双月


「まったく……! あんたが猫と会えなくて寂しいっていうから、昨日の夜はずっと付き合ってあげて……。て、て、て――手だって、握ってあげたのにっ! それなのに私がいなくなったら別の、しかもこんな小さな女の子に手を出すなんてっ! 頭おかしいんじゃないのっ!?」


「だーかーらー! 俺は別になんにもしてねぇって!」


 グラン・ソラス城内。石壁に囲まれた室内で、横に座るリクトに包帯を巻きながら、憤慨した様子のリンが頬を真っ赤に染めてぶつぶつと口を開く。そしてそのリンの膝の上には、先ほどリクトの寝台で寝ていたアルビノの少女が、気持ちよさそうにすがりついていた。


「でも……まさか竜騎兵ドラグーンが人型を取るなんて……私も初めて見ました」


 そこに横から不思議そうな声を上げたのはミァン。彼女は先日までの甲冑姿ではなく、麻布で出来たラフな作業着のような格好だ。彼女の視線はリンの膝の上で眠る少女に注がれている。


「ふぁー……ぁ。わたし、ここもすき」

「あ――そ、そう? それなら、好きなだけ寝ててもいいから……」

「うん――リン、やさしい――すき」


 少女は眠そうな目をこすりつつ、そう言ってリンのぬくもりを感じるように身をよじった。



「……その子はラティだ。一緒に戦ったからわかる」


「整備場からも、ラティが機体ごと消えていました。それに彼女のこの尻尾……伝説にある、肉体を失う前の竜の姿そのものに見えます」



 そう言うミァンの視線の先――。


 丁度、少女のお尻のあたりから伸びる、くるりとまるまった、光沢のある鱗に覆われた純白の尾――。


「うん――わたしはラティ。リクトをさがしてた……」

「リクトを――?」


 小さな顔を上げ、その大きな赤い瞳をリクトへと向けるラティ。ラティのその言葉に、リンは不思議そうな様子で尋ねた。


「リクト……あったかい……それに、なつかしい……だから、さがしてた……」

「あったかくて……なつかしい……?」


「あたたかいのは、わかりますけど……懐かしいというのは……。お二人は以前どこかで会ったことがあったのでしょうか……?」


「わかんねぇ……けど、実は俺も懐かしいってのは心当たりが……」


「リクト、あんた――……」


 怪訝な表情を浮かべ、ラティの言葉の意味を探ろうとする面々。だが、リクトだけはその言葉に思うところがあるようで、何かを言いかけ、そして――。


「あーーー! そういえばラティ! ありがとな! あんなでっかい剣出してくれて! 本当にすげぇよ!」


「そっちかー! もー! 私が聞きたいのはそういう話じゃ……」

「ふふっ――でも、それは私もお礼を言いたかったんです。あそこで助けて貰わなかったら、私たちも今頃どうなっていたかわかりませんから」


 突然大きな声を上げ、ラティを抱き上げて礼を言うリクト。しかし、ラティは喜ぶリクトに微笑みを浮かべ、言った。 

 

「ううん。あれは、わたしじゃない――」

「え――?」


 ラティを抱き上げたまま固まるリクト。ラティはそのまま言葉を紡いだ。


「あれは、リクトの力――リクトの剣――」




 ○    ○    ○




 月光――。




 二つの月が輝く夜空と、その下に鬱蒼と広がる山脈に囲まれた森林地帯。

 そしてそこに現れるのは、天上を覆い尽くす一つの巨大な影。その影は天を穿ち、大地には無数の歯車を組み合わせた脚部が、広大な森林を根こそぎ破壊しながら踏み進んでいる。そして巨体から広がる力強い豪腕には一対の長剣――。


 そして、その影と対峙するのは、あまりにも小さなただ一騎の竜騎兵ドラグーン――。


「恐れるな! 円卓と言えど相手は竜騎兵一騎、我らが巨神の力をもって――っ!」



『アハハ……ッ!』



 死力を振り絞るかのような兵員達の声。

 だが、そこに狂気すら感じさせる少年の笑い声が響いた。

 


『まだ僕に手間をかけさせるつもり? 蛆虫のくせに――』



 声の主。それは、巨神の眼前に浮遊する蒼色の竜騎兵――。



 神仏を思わせる意匠の甲冑。その全身には壮麗な紋様が浮かび上がり、背面には三日月を思わせる二つの光輪が浮遊している。腕を組み、空中でありながら、まるでそこに地面があるかのように微動だにしないその姿は、見る者に畏怖と驚異、そして諦めの感情を沸き立たせる。



