キャミソール1枚ということは


 カーテンの隙間から朝の光が射す瞬間を見た。どうしても眠れなくて、一晩中いろんなことを考えていた。


 なるべく人と関わりたくないと思っていた。他人は煩わしい。触れてほしくないところに爪を立てたり、踏み込まれたくない領域に土足で入り込んでくる。できるだけ一人で生きたかった。他の誰にも依存せず、自分の力で立ちたかった。それがどうだ。気づけばこんなにも誰かを想っているじゃないか。


 今ならわかる。私は私を軽んじることのない、自分を大切にしてくれる誰かを求めていた。認めるよ。


 もう一度詩恵奈に会いたい。


 余計なものを取り払い、本音を自覚した途端に少しだけ気力が湧いてきて、その勢いのまま少し早めの朝食を摂ることにした。しかし冷蔵庫はスッカラカンになっている。そういえば昨日、翌朝の分として買っておいたトマトをサラダに使われていた気がする。


 コンビニに行こうと寝間着の上にコートを羽織って前を閉め、マフラーを巻いて家を出た。階段を降りかけたとき、城之内がコンビニ袋を下げて歩いているのが見えた。そういえば、城之内とはあの夜の詫びのメッセージを送って以来会っていなかった。


 じわじわと湧いてくる熱に突き動かされて、城之内を呼び止めた。彼が鍵を開けた瞬間だった。


「おはよう、ございます」

「あ……おはようございます」


 城之内は開けかけた扉を閉めて応えてくれたが、どこかぎこちない。


「あの、この前は…………私、本当に失礼な振舞いをしてしまって」

「え? ああ、全然。俺の方こそ。気にしないでください」

「……稽古、どんな感じですか?」

「充実してますよ。かなりハードですけど」


 で、本当に言いたいことはなんですか。


 そんな目をして見つめられた。見透かされている。新しい選択肢を見つけたあの日から、城之内には聞いてほしかったことがある。私がこれから選ぼうとしていること。


「あの、実は……………」


 言いかけたそのとき、城之内の部屋の扉が開いた。城之内が開けたのではない。中から何者かにゆっくりと押されたのだ。


「ジョー? 何してんの?」


 世界の全てがスローモーションになる。


 扉を開けたのは詩恵奈だった。キャミソール一枚で、他には何も身につけていない。私に気づいた詩恵奈が固まって、私も城之内も閉口した。早朝の無音の中、車が遠くを通り過ぎる音だけが響いた。


 どうして詩恵奈がそんな格好で城之内の家にいるの。


 答えのわかりきっている質問だ。泊めてもらった「お礼」をした、これはそういうことだろうか。


 頭の血管が切れそうだ。詩恵奈と城之内に対する怒りが腹の底から込み上げてくる。顔が歪んでいる自覚があるが、自分ではどうすることもできない。


 私は言葉にならない言葉を叫んで扉を叩くように閉めた。衝撃で表札が頭上に落ちた。こんな状況で無ければコントみたいだと笑っていただろう。表札を拾い、黙ったままの城之内に押し付けて通り過ぎる。泣きながら睨んでしまうような気がして、顔は見れなかった。

 私はかつて、夢を追うなら脱ぐなと詩恵奈に言ったはずだ。アイツは何を聞いていたんだ。城之内も同罪だ。彼氏いるくせに。私と一緒にいた時間の方が長かったのに、私のことは全然そんな風には見なかったくせに。最低だ。何もかも。詩恵奈も、城之内も、自分も。どうしようもなく惨めだ。悔しさにも悲しさにも似た惨めさが渦巻いて、私の首を締め上げる。

 早歩きで去る私の手首を城之内が掴んだ。振り払うことができない。


「志維菜さん待って、話そ」

「離して」


 何を話すことがある。頑なに拒むと城之内が微かに舌打ちをした。


「いいから! 来い!」


 初めて聞く城之内の声の色に怯んだ。強引に引っ張られ、扉を開いて部屋に押し込められた。玄関に詩恵奈が立っている。今度は城之内のものであろうサイズの大きい黒のTシャツを着て、自分のつま先を見つめている。


 数時間の別離の末、私たちは私たちの部屋の真下で再会した。


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