そうは言っても志維菜さん


 心臓の音が全身に響いてうるさい。激しい鼓動が心臓の位置を主張しているみたいだ。高まったまま鎮まらない、心地よい疲労感と充足感。激しく動かした体は少し重いが、心の方はもっとやりたいと求めている。高揚していた。それは城之内も同じらしい。


 肌は汗ばんでいて髪も乱れている。お世辞にも素敵な格好とは呼べないが、見かけに構う余裕も無く、私たちは過ぎ去った時間の濃密さに思いを馳せている。心と体がうずいている。第二ラウンド待った無しだ。雨音がうるさいので、私たちは強めに声を張った。


「いや〜〜」

「ね〜〜」

「ハッハッハ」

「最っ高でしたね」

「ね」

「……最っ高でしたね!」

「それな!」


 テンションが狂っているため、語り方を忘れてしまったかのように歪な会話だが、帰路、私たちはワークショップの内容について思う存分語り合った。


 アイスブレイクの手法、外国で長年に渡り様々なジャンルの演劇を学んだ講師の経歴に裏打ちされた能力、稽古の内容、参加者の質、プロが貪欲に学習と鍛錬に訪れる空間、極度の集中、余計なものが一切持ち込まれない神聖な時間。どれを取っても刺激的なものだった。


 参加者は十六人。城之内以上に厳しい環境で演劇漬けの日々を送る人間がゴロゴロいた。有名な劇団に所属する者、前期のドラマに出演していた者、ネットTVでMC番組を持っている者、中には私のように燻っているが志のある者もいた。共に稽古をすればわかるのだが、参加していたのは俳優である以前に人間として素敵な人達ばかりだった。


 日々人間に失望している私はかなりの衝撃を受けた。凄い人は世の中にたくさんいるのだ。つまらない有象無象に気を散らすより、先を行く人たちと自分との距離に絶望する方が遥かにイイと思えた。


 この人たちと私の差はなんだろう。この人たちにあって私に足りないものはなんだろう。プロとの実力差にかなり打ちのめされたが、正直かなり興奮した。本当の楽しさを知った、そんな感覚。言語化するのは難しいが、何が必要かを具体的かつ明確に感じることができたのだ。それは感動にも似ていた。


 私が望んでいた環境はこれだ。もう迷わないだろう。やはり私の職業は役者の他に無い。洗練された厳しい環境に身を置きたい。


 そのために、今回明らかになった課題をクリアする必要がある。私たちは自然と今日見た互いの姿について語り合っていた。


「あの、体の関節全部同時に動かすやつ、志維菜さん参加者の中で唯一褒められてたね」

「イヒヒッ」


 今日教わった、講師が二十年間続けているというエクササイズのことだ。とても楽しかったので、つい笑い方が魔女っぽくなってしまった。

 城之内が私を見て微かに息を吐く。


「そういう表情カオはイイのになあ」

「へ?」

「志維菜さんは芝居になると表情が不自然になるよね。その前の感情解放だとイイ表情カオしてるのに、なんか意識し過ぎてる感じになる」


 核心を突かれて少し痛い。その通りだ。

 城之内は私のコンプレックスを知っている。「人生で一番悲しかったこと」を扱った後日、「自分が一番コンプレックスに思っていること」についても話をしたのだ。

 私はずっとちあみのパッチリとしたまつげ上向きの二重まぶたが羨ましかった。今でも彼女と並ぶ写真を見ると辛いところがある。整形した目の他にも笑うと広がる小鼻とか、口が小さいところとか。だから養成所時代のカメラワークのレッスンが苦手だった。客観的に見る自分は鏡に映る自分よりも不器量で醜くて、これが他人が普段見ている自分だと思うと、卒倒しそうになった。


 城之内いわく、私は自意識とコンプレックスが肥大化しすぎているらしい。つまり、自分はコレがアレだと実際よりも過剰に思い込んでいるということだ。


「志維菜さんには自信が足りない。こんなに努力してるんだから、少しは自信持ってもいいのになあ」


 そうは言ってもなあ。こればかりは何度開き直ってもすぐ閉じてしまうのだ。役者にとって自意識過剰が致命的であることは理解している。しかし、容姿に関するコンプレックスは私の中にある根強い問題だ。こればかりはいい加減腹をくくる必要があるだろう。


