アクティブ ドリーマー

スリーアローズ

2015年のシーズン

1 すべての始まりはエイプリルフールから

「目標は、3年以内に花園に出場することですわ」

 宇田島うだじま徹男てつおはタバコの煙の中で分厚いまぶたを細めながら断言する。

「さ、3年以内に、花園、ですか……?」

 三谷みたに太郎たろうはオウム返しに声を出す。

「ちなみに、もしそれができなかったら、どうなるんですか?」

「そん時ゃ、うちのラグビー部は、つぶれますわ」

 得意げに言い放った宇田島の表情は全く笑っていない。

「冗談でしょう」

 三谷は顔の上に笑みを貼り付ける。ひょっとしてエイプリルフールのジョークかもしれない。

「先生、これは冗談やないです。マジな話ですわ」

 宇田島は足下でもみ消したタバコを、コーヒーの空き缶に無理矢理ねじり込む。

「話せば長くなりますがね、そもそもワシがここにおるのも、ラグビー部を強うするためなんです。で、まず、そのためにゃ、勝ち方を知っとる指導者がいる。ほんで、三谷先生に来てもろうたんですわ」

「失礼ですが、宇田島さんは、どういったお方なんですか?」

「あ」

 宇田島はいささか間の抜けた声を上げ、セカンドバッグから財布を取り出し、武士のような手さばきで名刺を引き抜く。

「こりゃ、挨拶が遅れましたな」

 中腰になって両手で差し出された名刺の肩書きには「山口県 向津具むかつく学園高等学校ラグビー部 ゼネラルマネージャー」と記してある。

「ゼネラル、マネージャー、ですか?」と三谷は読み上げる。

「高校の部活でGMっていうんは、なかなかおらんですよ」

「この学校の教員、ですか?」

「いいや、教員やありません。OBです。元々は、大阪で仕事しながら関西産業大学でラグビー部のスカウトをやっとったんです。それが、ここの校長がワシの後輩でね、ラグビー部をどうしても強うしてほしいって、わがまま言うてせっついてきたんですわ。ワシも退職したことやし、向こうにおっても金ばっかりかかるから、3年前に戻ってきたんです。ただ、ご存じの通りこんなド田舎の学校は経営がなかなか苦しゅうてね、ボランティア同然なんですよ。なのに、GMなんです。無茶苦茶な話ですわ」

 宇田島はさぞかし愉快そうに笑い声を上げ、グッチのロゴの入ったハンチングを脱いで短髪の白髪頭を撫でる。

「だったら、廃部はないでしょう?」

 三谷が言うと、宇田島はハンチングの中のホコリをはたいてから再び頭の上に載せ、真顔に戻る。

「いいや、ですからこれは、マジなんですわ。ラグビー部の運営自体けっこうな金がかかっとるし、何より全く結果が出ておらんのです。創部以来花園に行ったことはないし、30年ほど前に県で準優勝したのが最高ですわ。ここんとこは15人制の試合に出ることすら危ぶまれとります。せやから、サッカー部を作って、余所よそから生徒を引っ張ってきた方が学校にとっては都合がええわけですよ。そもそもラグビーみたいな危険なスポーツをさせる親も減っとるし、花園に出られそうにもないクラブに、今後部員が入ってくる見込みがないっていうのが理事会の考え方なんです」

 宇田島はジッポを取り出し、こなれた手つきで新しいタバコに火をつける。オイルと煙の混ざった匂いが潮風に漂う。

「でも、校長は理事会に抵抗してくれているということですか?」

「あの人はラグビーが好きなんですわ。しかも、最近はまたブームが来たでしょう。ワールドカップとか五郎丸とか。サッカーで勝つよりもラグビーで勝つ方が可能性は高いし、メリットもあると考えとるんです。でも、理事会からは同意が得られんのです。それで、去年の総会で、3年以内に花園に出場できなければサッカー部を作るっていう無茶な合意がされて、プレッシャーをかけられとんです。成果を求められとんですわ。そこで、三谷先生のご登場というわけです」

 三谷は唾を1つ飲み込む。

「ちなみに、今年のチームはどうなんですか? そこそこやれるんですか?」

 目の前のグラウンドには白いラグビーゴールが立ち、周囲を囲むフェンスの向こうには春の薄い空が広がる。そこにカモメが数羽舞っているのが確認できる。向津具むかつく半島の高台に作られたこの高校が海に囲まれているのがよく分かる。

「ドン底ですわ」

「勝てませんか?」

「勝てるも何も、これまでの指導者が最低やった。そいつは中角なかすみっていう一般人でね、何を考えとるんかさっぱりわからん男でしたわ。目標もなし、計画もなし、ただ怒鳴るだけ。見とってうんざりでしたよ」

「今、部員は何人いるんですか?」

「3年が7人で、2年が5人、やったかな? それに女子マネージャーが6人」

「え、マネージャーが6人?」

「部員よりもマネージャーの方が盛り上っとります」

「まあ、でも、1年生が3人以上入ってくれば、何とか試合には出られるわけですね?」

「それがね、まあ、いろいろと問題があるんです」

 その時、誰もいなかったグラウンドに制服を着てエナメルバッグを提げた生徒が現れる。宇田島は彼に気づき、おうい! と、異様によく通るしゃがれ声で叫び、右手を挙げる。

「新しい先生が来られたぞお」

 宇田島は生徒に挨拶を求めるが、彼はそのまま部室へと消える。

「ラグビー部の生徒ですか?」

「今のがキャプテンです」

 ラグビー選手としてはずいぶんと線が細い。

「うちのラグビー部の問題はね、3年生が夏前に引退することが、ここ数年常態化しとるんです」

「受験のためですか?」

「受験でもたいした結果が出とるわけでもないんですけどね、皆決まって引退していくんですわ。ワシらの頃は、ラグビーも勉強も、文武両道でやりよったけどね」


 三谷の出身校である筑紫ちくし西にし高校は福岡県内でも有数の県立進学校だ。福岡の高校ラグビーといえば何と言っても福岡北高校が有名だ。ここのところ花園でも連覇をしていて、日本代表ジャパンの選手も輩出している名門中の名門だ。そんな絶対王者に対して、県大会の決勝戦で常に接戦をするのが筑紫西高校だった。

 課外授業により練習時間が短く、合宿すら組むことができなかったが、徹底的な戦術分析と、選手たちの闘争心と集中力で毎年安定した実力をつけ、その伝統は今なお続いている。三谷は、宇田島の口からつい出てきた「文武両道」という言葉を久々に聞き、青春時代の己の姿を目の前に思い出す。

「つまり今年の目標は、3年生を引退させない、そして、花園予選に出場する、ということですね」

 三谷は語気を強める。

「ここの選手の能力は結構高いんですよ。3年生たちが引退せずに本気になってくれれば、今年、かなりの所まで行きますわ。ワシとしては、県の決勝に出てほしいと思うとります。テレビ中継があるんです。そしたら、学校の広告になるわけやから、理事会も廃部にはできんでしょう」

 なるほど、これはチャレンジしてみる価値があるかもしれない。

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