決断の夜


 ――結局、その日はグラン・アナムジアで一夜を明かすことになったソラスの面々は、それぞれ与えられた部屋へと案内される。




(わかってる――本当は、俺がやらないといけないんだ、俺が――)




 リクトの脳裏に過ぎる言葉は弱々しい。本来、リクトは皇帝グロウの言う通り、戦いたくない、人を殺したくないというのなら、客人として竜騎兵ドラグーンを降りれば良いだけの話なのだ。リクトとリン、たとえ見知らぬ土地とはいえ、アナムジアの皇帝グロウのお気に入りともなれば、そうそう不遇に見舞われることはないだろう。



 だが――。



 この一ヶ月、共に過ごしたグラン・ソラスの人々の姿が、笑顔が浮かぶたび、リクトの選択肢から、ソラスを去るという行動が消え去っていく。


 殺したくない。だが、ソラスの人々を守りたい。その問答は、まるでだだをこねる子供のようですらある。だが当のリクトはそれに気付かず、なんとかならぬものかと思いを巡らせていたのだ。


 結局、ミァンやロンドと別れ、案内人と二人きりとなったリクトは、私室へと向かう道中においても、未だ皇帝からの問いに頭を悩ませていた。だが、そのとき――。



「――あ、いたいた! リクト~! こっちこっち~!」

「――リン?」



 不意にかけられる声に我に返るリクト。


 背後からの声に振り向くと、そこにはそのセミロングの髪を後ろで一つにまとめ、ポニーテールにしたリン。リンに手を引かれるラティ。そして難しい顔をしたグレンと、嬉しそうなファル。さらには、数人のアナムジア皇国の兵士たちが、一騎の浅緑の竜騎兵ドラグーンと共に立っていた――。


「ふっふーーん。やっと見つけた! 真っ先にリクトに教えようと思って、探してたんだから!」


「探してたって、なんで?」

「リクト……みつけた……」


 得意気な笑みと共に胸を張るリンと、トテテテとリクトの側に駆け寄って手を握るラティ。だが、当のリクトは疑問しかないという様子で顔をしかめている。すると二人のちょうど間に割り込むようにして飛び込んできたファルが、その大きな帽子を押さえながら口を開いた。


「リンがね、この前生まれたばかりのこの子――『シークリー』の主に選ばれちゃったんだよ~!」


 そう言って、自分の後方で静かに直立する竜騎兵ドラグーンを指し示すファル。浅緑の甲冑に、巨大かつ、どこか神聖性すら感じさせる長弓を携えている。さらに、所どころに埋め込まれた瞳のような宝石と、そして頭部甲冑部分に存在する四つの瞳が、この竜騎兵ドラグーンが通常の騎兵とは一線を画すということを、如実に示していた。



「すまぬ、リクト殿……儂は止めるように言ったんじゃが……。リン殿がどうしてもと……」

「リクトもすごいけど……リンもすごかった。たぶん、てんさい……」

「うんうん! 特にリンの弓の腕は本当にすごいよ! この分だと、すぐに円卓入りしちゃうんじゃないかな~?」



 ファルはぴょんぴょんと兎のように飛び跳ねながら言うと、そのまま後方の浅緑の竜騎兵ドラグーン――シークリーのほうへと駆け寄ると、その装甲に手を当てて優しく撫でた。


「シークリーは、アナムジアでも初めて生まれた変異種なんだ。だけど誰も使いこなせなくて困ってたらしいんだよね~。そこに、このシークリーと相性バッチリのリンが現れたってわけ!」


 嬉しそうに事の顛末を説明するファルと、リクトの前に進み出て頭を垂れるグレン――。瞬間、リクトは全てを察してリンへと向き直り、驚きの声を上げる。



「まさか……リンも戦うつもりなのか!?」

「――そうよ。言っとくけど、止めても無駄だから」



 リンのはっきりとした、強い意志のこもった声――。



「私は、もうこの前みたいに待ってるだけなんて嫌。リクトが私を助けてくれたみたいに、私もリクトを助けたい――。リクトなら、私の気持ち――わかってくれるでしょ?」


「リン――……」


 リクトは、自分の心の中で、パズルのピースがピタリとはまる音を聞いた。

 リクトには手に取るようにわかった。


 リンは既に、少なくとも表面上は、人を手にかけることすら覚悟していた。

 リンに迷いはなかった。なぜならリンにとって、リクトは間違いなく特別だったからだ。リンにとってリクトの命は、その他の多くの命と比べて明らかに重かった。


 だがリクトにとってはどうか? 

