メドゥーサとVR【お題:指向性の展示を見て】




 昔むかし、ある国に王さまがいらっしゃいました。王さまは国の民のなかから特に美しい女を百人おえらびになり、お城に呼びあつめなさいました。

 王さまはにこにこと笑いながら美女たちの前にお出ましになり、壇上の玉座につかれました。それから王さまは、召使いが運んできた飲み物を女たち一人ひとりにふるまわれます。綺麗な透明グラスに入った、黒く濁ったお酒です。百人の女たちはみな、喜んでそれを飲み干しました。

 するとどうでしょう、女たちの顔が醜く変わっていきます。濡れたようなつやのあった髪の一本いっぽんが毒蛇と変わり、澄んでいた瞳は汚く濁り、柔らかく膨らんでいた頬はこけて、口は裂けて唇は紫になりました。

 ある一人の女はびっくりして、隣の女と顔を見合わせます。そのとたん、二人の女は全身が石になって固まってしまいました。その近くにいた女はそれを見てびっくりして、隣の女と顔を見合わせます。そのとたん、二人の女は全身が石になって固まってしまいました。そのまた近くにいた女はそれを見てびっくりして、隣の女と顔を見合わせます。

 女たちは広間から逃げだそうと、扉の方へ押しよせました。しかし鍵がかかっていて開きません。こちらからは鍵を外すこともできないようです。

 広間には大きな窓がありました。今度はそちらへと押しよせましたが、扉と同じく外せない鍵がかかっており、開けることができません。身体をぶつけて窓を破ろうとしてみますが、分厚く頑丈な板ガラスはびくともしませんでした。また、窓の向こうは広大な森なので、人の気配がありません。これでは外の誰かに助けを求めることもできません。

 ふと見てみると、いつの間にか王さまの姿もなくなっています。

 さて、女たちは困ってしまいました。互いに目を合わせると石になってしまうので、床を見つめたり、座りこんで顔をふせたりします。助けが来ることを信じて待つ以外、どうすることもできません。みな黙りこんでしまい、広間は静けさに包まれます。


 それからしばらく時がたちました。灯された明かりが、お酒の飲み干されたグラスに当たって弾け、きらきらと輝いています。

 女たちはみな、ただ力なくうなだれていましたが、そのうちにお腹が空いたり、喉が渇いたりしてくる者もいました。

 ある一人の女は生きることを諦めました。そこで隣にいる別の女に語りかけます。

「ねえ、このまま待っていても私たち助からないわ。いいえそれどころか、苦しみが増すばかり。それならいっそ早く石になった方が楽というものよ」

「何を言うの冗談はやめて」

「いや本気で言ってるのよ、これがふざけている目だと思う?」

 そう言われて隣の女はついそちらを見ました。二人は石になります。それを見ていた女が驚いて別の女と顔を見合わせ、また石になります。

 そのことがあって広間が再び騒がしくなっているときでした。どこかでカタンと硬い音がしました。隅の方にいた女がそれを聞き、あたりを見回します。

 それは広間の壁の一箇所につけられた、小さな四角い窓が開けられる音でした。窓は床に接する位置に取り付けられていて、そんなものがあるとは今まで誰も気がつかなかったのです。

 女はそちらの方へ近寄ってみました。幅はそれなりですが、高さの低い窓です。腕を出すことはできそうですけれど、顔を出して外を覗くことはできないでしょう。

 女がその小さな窓を眺めていると、そこからゆっくりと差し出されてくるものがありました。お盆のような板に載せられた料理です。パンとスープ、サラダとメインディッシュ、それにデザートまでついています。

「食事が」

 そう叫んで振り返ると、広間のみなの目がこの一人の女に集まりました。たくさんの目のうちの一対と女の目が合い、二人とも石になります。

 ある女が、小窓から入ってきた料理に気づきました。そしてそれを取り上げます。すると次のお盆が差し入れられます。次から次へと料理がやってきて、広間にいる全員に行きわたりました。すると小窓はまた音を立てて閉まります。外から鍵がかけられ、広間の中からは開けられなくなりました。

 残されたのはそれぞれの手にある、湯気の立つおいしそうな食べものです。ちょうどお腹をすかせていたころでした。最初に料理を手にした女が、まずそれを口に運びました。他の女たちは彼女のことをじっと見つめています。

