ゴー!ボーイフィッシング


「いい? これは失われた自信を取り戻すRPGよ」


 そう言われた二時間後、"可愛い女"のコスプレをさせられた私は日曜の新宿に放り出された。新宿を選んだのは私も詩恵奈も東京の土地に詳しくないので、電車の乗り換えをせずに来られる場所を選んでのことだった。


 詩恵奈は少し離れたところから私の様子を見ていて、私は男性に声をかけられるのを待っている。くだらないと思いつつ、詩恵奈に乗せられてここまで来てしまった。


 今朝、詩恵奈は塗り絵をするみたいに私にメイクを施した。

 似たような色をトントンパフパフ、ラベンダーカラー、リキッドファンデーション、ハイライト、シェーディング、クリームチーク、パウダーチーク、そして仕上げに同じくラベンダーカラーのルースパウダーを大きなブラシでサラリと乗せた。まゆげを作るだけでもペンシル、アイブロウシャドウ、眉マスカラと3つの道具を駆使した。詩恵奈の二段重ねのメイクボックスには、目を見開くほど多彩なメイク道具が詰まっていた。


「あれ、志維菜ってアイプチやったっけ? これ触っても大丈夫?」

「整形だから大丈夫」

「ふーん」


 カミングアウトに対しての反応はそれだけだった。余計な詮索や、感想を述べることがない。鼻息のような返事だったが、なんだか救われた。


 そこからさらにメイクは続いた。まぶた全体にゴールドのアイシャドウを広げ、目尻には二重幅いっぱいにピンクのシャドウ、アンダーラインに白を引いて白目の範囲を拡張。アイラインはブラウンを使い、目頭側の涙袋に赤みのシャドウを乗せ、ロングタイプのマスカラでまつげの長さを足す。

 リップはティントルージュのピンクコーラル。色が落ちにくく、きれいな発色が長時間続くと評判のものらしい。

 こんなに顔にゴテゴテと色を乗せて、ド派手になりやしないかと懸念していたのだが、仕上がってみると意外にもナチュラルで、やわらかさの中に女性らしさをくっきりと縁取るような印象を与えた。「これが、私……?」と思ったが、言うとバカみたいなので胸の内に留めておいた。


 詩、曰く、派手に着飾れば強気にはなれるが、他人に敬遠されてしまう。


 ということで、コーディネートは脚が隠れるベージュのガウチョパンツ、アイボリーのロングコートにタイトなオフホワイトのニット。アクセントに少し大きめのカーマインレッドのエディターズバッグとヒールの低い黒のショートブーツを合わせた。髪は内巻き。私の短い髪は顎のラインでゆるやかにカーブしている。これで"可愛い女"の出来上がり。


 詩、曰く、わかりやすい露出はしなくてよい。過度に性別をアピールせず、ただ人として清廉に、ゆるり、ふわりと佇む。それだけで。


「あの、すいません」


 簡単に人が釣れるのだという。


 道を尋ねるかのような堅さで、私より二、三個年上らしき男性が声をかけてきた。


「今友達と待ち合わせしてて、たまたまお姉さん見かけたんですけど、なんていうか、めちゃくちゃタイプで、 思わず声かけちゃいました。ボク、医大の三回生なんです。お姉さんも学生ですか? 二回生くらい?」


 私の方が年上だった。しかも私は高卒の二十三歳だ。


「えー、っと、そんな感じです」

「普段何してるんですか?」

「就活とか……?」

「え、二回生なのに?」

「前倒しで……?」


 ものすごく不毛な会話だ。だって、この人の魂胆が見えている。


「あの、よかったらID教えてもらえませんか? ほんと、お姉さんタイプなんです! 可愛い!」

「ごめんなさい、彼氏に怒られるので……」


 彼氏などいないがな。あっ、何これ自打球。自分で自分に致命傷を負わせてしまった感じ。最も虚しい嘘ランキング堂々の第一位ではないか。これは痛い。


 それでも食い下がってくる男性の対応に困っていると、詩恵奈が颯爽と現れ「ごめんあそばせー!」と私の手を引っ張ってその場を去らせてくれた。男性は苦い顔をして身を翻した。