 リクトにとって、リンは本当に特別なのかどうか――。



 リンが数日前、自身の中で行った問答は、そのままリクトの側に渡ったのだ。



(――馬鹿か俺は! そんなの――決まってるだろっ!)



 リクトは暫しの逡巡の後、その瞳をまっすぐリンに向け、口を開いた――。



「気付かないうちに、俺もお養父とうさんやお養母かあさんと同じことをするところだった――。ありがとう、リン。俺のこと、助けたいって言ってくれて。そんでもって、心配かけて、ごめん――」



 リンもまた、その視線を正面から受け止め、一度だけ小さく頷いた。



「――絶対一緒に帰るんだから。しっかりしてよね、バカリクト――」


「――うん、わかったよ。リン」




 〇    〇    〇



 

 ―――ドクン―――




 ――彼は、その音に聞き覚えがあった。そのリズムに聞き覚えがあった。

 

 その音が、自分を呼んでいるように彼には聞こえた。


 その音は、遙か遠くで彼を待つ、何者かの鼓動だった――。




 光――。


 眩いばかりの光の中。彼は、ゆっくりとその巨大な両腕を広げた。


 守るために。救うために――。


 目の前に立ち塞がるのは、無数の威容。


 天を穿つ、山脈のごとき幾つもの威容。


 彼の背には、数えきれぬ程の小さき者達。


 守らねばならぬ。助けなければならぬ。


 小さな、か弱き小さな命たちを。


 そして、倒さねばならぬ。


 我が同胞を狂わせた、彼の者を――……。




『どうか、貴方だけは変わらないで――』


『愛しています。たとえ住む世界が変わっても、私は、貴方のことをずっと――』 



 ………

 ……

 …



 

「――あれ? 今のは――」




 ――目を開く。瞳に映る夜空の果てでは、赤と青、二つの月が輝いている。




「いつのまにか、寝ちゃってたのか――」




 その二つの月を見たリクトは、自分がグラン・アナムジア私室のバルコニーに用意されたテーブルに突っ伏して、眠りについていたのだと思い当たる。



 欠伸と共に伸びを一つ。リクトはそのまま椅子の背もたれにもたれかかると、夜空に輝く星々に目を向け、呟く。



「――今の俺は、一人でここまで来たんじゃない」



 リクトには、よくわかっていた。否、だった。


 命の重さは、絶対的なものではないことを――。

 命の重さは、それを扱う存在によってその軽重を幾らでも変えることを――。 



「当たり前だよなぁ――。だって俺、リンのこと大切だし、ミァンだって――」




「――はい、なんでしょう?」

「うわあああああ!?」


 突然の声に驚いたリクトは、伸びをした姿勢のまま背後に勢いよく倒れ、そのまま目を回してしまう。


「大丈夫ですか!? すみません、名前を呼ばれたので、つい――」

「み、ミァン……ッ? どうしてここに?」


 見れば、逆さまとなったリクトの視界の中で、心配そうにこちらを見つめるミァンの姿が。驚きと共にリクトを助け起こすミァン。今の彼女はゆったりとした服に肩掛けを纏い、湯浴みでもしたのだろうか、その肌はどこかしっとりとしたぬくもりに包まれ、仄かにする花のような香りが、リクトの嗅覚をくすぐった。


