呼び声


「――そんなっ!?」


 ミァンは、その瞬間を見ていた。


 前方全ての視界を塞ぐ巨人の肩口で、リクトの乗る灰褐色の竜騎兵ドラグーンが、音も無くその巨体に叩きつけられる瞬間を。


「リクトさんっ!」


 即座に飛び立ち、粉塵の尾を引くラティへと向かおうとするフレス・ティーナ。だがその機動を制するように、ロンドの乗るブリングが行く手を塞いだ。


「なぜですロンドっ! このままではリクトさんが!」

「なに言ってやがる! 向こうが巨神になったんだ。こっちももうやるしかねぇ! 自分の役割を忘れるな! お前はもう、なんだぞ!?」


 すがるようにブリングを押しのけようとするフレス・ティーナに向かい、ロンドが叫ぶ。その言葉に、ミァンはフレス・ティーナ内部で肩を落とした。


「わ、かり……ました……っ」

「――そうだ、それでいい。あいつのことは、俺に任せておけ!」


 ロンドはそう言うと、ブリングの手をフレス・ティーナの肩にのせ、安心させるように頷いた。そしてそのままミァンに背を向けると、背面から迸る水の粒子を放出し、落下するラティへと飛翔していく――。




「――どうして、私は……っ!」




 グラン・ソラスに向かい、高速で飛翔するフレス・ティーナ。

 その中でミァンは一人、涙を流していた。


 当然、悲しみはある。


 王都を失い、祖国を追われたとき、ミァンは両親を同時に亡くした。


 グラン・ソラスに乗り込み、ただひたすらに逃げ続けたこの数日の間にも、多くの友や侍従が命を落としている。そして今、つい先ほど会ったばかりの、自分と歳も変わらぬ一人の少年が、自分たちのために戦い、目の前で命を落としたかも知れないのだ。すでにミァンの抱える悲しみは、いつ限界を超えてもおかしくなかった。

 



 だが――。




「どうして私は、こんなにも……無力なの……っ」


 だが、今彼女の心を満たしていたのは――悔しさだった。

 

 ソラス王国の守り竜。フレス・ティーナの騎士に選ばれながら、それを満足に乗りこなせず。今もまた、自分を信じてついてきてくれた民を危険にさらし、自らが生き延びるために攻城戦シージへと突き進もうとしている自分の無力さに、ミァンは涙を止めることが出来なかった。


「……リクトさん……ごめんなさい……っ」


 ――ミァンは気付いていた。


 自分がリクトという少年に対し、少なからず期待してしまっていたことに。


 彼が見せたであろう一度の奇跡が、自分たちを再び救ってくれるのではないかと。

 彼なら、何かを変えてくれるのではないかと。


 そしてその期待が、彼を死地に追いやったのだと言うことも――。




「っ――攻城戦シージを、開始しますっ!」


 


 ミァンが叫ぶ。フレス・ティーナが咆哮を上げる。

 ミァンの声に呼応するかのように、グラン・ソラスが鳴動を始める。


 彼女は、止まれなかった。


 家族を失い、仲間を失い、そして今、自分の勝手な期待から、出来たばかりの友を失ったかも知れない。しかしそれでも、止まれなかった。




 ――彼女は、一人だった。




 彼女は一人、この困難の中、突然引き継いだ女王という重責を必死に背負い、もがいていた――。


 ただひたすらに、この絶望の闇、その出口を求めて――。




 ○   ○   ○




 ――呉羽陸人が覚えている最も幼い頃の記憶は、自分の周りに数え切れないほどの猫や犬がいたということだ。その数は、軽く百を越えていた――。


 彼は、捨て子だった。


 本当の両親は、誰も知らない。

 

 だが幸か不幸か、彼はすぐに、そこでと共に暮らすことになる――。




 彼の育ての親は、気の狂った博愛主義者だった。




 育ての親は毎日のように捨て猫や野犬を拾ってきては、家の中に放し飼いにし、その後の世話は全くしようとしなかった。


 陸人を拾ったのも、そうした猫や犬たちと根本は同じ。それどころか、二人には陸人が犬なのか、猫なのか、それともネズミなのかの区別すらついていなかった。


 当然、里親申請や戸籍登録のようなまっとうな手続きもされること無く、陸人はとしてただひっそりと、暗く腐臭のただよう部屋の中で、犬や猫が食べるものと同じ食事を食べながら育った。




 放置され、一カ所に集められた多すぎる動物たちはすぐに増え、すぐに死ぬ。




 陸人が物心ついた頃、彼が毎日していたことは、家に住む猫や犬の死体を庭に埋めることだった。汚物にまみれた家の中で、陸人は毎日のように動かなくなる猫や犬の姿を見た。幼い陸人にも、彼らが二度と動かないことはすぐに理解できた。