「今のはあかんわ、アレは最初から遊ぶ女を探してるな。こんな早朝からようやるわ」

「十一時は早朝じゃない」

「で、どう? まあ、悪い気はしやんやろ?」

「なんか騙してるみたい……」

「これもコスプレグリーティングみたいなもんやって」


 確かに悪い気はしなかったけれど、コスプレグリーティングとは全然違う。私もいい年だが、女を品定めするような男性の視線は未だに苦手だ。


 詩恵奈は、私に足りないのは異性との接触だと思っている。だから手早くナンパに声をかけられることで「私は男性に声をかけられるほど魅力的な女なのだ」という自意識を持たせることを狙っているらしい。今までの経験が表れる、詩恵奈らしい発想だと思う。遊べそうな女だと軽んじられているとは考えないのだろう。


「ナンパしてる人もさ、女を釣るためにわざと褒めまくってるわけでしょ? そんなのに喜ぶなんてバカみたいだし……」

「そこは見極めんねん。ヤリ目的で寄ってくる奴の中には、思わず声をかけてしまったパターンの人もいてるから。稀に」


 稀にかよ。


「女やったら何でもいいってわけちゃうんやろうし、見た目はイイに越したことないんやから。ちなみに最初に声かけてきた挙動不審のおにーさんとかは思わず声かけちゃった系やと思うで」


 最初に声をかけてきた挙動不審のお兄さんはマスクをしていた。体がペラッペラに薄くて、私より頭一つ分背が高かった。


「あの、すいません。えっと、わ、わあ〜〜」


 背後から呼び止められて足を止めた。彼は前に回って私を見て、「ほあ〜〜」と謎の声を漏らした。


「え〜〜っと……お出かけですか?」


 どう見てもお出かけだろうが。


「あの、おいくつですか?」


 あかん、コイツいきなり年聞いてきよった。


「二十三です……」

「あ、わかーい」


 沈黙。で、なんやねん、という間。男性もそれを察したのか、言葉を探しながら訥々と話し始めた。


「あの、すごく……きれいだなあと思って声をかけさせてもらって、その……いや、ほんとうにきれいだなあ……。もしかしてモデルさんですか?」

「いや、モデルではないです……」

「じゃあ女優?」

「まあ、そんな感じの……」

「ほああー、やっぱり……」


 一方的に情報を引き出されるのはフェアじゃないなと思って、ここで相手のことを聞き返した。


「二十八です。普段はフツーのサラリーマンでPCカタカタしてます」


 サラリーマンにしてはパンクな服装だった。黒のロングコートの中には紫と黒のボーダーのカーディガン、ゴツめのウォレットチェーン、ダメージの入った黒スキニー、軟骨に開いたピアス、のりタイプのアイプチ。男性でアイプチを使っている人を見るのは初めてだった。そこは親近感。


 全体的にぬるっとした会話で居心地が悪かったが、この人にきれいだと言われるのはお世辞でも悪い気はしなかった。適当なことを言ってる風ではなく、無計画に声をかけてしまったのでどうしたらいいかわからないようだったから。

 多分、この人の悪いところは相手のことを訊くばかりで自分の情報を出さないところ。道端で声をかけてきた見ず知らずの人間が身を明かさずに情報を引き出すばかりだと、こちらとしては警戒する。この場合はこういうことに慣れていないのだろうな、と思えたので逆に安心だったけれど。


 結局押されるがままIDの交換をしてしまったが、相手の姿が見えなくなってから光の速さでブロックした。


「よし、じゃーあと二、三人釣ろっか。改札前まで戻ろ」

「もういい。やめる」

「なんで? ちょっとも自信つかんかった?」

「……オシャレして、メイクもちゃんとしてもらって、なんか自分でも可愛いかもって勘違いできて、それは楽しかったよ。けど、なんか違うかも」


 よくわかった。こういうのは私らしくない。


「恋愛対象……ちがうな、性の対象みたいな感じで見られたり、通りすがりの知らない人にキレイとか言われるのは、私の思う自信には繋がらないっていうか……うまく説明できないけど、なんかさ、それって全然自分で立ててないよね。私には、一人で生きていく上で、信念とか技術とか、自分に対しての揺るぎない自信が必要なんだと思う。だから、他人の褒め言葉を支えにしちゃだめだ。まず自分が自分をイイって思えるようにならなきゃいけないし……たぶん、それは自分でしか作ることができない」


 だけど、感じたこともある。普通に生きていたのなら一生出会わなかったかもしれない人たちに出会い、話をした。私の嫌いな上っ面だけの会話。不慣れでぎこちなかったが、私は臆さずに挑んだ。それは自分の知らない部分を知ることでもあった。初対面の相手の目を通して自分を見るようで、今まで疎んで避け続けてきたことの中に、少しだけ大切なことが転がっているのを見つけたような感触がある。今までずっと自分の息のかからないところにあるものを無視していたけど、触れてみると広がることもあるものだ。少しだけ世界がよく見えるようになった気がする。