「あの……先ほどの、皇帝陛下とお話した後のリクトさんの様子がおかしかったので、心配になって……」

「そっか――。それで、来てくれたんだ――」 


 助け起こされたリクトは、そのままミァンにも隣の席を出して座るように勧めると、自らも後頭部を押さえて呻きながら木製の椅子に座る。二人の頭上では満天の星空が輝き、眼下ではアナムジアの都の光が、夜半だというのに煌々と輝き続けていた――。




「――リクトさん、私じゃ、駄目でしょうか――?」



 暫く時間を置いた後、ミァンはそう切り出した。



「私は、いいえ――、リクトさんの力になりたいんです。リクトさんは、何度も私を助けてくれました。今度は、私があなたの力になりたいんです――!」


「ミァン――……ありがとな」


 ミァンは僅かにその身を乗り出し、リクトの瞳を覗き込むようにして言った。その言葉は真っ直ぐで、純粋だった。僅かに震える白い手が、彼女がどれだけの思いでその言葉を紡いだかを、如実に表していた。


「そう言ってくれて、すっげぇ嬉しい。心配させてごめんな!」


 瞬間、リクトはそう言って勢いよく立ち上がり、ミァンに向かって満面の笑みを向けた。その顔にはもう迷いは見られない。ミァンから見ても、先ほどまでとは別人のようであった。


「考えてみれば、俺ってすげぇラッキーだよな――。なんたって、この世界で最初に会ったのがミァンだもん。もしミァンに会ってなかったら、俺もリンも、今頃生きてなかったかもしれないし、もっと酷い目に遭ってたかもしれない。本当に、そう思う――」


「そんな――。私は、ただ――」


 何事かを言おうとしたミァンを制するように、リクトは言葉を続ける。


「今はまだ、俺たちの居た場所にどうやったら帰れるのか見当もつかないし、正直、すげえ寂しいって思うこともあるんだ」


 ――帰りたい。リクトにしてみれば当然のその言葉に、僅かに、本当に僅かに、辛そうな表情を浮かべるミァン。


「けど、ソラスって――いい国だよな。みんな助け合って生きてて、活気があって、俺たちみたいなよそ者にも優しくしてくれてさ――。そんなみんなだから、俺も――リンだって、守りたいって思うんだよ」


 バルコニーの手すりに両手をつき、頬を撫でる夜風に気持ちよさそうに目を細めるリクト。リクトはそのまま眼下の夜景へと目を向け、まるで自分にいい聞かせるように言った。


「まだこの世界のこと、全然知らないけどさ。俺、この世界に生きてる人のこと、好きだよ。本当なら、やっぱり戦いなんてしたくない。だから、きっとこれからも沢山悩むと思う。けど、今は――」


 そこまで言って、リクトは背後のミァンへと向き直り、こちらを見つめるミァンの瞳を真っ直ぐ見つめてはっきりと宣言した。


「大好きだから、戦う。俺が守りたいと思う人のために、全力で戦う。リンも、ミァンも、ラティも、ロンドさんも、ファルも、グレンのじいさんも、グラン・ソラスの街のみんなも、誰一人だって絶対に傷つけさせない。戦うよ、俺の意志で」



 それは、少年が悩んだ末に辿り着いた決意と決断であった。



「リクト、さん――」



「でもさ、一つ約束してくれないかな。俺やリンはもうミァンのことをミァンって呼んでるのに、ミァンは今でもさん付けで呼んでるだろ? こっからは、ミァンも俺やリンのこと、リンやリクトって呼んでくれよな!」


「あ――そ、そうですね。わかりました。り、リクト――。あの、これでいいですか?」


「ああ! 改めて、よろしくな! ミァン!」

「はい! 宜しくお願いします!」


 激化する戦いの中で、少年はこれからも悩み、自問自答するだろう。


 だが――。


「ははっ! 悩んだっていいんだ! それでも俺は、みんなを助ける!」

「私も――私もみんなを守りたいです! リクトやみんなと一緒に!」


 満天の星空輝く夜空の下、手を取り合って笑うリクトとミァン。


 こうしてリクトは、故郷から遠く離れたこの異邦の地で、仲間のために戦う決意を固めたのであった――。



 

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