」

「あ、俺っすか、秋元あきもとっす」

「ラグビー楽しいか?」

 秋元は首をかしげて、「うーん、まあまあっすかね」と答え、河上屋の方へと逃げていく。結局1度も目を合わさない。


「秋元君も3年生?」

 次の練習が始まったとき、右側のマネージャーに聞く。

「そうです。あの人かなり頭いいですよ。偏差値も高いです」

 つまりこの選手も夏前に引退を考えているわけだ。

 マネージャーによると、今日来ているメンバーの中で3年生は3人だけだ。キャプテンの河上屋翔太かわかみやしょうたと、赤いジャージを着ているのが副キャプテンの石巻いしまきりょう。それから緑と白が秋元純一郎あきもとじゅんいちろうだ。

 普段の練習メニューは、正副のキャプテンが考えて自由に行っている。7人制のゲームに出場する高校はレベルが高くなく、楽に勝ててしまうようだ。部員が練習に来ない理由は、たぶんそこにある。

 フィールドホッケー部の顧問の時は、インターハイベスト8という目標を選手たちと共有してきたが、どうやらこの向津具学園では、生徒の目標と監督の目標が一致しないところから出発していく方がうまくいきそうだと三谷は考える。

 それにしても、ここから花園出場とは、エベレストの山頂並の高い目標だ。

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