「おいしい。とてもおいしい」

 にっこりと女は笑って、周りの女たちにそう言いました。そのときに彼女を見つめるみなの中の一人と目が合い、二人が石になります。

 女たちは夢中になって料理を口に運びました。これまでに食べたことのないような、味も香りも食感も何もかもがすばらしい一級品の食事で、思わず笑みがこぼれます。女たちはそうしてしばらくのあいだ幸せをかみしめました。


 さてお腹が満たされると、今度はトイレに行きたくなります。しかし広間にお手洗いがあるとは思えず、女たちは困りました。限界の近い二人がこんなことを話します。

「このままじゃ私たち漏らしてしまうわ」

「そんな恥をかくくらいならいっそ石にでもなってしまった方がどんなにいいか」

 二人は目を合わせました。

 しかし、この二人とは違ってトイレを諦めない女もいます。広間の中でどうにかして用を足すことができないかと、あちこち歩き回ります。すると女は、壇上の玉座が変わった形をしていることに気づきました。

 それは金色で、あちこちに綺麗な宝石がはまっている、豪華な玉座でした。肘掛けや背もたれにもきらびやかな装飾が施されています。けれども座面にはちょうどいい大きさの穴がぽっかりと開いており、穴には水がたまっています。背もたれの後ろを覗くとタンクがついており、レバーをひねれば水が流れ、同時に手を洗えます。脇には温水洗浄の操作パネルがついており、さらには洗った手を乾かす温風機まであります。よく見れば、強力脱臭のボタンもあります。音を気にする人のために、水の流れる音を出すボタンもあります。

 玉座は最高級の便座だったのです。

 女はさっそくそれを使うことにしました。これなら心おきなく用を足すことができます。実際に使って見ると、これまでに経験したことのないような快感です。女はしばしその幸せに酔いしれました。

 やがて、女がトイレを使っていることに気づいた他の女たちも、玉座の周りに押し寄せました。すっきりして余韻に浸っていた女は油断していたのか、つめ寄ってきた女の一人と目を合わせてしまいました。

 女たちは玉座にすわったまま固まった女をどかすと、順番に用を足しました。けれども人数が多いので、待っている間にこらえきれなくなった女たちは、仕方なく目を合わせて石になりました。

 しばらくして女たちは食事とトイレを済ませました。すると満足したせいか、今度は眠くなってきました。他にすることもないからというので、それぞれ床に横たわり、眠りに落ちます。広間は暖かいので、風邪をひくこともなさそうです。


 ある女が目を覚ましました。すると、寝相の悪い別の女が自分の目の前に寝ています。その女がふいに目を開けたので、二人の目が合いました。

 さて、また壁の小窓が開きました。食事の時間です。

 ある女が自分のお盆を取ります。すると後ろにいた女がいきなり彼女にぶつかりました。女が手に持っていた料理は床に落ちて、ぜんぶ台無しになってしまいました。ぶつかった女が笑って言います。

「アラアラ、目を合わせちゃいけないと思ってよそ見してたら、気がつかなかったみたい。でもそっちも不注意だったんだから、私は悪くないわよ」

 その声にも、去っていく姿にも、覚えがありました。女は、前にトイレを待たせたことでこの女を怒らせたことがあったのです。今回のことはそのときの仕返しに違いありません。

 食事はそのとき広間にいる女の人数ぶん、ちょうどしか与えられないので、待っていても代わりのお盆がやってくることはありません。食べるものを手に入れられず立ち尽くす女をよそに、四角い小窓はカタンと閉じてしまいました。

 女は腰をかがめて、床に落ちたパンに手を伸ばします。

「よかったら私のを一緒に食べる?」

 その声に顔を上げると、顔を横に向けた一人の女が立っています。

「でも、あなたのぶんが減ってしまうのは申し訳ないわ」

 女は目をそらしながらそう答えましたが、正面に立つ女が持っている温かな料理を見て、食欲をかき立てられるのでした。

「遠慮しなくていい。今はそんなにお腹も空いていないし」

 女はそう言うと床に腰を下ろし、黙って料理を口に運びはじめました。とくべつ美味しそうな表情もしてみせずに、さっさと食事を終えてしまうと、お盆を女の方へ押しやります。どの皿にも半分ほどが残っています。

「ごちそうさまでした。あとはどうぞ。ま、食べかけが嫌なら無理にとは言わない」

 そう言われると遠慮もできず、女はありがたく料理をいただくことにしました。気のせいでしょうか、なんだかこれまでよりもさらに食事が美味しく感じられます。食べ終わってお礼を言うと、女は何も言わずに横顔で微笑みました。