「……どうしたら自信、持てるかな」

「やっぱ経験とか、何かしらの成功体験が効くんじゃないすかね…………コンビニ寄っていい?」


 頷いて城之内の後に続く。ピロリロ、と入店音が鳴る。店内はさすがに暖かい。城之内は真っ先にレジ前のおでんの機械に向かった。

 ふと、約束していたチーズタルトのことを思い出す。手ぶらで帰ったら詩恵奈が暴れるだろう。スイーツコーナーを覗くと手のひらサイズのレアチーズタルトが一つだけ残っていたので、これでいいか、と手を伸ばす。


「あっ」


 伸ばした手が男性の手とぶつかった。咄嗟に相手を見ると、手の主はかすがいだった。隣に住んでいるのに、顔を見るのは随分久しぶりだった。


「す、す、すいません」


 鎹は必要以上に気持ちのこもった謝罪を述べた。こちらこそ、と言ったが会話が生まれるわけでもなく、気まずい沈黙が訪れた。


「えっと……これ、買われます?」


 鎹は頷きかけて、途中首が凍ったように静止して、恐る恐る顔を上げて私を見た。やっと目が合った。


「これ、誰が食べるために……?」

「詩恵奈」

「アーー。アッ、アアーー、やっぱり。はいどうぞ。サヨウナラ。お気をつけて。お休みなさいっ」


 鎹は私の胸にタルトを押しつけてシュシュッと店を出て行った。そんな風に逃げなくてもいいのに、彼の心の詩恵奈問題も根が深いようだ。詩恵奈アレルギー。詩恵奈恐怖症。

 鎹はもしかしたら詩恵奈を恐れているだけでなく、私と同じで自分に自信が無いのかもしれない。納得して一人で頷いていると、城之内がおでんの入った袋を下げて私に駆け寄ってきた。


「お待たせしましたー。志維菜さんそれ買うの?」

「うん、詩恵奈に。タルト買う代わりに布団取り込むって約束したから」

「何だよそれー」


 城之内がふにゃあと笑う。ああ、この笑顔いいなあ。じょわあああっと浄化される感じがする。


 アパートの下で城之内と別れ、自宅に入ると雨音とは違う水音がした。シャワーの音だろう。タルトを冷蔵庫に入れ、玄関で雨に濡れたカバンを拭いていると、すぐに詩恵奈が風呂から上がってきた。いつものキャミソール姿だ。


「あ、おかえりー」

「ただいま。布団ありがとうね」

「ン、アア、ンンッ」


 返事一つでこんなに嫌な予感がすることなんてそうそう無い。確認しに行くと、雑に積まれた布団の上層、詩恵奈の掛け布団がほんのりと湿っていた。雨が降ってから急いで取り込んだのだろう。強めのデコピンの刑に処す。指をならして振り返ると、詩恵奈は脚にボディミルクを塗っていた。


 その姿を見て改めて思った。綺麗だな、と。今まで顔にばかり目が行っていたが、詩恵奈はスタイルも抜群にいい。手足は長くて細くて色白。胸もあるし、肉付きが薄い腰周りは綺麗にくびれていて、お尻もキュッと締まっている。モデルみたいだ。


 詩恵奈が常に堂々としているように見えるのは、この容姿に私が圧倒されているからだろうか。それとも、容姿に裏打ちされた自信が内側から滲み出ているのだろうか。どちらにせよ恥を忍んで聞いてみた。詩恵奈は自分に自信がありますか、と。


「え、考えたことなかった」

「私は、こう、ルックスに自信がないんだけど、詩恵奈は自分の外見をどう思う?」

「んーー……外見に関してはチヤホヤされる人生やったからなあ」


 しばいたろか と思ったが、本音なのだろう。自信過剰なようで嫌味のない言葉だった。


「でも、モデコン通るくらいやねんから志維菜もキレイやで。アレな人は身長あってもお断りやから。あたしも志維菜はキレイ系やと思うし」


 そう言われても素直に頷けない。私は自分をそんな風には思えないのだ。先ほどの城之内との会話の内容を詩恵奈にも伝える。


「まあ、男に褒められるのが一番早いんちゃう? 自信なんか自分イケてるって確信と他人からの賞賛がバーンドーンして出来上がるもんやろ。まあ、志維菜チャンにはその機会が無かったのね。ガツンと愛でられる機会が……よし」


 詩恵奈がヨイショと立ち上がる。早くちゃんと服を着てほしいなと思った。


「あたしが作ってあげましょう。志維菜の、自信をチェンジング……メイキングチャンス! ワンチャァンス!」


 文法的にはどうなのだろう、自信をチェンジングメイキングチャンスワンチャンス。

 とりあえず強めのデコピンをして、掛け布団が生きている私のベッドで詩恵奈と領土争いをしながら眠った。シングルベッドに成人女性二人並んで寝るのは窮屈だった。

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