「黙れ黙れ黙れっ! エルカハルの犬め! 我々カルダナーンの信徒は、決して貴様らに臣従などしないっ! 両腕上昇ーーーーー!」



 甲高い声で宣言される抗戦の意志。それと同時、巨神は大地を震わせてその両腕を振り上げ、眼前の竜騎兵めがけて空間ごと破砕する振り降ろしを繰り出す。その速度は音速を優に超えている。回避しようにも、片腕だけで総重量数百トン、全長数百メートルの岩の塊。直撃せずとも、その余波だけで竜騎兵の全身は粉々に粉砕されるであろう一撃。だが――。




『そんな巨神じゃ――』




 蒼色の竜騎兵、その光輪が閃光を発する。その様はまるで、天上高く輝く二つの巨大な月そのもの。




古竜エンシェントは倒せない――』

 



 双月そうげつ――。




 光輪が閃光と共に波紋を広げ、天空全て、遙か彼方までを円状の蒼炎が飛翔する。

 その光輪はゆっくりと巨神の胴体をも透過。丁度胸部の辺りを蒼炎によって貫通された巨神は、両腕を振り下ろす前にその動きをぴたりと止めた……。

 

「馬鹿な……そんな、馬鹿な……ッ!」


『――バイバイ』



 崩壊が始まる。


 たった今、ほんの数秒前まで生きていた巨大な神の肉体はその活動を停止。

 その巨体を構築していた魔力を帯びた岩石を崩落させ、大地へと還っていく――。



 蒼い竜騎兵はその様子を冷たい視線で見届けると、そのまま空中で踵を返す。

 その背に、崩れ落ちる残骸から怨嗟の声が響いていく――。


 円卓第三席。双月の騎士「シエン・ミナイ」それが、この少年の名――。


 

「――ミナイ様」


 崩落していく岩塊を背に進む蒼い竜騎兵。だが、背後から突然かけられる女性の声――。


「……カリーン? カリヴァンはどこだい?」


 背後に現れたのは薄紅色の竜騎兵。ミナイはそれを一瞥しただけで、さしたる興味を示そうとはしない。


「申し訳ありません……カリヴァン様を、お守りすることが、出来ませんでした……っ」

「――っ!?」


 瞬間。空気が変わる。

 

 辺り一帯全てが凍り付いたかのような戦慄。

 その戦慄が、カリーンと呼ばれた女性の意識を、命を刈り取ろうと迫る。


「もう一度、はっきりと言ってみてよ……カリヴァンに――何があったって!?」


 蒼い竜騎兵は全く動いていない。だが、ミナイの叫びと共に、薄紅色の竜騎兵、その右腕が一瞬で切断。跳ね飛ばされる。


「か、カリヴァン様は、ソラス王国追撃戦の最中、現れた白龍に一騎打ちを挑み――敗北。現在も、生死の境を彷徨っております」

「ソラス……!? ――相手は誰!? 誰がカリヴァンをっ!? ソラスなんて虫けらに、カリヴァンを傷つけられる騎士なんていないだろっ!」


 二度目の叫び。光輪が輝く。だがやはり蒼い竜騎兵は動かない。しかしまたしても薄紅色の竜騎兵の左腕は斬り飛ばされた。それはまるで不可視の刃のよう。


「わかりません……カリヴァン様は、その者のことをクレハ・リクトと呼んでおりました……」

「クレハ・リクト――――?」


「み、ミナイ――さま?」


 ミナイはその名前を聞くやいなや、何かを思い出したように考えを巡らせると、即座に蒼い竜騎兵を飛翔させ、カリーンを置き去りにする。


「どちらへ!?」

「グラン・ミナイは勝手に使って! 僕は――カリヴァンのところに行く!」


 その言葉を最後に、蒼い竜騎兵は双月の光輪と共に天へと昇り、光点となって闇夜へと消える。


 後に残されたカリーンは、両腕を失った竜騎兵の中で、戦慄によって忘れていた呼吸を再び開始するのであった――。




 ○    ○    ○




「カリヴァン――死んだら許さない――」



 蒼い竜騎兵内部。漆黒の長髪を肩まで伸ばした少年が呟く。



「それに、クレハ・リクト……名前からして僕と同じ……」


 

 ミナイはそう言うと、双月の蒼き竜騎兵――ミーティアを加速させ、そのまま何処かへと向かい飛翔していく。



「――まあいいさ。いずれにしろ、蛆虫の分際でカリヴァンを傷つけた代償は支払って貰うよ……クレハ・リクト……!」 



 白い歯を剥き出しにして叫ぶミナイ。ミナイのその言葉には、リクトに対する明確、かつ明瞭な殺意が宿っていた――。


 




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