 それ以来、この二人はともに過ごすようになりました。お互いに相手と気が合ったのかもしれません。一緒に食事をとり、夜になると一緒に眠ります。

 ある夜のことです。目を閉じてうとうとしている女の手をそっと包む、もう一つの手がありました。女です。手を握られた女はすぐにそのことに気がつきましたが、そのまま眠ったふりをしていました。耳もとでくすぐるような囁きが聞こえます。

「目を覚まさないで。顔を見させて」

 広間には夜の間もずっと明かりが灯されているので、女が目を開ければ二人は互いの姿を見てしまうのです。女はしずかに答えます。

「だいじょうぶ、ちゃんと眠っているわ」

 爪のとがった、細い指どうしが絡まり合います。紫に変色した唇どうしが重なります。肩を抱き合って、互いの胸の音を聞きます。内緒ばなしをする子どものように、くすくすと笑みをこぼします。

 それから二人の女は目をつむったまま泣きました。

 女の頬に、女の手が添えられます。

「涙と一緒に、石になる毒も抜けたらいいのに」

「試してみる?」

 そこで、せーののかけ声で同時に目を開いてみます。そして相手の濁った瞳の中に、同じように濁った自分の瞳を見つけました。

 二人の女はくっついて一つの石のかたまりとなり、これからもずっと一緒にいられます。


 そのつぎの日、また壁の小窓がカタンと音を立てました。

 まだ食事には時間が早いようです。不思議に思った女たちがそちらを見ていると、やがて小窓から何か黒いものが放りこまれました。小さな四角い箱にベルトのついたものです。一人が拾い上げてみますが、彼女にはそれが何なのかわかりません。首をひねっていると、後ろで見ていた別の女が言いました。

「それ、VRゴーグルですよね」

「VRなのね」

「つまりヴァーチャルリアリティです」

「ヴァーチャルなのね」

「仮想現実のことです」

「仮想なのね」

 女はVRゴーグルを頭に装着します。そして辺りを見回します。

「なんか普通というか、特に面白くもないかなあ」

 ゴーグルは同じものが人数ぶん用意されていました。隣の女も、それをつけてみます。

「変ですねこれ、普通に見てる景色と何も変わらない」

 見えるのは広間とそこにいる女たちばかりで、ゴーグルなしで見ているいつもの景色と何ら変わったところがありません。けれども機器の故障ではないようです。女たちは確かにVRの像を見ているのです。

「現実とまったく同じものが映るだけ。って現実かよ。仮想はどこいった」

「ちょっと待って、これすごいかも」

 とつぜん一人の女がそう声をあげました。彼女もゴーグルをつけています。首をかしげる周りの女たちに向かって、女は言います。

「これをつけていれば私たち、目を合わせずに周りのものを自由に見られるわ」

 たしかにこの女の言うとおりでした。機器で目が隠れているので石になる心配はなく、しかも周りが見えなくなるわけではないから生活するのにも問題はなさそうです。そこで女たちは全員、ゴーグルをつけて生活することにしました。

 こうして石になる危険は取りのぞかれ、女たちの暮らしに安らぎが取り戻されました。これまでは他人と目を合わせるのを恐れて、うかうか顔も上げられませんでしたが、これからは堂々とできるのです。

 女たちは以前より、互いに会話を交わすようになりました。いつも静かだった広間の中に、にぎやかな声が絶えません。彼女らはしだいに自分に自信を持ちはじめ、ますます積極的に周りとコミュニケーションをとるようになります。

 たくさんのゴーグルが黒光りして動き回っています。女たちの見るVRの中でもそれは同じで、自分以外の女たちみなが黒い箱を顔にはめて動いているのがわかります。最初のうちは慣れませんでしたが、周りが平然とそうしているので、やがてそれを気にする者もいなくなりました。


 それからしばらく後のことです。

 一人の女が死体となって見つかりました。広間の壇上、玉座の裏側にある、うす暗くて人目につかない場所です。倒れた女のかたわらの床には、その顔から外れたVRゴーグルと、食事に使うナイフが落ちていました。女の顔を見て見ると、両目がつぶされており、そこから大量の血の涙があふれています。ナイフの刃にも血がついているので、これで両目を刺されたものとみえます。

