もう一人の皇帝
「――――わからない」
静まりかえった謁見の席上に、リクトの声が響く。
「――わからない、か」
リクトの返答に目を閉じ、その言葉を吟味するように呟くグロウ。
ロンドはやれやれという体で頭を振り、ミァンは辛そうな表情でリクトを見つめた。
「考えたけど、わからなかった――。俺が、自分の手で沢山の人を殺すことになるなんて、想像したこともなかったから――」
「仲間を守るためには気にすることではないと思えないか? お前たちのいた世界とこの世界では、命の価値が違うのだと、割り切ることは出来ないか?」
尚も目を閉じたままグロウは言った。その言葉から感情は読み取れない。
「――俺は、グラン・ソラスのみんなを絶対に守りたい。けど、そのために何万もの人を殺していいかっていうと、違う気がする」
「お前はカリヴァン・レヴを倒し、グラン・レヴを破壊した。お前は既に多くの命を奪っている。そして、お前が今この世界で振るえる力はその絶大な武力だけだ。武力を使って仲間を守ろうとすれば、必然誰かが死ぬことになろう。それは仕方の無いことではないか?」
ゆっくりとその真紅の瞳を開き、畳みかけるように問いを投げかけるグロウ。だが、リクトは――。
「――俺は、そうは思わない。一人殺したからこれからも沢山殺して良いなんてこと、絶対にない。俺は、殺さないで済むなら、やっぱり殺したくない――」
リクトは、はっきりとそう言った。
実際、彼が十六年という歳月を暮らしてきた土地は、そういう土地であった。
まず、人の命はなによりも重く、犬や猫、気付かずに踏みつぶされてしまうような、小さな虫の命すら問題視されるような、安定した社会――。
そんな社会で暮らし、ほんの数日前まで戦うことすら考えてもいなかった――それどころか、むしろ戦うことを避ける性向を持っていたリクトが、突然何万もの命を奪うことになると言われたのだ。
質問を投げかけられるにつれ、より意志が強固になっていったこと自体、彼の精神性が元よりそちら側であったことを如実に示している。
そしてそんなリクトだからこそ、ラティもまた心を開き、共に戦ったのだろう。
――だが、皇帝グロウの言うように、ここから先の戦いが甘い物ではないこともまた、紛れもない事実であった――。
「―――ギャハッ!」
背後から声。そして――殺気。
「リクトさんっ!」
「――えっ!?」
ミァンの悲鳴にも似た声。咄嗟に振り向くリクト。
その瞳に、鈍色の光を放つ刃が映った――。
――次の瞬間、席上に響き渡ったのは刃と刃がぶつかり合う甲高い音色。
一瞬でリクトを突き飛ばし、刺客との間に割って入ったのは、疾風の如き速さで加速したロンドだ。ロンドはその腰から、皇帝との謁見に際して帯刀を許された短刀を抜き放ち、刺客からの斬撃を見事に撃ち逸らしていた。
席上からはね飛ばされ、先ほどまでの場所から数メートル離れた位置で呆気にとられるリクトと、無言で眉間に皺を寄せるグロウ。すかさずグロウとリクトに駆け寄るミァン。
そして――。
「アー、つまんねぇ! クソつまんねー! 俺様の出番はいつ来るんだヨ?」
「チッ! なんてこった――」
「こ、この方は――」
刺客の正体をみとめ、舌打ちするロンド。そして絶句するミァン。
「出番はこの後だと言っただろう、兄上。しかもなんだ今のは。ロンドが動かなければ、リクトを本気で刺し殺すつもりであっただろう」
「アナムジアのもう一人の皇帝、グロー・アナムジア陛下……円卓、第二席の……」
「こ、皇帝――? アナムジアの皇帝って、二人居るのかよ!?」
そのミァンの言葉に、驚きの声を上げるリクト。見れば、たしかにその風貌は先ほどまで話していたグロウとよく似ている。長い赤い髪に鋭い瞳。だが、その全身から漂うのは、皇帝としての威厳ではなく、凶暴な血に飢えた戦士としての危うさだ。
「ギャハハハ! くだらねーこと言ってやがるから、さっさと殺してやろうと思ってな~。弱い奴は死ぬ、強い奴が生きる! 何人死のうが何匹死のうが関係ねーなぁ!」
「フッハハハ! そうか? 私はむしろ好感を持ったぞ。ハナから戦える、殺せるなどと真顔で吐けるような騎士は危険すぎる。兄上のようにな?」
笑みすら浮かべ苦言を言い合うと、二人は同時に肩をすくめ――。
「ギャハハハハ!」
「フッハハハハ!」
盛大に大笑いした――。
○ ○ ○
「先ほどは兄が無様を見せた――。知っての通り、アナムジアでは双子が生まれた場合、二人でそれぞれの得意領域を分担して治めることになっている」
「グロウが政治。俺が戦争だ。言っとくが俺様はちょー強ぇぜ? なんたって第二席だからなぁ! しかもそこの甘ちゃん第九席と違って殺すのにも躊躇しねぇ! ブチっとやるぜっ! ギャハハハハ!」
心底面白いという風に謁見の席上の料理を食い散らかしながら笑う兄、グロー。その様はもはや王族どころか文明人にすら見えず、皇帝だと紹介されていなければ、どこか未開の地の蛮族が、この場に紛れ込んだのかと勘違いされるような有様である。
「だいたい、お前があのカリヴァンを倒したってのが未だに信じられねぇよ? さっきの俺様の一撃にも、反応はしても体捌きはまだまだだったしなぁ? てめえ、やる気あんのか?」
グローは言いながら巨大なテーブルの上に土足で乗り出すと、ナイフの切っ先をリクトへと向け、唾と口内の食事をまき散らしながら叫んだ。
「やる気はあるよ! みんなを守るし、助ける! けど、それと人を殺すのは別だって話だよ! うまく殺さないで倒す方法だって、あるかもしれないだろ!?」
リクトは負けじと身を乗り出し、やや感情的な面持ちでグローへと反論を試みる。
「あー? さてはおめぇ、頭が腐ってやがるな? んなことできるのはな、この世界じゃそれこそ誰よりも強くねぇと無理だ。くそみてーな話だが、例えば俺が今よりも激強ならそんな芸当もできたかもな。けど無理だ。第二席の俺でも無理なんだから、九席ごときで出来る訳ねぇ! ギャハハハハハ!」
「――それは、たしかに――そうだけど――」
グローの言葉に、リクトはカリヴァンとの戦いに思いを巡らせる。もしカリヴァンがあのときの自分よりもはるかに弱かったら、きっとリクトはカリヴァンを傷つけずに勝利することが出来ただろう。事実、リクトはあの戦いで、相対した数騎の敵
だが、カリヴァンほどの使い手を相手に。そして天をも穿つ巨神を相手に、一体どうやってそんな芸当をするというのか?
リクトはこのとき、初めて自分の持つ武力について、考える視点を持つに至る。
円卓・序列・
この世界には、ややもするとリクトが元いた世界すら遙かに超える武力が、規制もされずに跋扈し、戦いを繰り広げている。
それらを制し、自らの願いを貫きたいのなら――。
(なるしかないのか――もっと、もっと強く――)
リクトはその小さな拳を握りしめると、自らにそう問いかけていた――。
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