 医大生、サラリーマン、役者、絵描き。属する世界の違う者が片時でも交わる。お世辞を言われるよりも、そちらの事実の方が遥かに私をワクワクさせた。


「それに、男の人に声なんかかけられなくても、詩恵奈にメイクしてもらっただけで充分かも」

「あら〜〜、そう〜〜?」


 詩恵奈は頬に右手を当て、左手をパタパタと私に向けて仰いだ。ちあみも照れるとよく同じ動作をした。詩恵奈とちあみが重なって見えることが多くて、その度に私は目を逸らすことになる。こういうところもそろそろ変えなければならないだろう。


「……自分で立ててない、か」


 詩恵奈はスマホを取り出して、何やらササッと操作をし、すぐにバッグに直した。どうやら連絡先をブロックしたようだった。詩恵奈も私とよく似た格好をしているが、私が男なら、私よりも詩恵奈に声をかける。


「じゃーこれで釣りも終わりやな。よし、遊ぼっか! パンケーキ食べたい! あ、でもラーメンも食べたいな。店員が覆面付けてるっていうとこ行きたい。アレ遠いんかな〜〜。なんせご飯食べよ。お腹すいた」


 詩恵奈と出会ってもうすぐ二ヶ月になる。いろんな表情を見てきたが、年相応に街に目を輝かせる詩恵奈はいつもより綺麗に見えた。



 ☆




 会いたいけど

 やっぱり会えそうにないし

 でもやっぱり会いたいような気もするけど

 仕事を投げて会いに行くほど

 会いたいわけではないから

 私たちって結局その程度の関係なのよね

 true loveはどこ〜〜♪


 隣の部屋から流行りの曲が聞こえてくる。どいつもこいつも同じようなことを歌いやがって。私と詩恵奈は六時間のカラオケ滞在に疲れ、ダラダラとソファに寝転ぶタイムに突入していた。


「そろそろ帰ろっか」

「晩ご飯どーする?」

「家で食べよ。お金使いすぎた」

「それな〜〜。なんか簡単なんでいい?」


 自動精算機で支払いを済ませ、店を出て駅に向かう。ホームにはもう電車が到着していて、半分駆け込むような形で車両に飛び乗った。満員とまではいかないが、車内はそこそこ混み合っていた。


「………ん、あれジョーかな?」


 咄嗟に乱れた前髪を整える。詩恵奈の視線の先には、腕を組んでうつむいているキャップを被った男性が座席にいた。乗客の合間を縫って接近する。間違いなく城之内だった。


 声をかけようとした瞬間、詩恵奈が城之内のキャップを「ていっ」と勢いよく剥ぎ取った。ニヤけていた城之内の顔が一瞬で戸惑いの色に染まり、私たちの姿を認識すると表情がぐにゃりと歪んだ。


「なんだよ、ビックリするじゃん」

「こっちがビックリやわ。何ニヤけてんねん」

「あーー、恥ずかしい……ちょっと考え事してたから」

「なに? ニヤニヤしちゃうようなこと?」

「……二人ともお出かけ? 今日なんかいつもと違うね」

「ちょっと釣りにな。可愛いやろ?」

「はいはい可愛いよ」


 で、何なんですか、と問う視線を城之内に向けられる。


「いや、だから釣りに……」

「釣り?」

「失われた自信を取り戻すRPG……」


 改めて言うとめちゃくちゃ間抜けだな、と思った。


「その話はええねん。で、なんなん? どんなイイこと? 」


 一瞬答えるのを迷ったようだが、イイことに対する嬉しさの方が勝ったようで、城之内はニヤけるのを嚙み殺すように唇を引き締めた。


「……ちょっと、あんまり大声では話せないんで、これで」


 城之内はスマホを取り出し、文章を打ち始めた。すぐに詩恵奈のスマホが振動する。二人で画面を覗き込む。


『今日、製作会社に呼ばれて行ってきた。この前WS受けに行ったところ』


 スマホの振動は続く。


『ドラマの出演が決まった』


 わあ、と詩恵奈は口元を押さえて喜んだ。

 同じように私も口元を押さえた。表情を隠したかった。強張ってしまって上手く笑えない。


 城之内の発展、喜ばしいはずの知らせを、心底知りたくなかったと思ってしまったのだ。


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