 広間は騒然としました。死んだ女とふだんから仲良くしていた女が、事情をきかれました。この女は死体の第一発見者でもあります。

「べつに、特に変わったようすは。お手洗いに行くと言って、しばらくたっても戻らないから探していたら、あんなことになってて」

 犯行の手がかりがないか、全員に聞きとりがされましたが、誰からも有力な情報は出てきませんでした。

 友人に死なれた女は、みなから離れて一人で過ごすようになりました。黒いゴーグルの奥に隠れた無数の目が、自分のことを疑いの目で見ているような気がしてならないのです。周りの女たちの方でも、人を避けるようにしているその女に話しかけることはなくなりました。

 女はひとりぼっちで食事をします。その手に握られたナイフの、銀いろの刃がチラチラと輝きを放ちます。女がふと後ろを振りかえると、遠くにいる女たちが一斉に彼女から目をそらしたように思われました。

 さて、ある日のことです。

 ひとりぼっちでいたあの女の姿がどこにも見当たりません。それに気づいた他の女たちは、おそるおそる玉座の裏の暗がりをのぞいてみました。

 果たしてそこには、あの女が倒れており、その目には深々とナイフが突き刺さっていたのです。

 女たちは、凶器のナイフがいったい誰のものだったのかを調べようとしました。しかし、広間のあちこちに今までつかってきた無数の食器類が散らかしてあったのですから、いつ誰の使ったものが凶器になったのかわかりません。それに、そこらに転がっているナイフを誰でも拾えたのですから、凶器から犯人を特定することもできないようです。

 とりあえず散らかしてある食器を一箇所に片づけて、誰かがそこへナイフを取りに行くようなことがあれば周りに気づかれるようにしました。けれども、犯人がすでにナイフを隠し持っている場合、犯行はじゅうぶん可能なのです。今までに使ったナイフの数などおぼえている者はいませんから、もしそのうちの数本がなくなっていても誰にもわかりません。

 そこで女たちは交代で玉座の裏を見張ることにしました。

「二人一組でいいよね」

「丸腰というわけにいかないから、見張りの間は護身用にナイフを一本ずつ持つことにしよう」

 そうして二人の女が玉座の裏へ立ったのでした。

 ふだんなら仲の良い二人でしたが、薄気味わるい場所のせいか、言葉が少なくなります。黙ったまま向かい合っていると、黒いゴーグルに隠された相手の目がニヤニヤと笑っているような気がしてきます。

「そういえば、死んじゃった二人だけど、なんで目を刺されたんだろうね」

「さあね」

「あと思ったんだけど、犯人が複数ってこともありえるよね。もしそうなら見張り二人じゃ不安じゃん。そうだ私、誰かもう一人くらい呼んでこようかな」

「ちょっと待てよ。なにそれ、なんか適当なこと言って私のこと疑ってるでしょ。私が犯人だと疑ってるから、応援を頼もうってわけね」

「そんなんじゃないけど」

「わかった。あんたみんなのところに行って、私に襲われたとか言うつもりだ。私を犯人に仕立てあげるつもりね。ふざけないでよ。あんたこそ犯人だわ」

「いきなり何を。妙にあせってるわね。私が犯人だとか勝手にわめいて、そっちこそ怪しいじゃない。だいたい前からなんとなくおかしいと思ってたのよあんたのこと。なに考えてるかわかんないし、表面上いい人ぶってるけど実は悪党。やっぱ私の勘はあたってたんだ。来るなこの殺人鬼が。近づくと刺すぞ」

「フンようやく本性をあらわしたわね。さあ、そのナイフで私を殺せばいいわ。私が死んだら犯人はあんた以外にいない。まったく恐ろしい女ね。みんなの目は騙せても、私は騙されないよ。あんたの性格がわるいってことはもともと気づいてたし。ぜったい裏で危ないこと考えてると思ってたけど、やっぱりだ」

「だまれ殺すぞ」

「やってごらん」

「目を刺してやる。私がトイレに行った隙に、どこかに潜んでいた犯人があんたを殺したということにすれば言い訳が通るわ。疑われたところで、私がやったという証拠はないんだし」

「うるさい。こっちがお前の目を刺してやる」

 興奮した女たちは、お互いに相手のゴーグルをつかむと、勢いよくそれを取りはらいました。二人の燃えるような目と目が合い、彼女たちはそのまま動きを止めます。


 見張り作戦は失敗におわりました。

 女たちは、もう誰のことも信用できなくなってしまい、他人との関わりをやめてそれぞれ一人で過ごしています。しかしゴーグルの奥から他人の目がこっそりと自分のことを窺っていると思うと、気が滅入って息もつまります。そして自然と伏し目がちになり、しだいに自分に自信がなくなってくるのです。