 

 ほとんど家に帰ってこない両親に、陸人は必死でどうすれば良いのかを尋ね、穴の堀り方と死骸の埋め方を学んだ。はじめは浅く掘りすぎ、雨で露出した死骸を見て嘔吐したこともあった。



「みゃーさん、しんじゃった……えーん、えーん」

「かうかう、しんじゃった……えーん、えーん」

「とらぽん、しんじゃった……えーん、えーん」



 陸人は毎日泣いていた。彼がその環境に慣れることはなかった。

 

 いつしか、陸人は数え切れないほどの猫や犬、その全てに名前をつけ、その全てを世話しようとするようになった。

 そうすることで、やがて猫も犬も、時には鳥や虫すらも陸人に懐くようになり、陸人も彼らにできる限りのことをした。それが、陸人の全てだった。




 しかし――。




「お父さんと、お母さんが……?」


 彼が七歳になった頃、育ての親は二人とも事故で死んだ。


 人が二人死んだというのに、それを悼む者は誰もいなかった。

 ただ一人、陸人だけが二人の死を悲しみ、泣いた。



 ――しかし、本当の怖さはこれからだった。



 陸人は一人だった。

 陸人は、両親以外に人というものを殆ど知らなかった。


 腐敗し、汚臭を垂れ流す彼の家に、誰が近寄ろうというのか。


 唯一、名も知らぬ少女が、時折自分を遠巻きに眺めているのを知っていたくらいで、陸人に頼れる人間は誰一人いなかった。




 ――そして、その時それは起こる。




「これから、どうしたらいいんだろう――」


 

 暗く、大きな部屋の中で、大勢の猫や犬に囲まれたまま呟く陸人。

 明日をも知れぬ自分の未来に、の少年はただ、怯えていた。



「にゃーん……」

「? ――レオ?」


 

 陸人の耳に届く、弱々しい猫の鳴き声。

 陸人には、それがレオという名のオス猫の鳴き声だとすぐにわかった。生まれたときから知っている、愛くるしく、知的な猫だった。


「おかえり、レオ。どうし――っ!?」


 窓を開け、外を覗き込み、鳴き声の主を探した陸人は絶句する。

 

 そこには、事故にでも遭ったのだろう。下半身を潰され、鮮血を流しながらも必死でこちらに向かって這い進む、レオの姿があったのだ。


「レオ!? レオ!」

「にゃーん……」


 その時の陸人には、レオの言いたいことがすぐにわかった。


 幼少期からの境遇が、陸人にも言える力を与えていた。


 だが、この時その力は、陸人にただ自分の無力を思い知らせるだけだった――。

 

 レオは、ずっと自分を世話してくれた陸人ならば、この酷い怪我をなんとかしてくれると思い、ここまで必死で帰ってきたのだ。


 陸人はすぐさま外に飛び出し、レオに手を触れようとした。



 だが――出来なかった。


 陸人は、なにも知らなかったのだ。

 事故に遭った猫に対しての処置も、手を触れていいのかすらも、わからなかった。


「にゃー……」

「……レオ、ごめん……ごめんね……」


 ――当時の陸人に出来たのは、弱々しく自分にすり寄ってくるレオが冷たくなっていくのを、ただ見守ることだけだった。陸人はそれを、最後まで見ていた――。




 そしてこの出来事が、陸人の全てを変えた。




 陸人はその時、初めて自分がことを知った。そして、そのはいつ訪れるかわからないことも――。




 ――次は、応えてみせる。

 

 


 その日から、陸人は多くを学び、そして自ら行動するようになる。


 自分を遠巻きに眺めていた少女――白波 凜に自ら声をかけ、彼女の両親や祖父母にも助けを求めると、ただ流されるだけの日々と徐々に決別していった。



 全ては、応えるため。



 自分に助けを求めるその腕をつかみ、今度こそ、触れるために――。




 ○   ○   ○




「――――リクト、あったかい―――」




 ――闇。




 その中に輝く、一つの光。

 淡く煌めく、銀色の光――。

 

 リクトは、その闇と光の中で、誰かが自分の心に触れたような気がした。




「――――これからは、わたしもいっしょ――――」




 小さな、しかしはっきりとした、とても幼い少女の声。




「――――手、にぎってほしい――――」



 

 リクトを求める小さな声。

 その声に、リクトは応えた。


 

 闇の中から光へと手を伸ばし、その先にある柔らかな手を、確かに握る。


 

 

 ――――ドクン――――



 

 瞬間――。


 リクトの視界と感覚の全てを銀色の光が覆った。


 それはどこか懐かしい、暖かな光だった――。


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