オアイソには早すぎる

雪車町地蔵

オアイソには早すぎる

「なに、食べる?」

「そうね、オアイソにしようかしら」

「早いよ」


 彼女はとぼけるようにそう言って、彼は肩を揺らして笑った。

 変わらぬ友情を誓い、彼らは寿司を食べた。


§§


 は死んでいた。

 冷凍マグロで頭部を一撃。撲殺だった。

 刑事である彼は、その事件現場で愕然としていた。

 被害者の周囲にはイクラが散乱していたのだ。


「まるで、産卵現場だな……」


 彼の同僚が口元を覆いながらそんなことを呟いたが、彼の耳には届かなかった。


§§


 彼はあてどもなく混雑の海を漂っていた。

 件の事件は暗礁に乗り上げ、依然として犯人の行方はつかめず、そもそも容疑者すらろくに名前が挙がっていなかった。遠くないうちに迷宮入りするだろうと、彼は睨んでいた。

 交差点を渡り、また大衆に埋没しようとした瞬間だった。


「久しぶりね」


 そんな声を掛けられた。

 彼の目の前に、彼女が居た。


§§


「お寿司、ふたりで食べに来るの、いつぶりかしら?」

「さあな……」


 彼女の言葉に、彼は肩をすぼめる。

 解らないし、解りたくなかったのだ。


「なにを注文するの?」

「マグロ――」


 そう言いかけて、彼は口をつぐむ。

 かわりに彼女が、


「私たち、親友よね」


 そう言った。

 彼は黙ってうなずいたが、それからゆっくりと首を振った。


「もう、違うさ」

「……そう」


 彼女の態度は、黄身のない卵のように淡白だった。


「現場には、イクラが散乱していた。魚卵だ」

「なんの話?」

「わざわざ撲殺するのに冷凍マグロを使った、赤身の部分だ。産卵期に入った自分に、脂がのっていることを隠すためだ」

「だから、なんの話よ」

「なあ、なにを頼む?」

「……そうね、じゃあ」


 彼女はオアイソをと言った。

 彼は笑わず、彼女のヒレに手錠をかけた。


「犯人は、サーモン――君だろ?」

「あら? あなただって脂ののった鮭じゃない?」

「俺は、鮭児けいじだから」


 鮭児――トキ知らずは卵を産めない。未成熟ゆえに。


「オアイソには早すぎる」


 事件を解決した彼は、独り寂しげに呟いた。

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