「そう言えば今朝はごはんを食べたっけ? トイレは行ってない、いや行ったか。ずっと寝てたのにまだ眠いな。あれ、ずっと寝てたのは昨日だったような気もする。考えてみれば別に眠くもない。ああごはんまだかなあ。そうだトイレ行こうかな」

 ぼんやりそんなことを考えていた女は、とつぜんナイフで自らの目を突いて死にました。他の女たちはそれを見るともなく見ましたが、騒いだりしません。このごろはこんなことがよく起きているからです。同じようにして前ぶれもなく死んでいった者がたくさんいました。それでみな慣れっこになってしまい、なんとも思わないのです。

 人が死のうが何が起ころうが、女たちは声を発しないので、広間の中はかつてないほど静まりかえっています。

 そんなとき、また壁の小窓が開きました。

 放りこまれたのは、VRゴーグルです。手に取ってみますが、前から使っているものと見た目はまったく同じです。ある女がその新しいゴーグルをつけてみますと、これまた不思議です。目に映るVRの像も、今までと何も変わったところがありません。ただ、かわりばえしない広間の景色が現実のままに見えているだけです。

 とその時、別の女が言いました。

「あっ目が。外に目が映ってる」

 女は窓のところへいき、ガラスに映る自分の姿を見ました。それで言われた意味がわかりました。こんどのゴーグルは、その外側にそれをかけている者の目が映像としてうつし出されるのです。自分が右側へ目を動かせば映像の目も右を向き、左へ動かせば映像もその通りになります。

 つまりゴーグルの中で見えるVR像はこれまでと変わりないのですが、今までは隠されていた自分の目が他人に見られるようになったのです。外側に映った目は本物の目ではなく映像ですから、その映像と目が合っても石になることはありません。不思議なことのようですが、本物の目と目が合わないようにいったんゴーグルで隠しておいて、隠された目が見えるように再び映像の目をうつしているのです。

 女たちは新しいゴーグルをつけました。するとこれまでとは違い、他人の目つきや目の動きが見てとれます。まなざしが窺えると、表情を読みとることもできます。そして表情からその人のようすや気分を推しはかることもできるようになりました。

 女たちの生活はこれを機に変わっていきました。彼女たちはふたたび他人とコミュニケーションをとるようになったのです。

 もっとお話をしたいときは、相手の目の映像を見て笑いかけます。話に興味がなくなると、それとなく目をそらします。目は口ほどにものを言うということを女たちはいつのまにか心得ていて、相手の目つきから多くのことを読みとり、その人とより良い関係を築くにはどうしたらいいかと考えました。あるいは相手と波長が合わないことを感じとると、穏やかに笑ってさりげなくその場を去るのです。

 話すことはおよそどうでもいいことばかりですが、女たちにとってはそれが楽しいことなのです。意味のあることなど話してもここでは意味がないということを彼女たちは知っていました。好んで語るのは過去のことです。嫌いなのは未来のことでした。この広間には未来がないからです。女たちには昔と今しかなく、それらをより楽しもうとするのでした。

「まだ殺人犯はここにいるのかな」と女が言いました。

「そんなのはじめからいなかったんだわ」と答える女の目が光りました。

「どういうことよ」

「きっとここで生きることに耐えられなくなった人が、自分でここから去っていっただけ。それを私たちが勝手に、誰かに殺されたんだと勘違いした」

「ふうん。まあそうかもね」

「そうだよ。その方が幸せでしょ、いなくなった人たちも。残った私たちも」


 窓の外に青い月がかがやく夜でした。

 女がふと広間を見わたすと、いつもより人の数が多いような気がしました。ためしに数えてみるとちょうど百人いるようです。みなとても美しい女たちです。濡れたようなつやのある髪、澄んだ瞳、柔らかく膨らんだ頬、形のよい赤い唇。

 もしこれがVRの見せるまぼろしだとしても、その方が幸せなら、それが女たちにとっての現実でした。彼女たちの現実はいつも幸せで、だから広間は幸せに満ちています。


 そしてまた、カタンと小窓の開く音がしました。


(了)

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お題作品 月橋経緯(つきはし・けいい) @ikisatsu

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