「ニール!?」




 戦場――。




 激戦が続く月光の下、猛禽類に似た威容を見せる紫色の甲冑を相手に切り結ぶミァン。彼女の視線の先では鈍色の甲冑がその胸部に長槍を突き刺され、糸の切れた人形のように力なく膝をついていた。


「ニールっ! 返事をして!」

「あいつはもうダメだ! 前を見ろ!」

「――っ!?」


 耳元で鳴り響く声によって我に返るミァン。彼女の全方位に投影される周囲の映像が、眼前で切り結んでいた紫色の甲冑で埋め尽くされ、次の瞬間には凄まじい衝撃と激痛とがミァンを襲った。


「姫っ! くそ、邪魔をするなぁぁぁ!」


 紫色の甲冑にはね飛ばされて地に沈むミァンに、敵騎士に囲まれた青い甲冑の騎士が叫んだ。


「これがソラス王国の守り竜『フレス・ティーナ』か。確かに底知れぬ力を感じるが――操る騎士の腕がこれでは、我が『ファラエル』の敵ではない」


 紫色の甲冑――ファラエルの頭部、眼孔に当たる部分が明滅し、自信に満ちた青年の声が響く。

 まるで巨大な鷹か鷲を思わせる頭部と、背面に広がる六条の翼。紫色を基調とした甲冑のパーツには、それぞれ豪奢な黄金の縁取りが施され、その力強い双腕には二振りの両刃槍ランサーが握られていた。


「これが最後通告だ。今すぐ武器を捨て、抵抗を止めて降伏せよ。さすれば皇帝陛下の寛大な処置も望めよう」

「わ、私たちは――」


「――姫様ぁぁぁっ!」


 仰向けに倒れ伏した真紅の甲冑――フレス・ティーナに両刃槍ランサーを突きつけるファラエル。突きつけられる降伏勧告にミァンが苦しげに答えようと口を開いたその瞬間、横から巨大な戦斧を持った甲冑が飛び込んでくる。


「フッ……次は老兵が相手か」

「お逃げ下さい姫様! どうか姫様だけでも!」


 戦斧を持った甲冑の踏み込みが大地を揺らし、巨大な戦斧が凄まじい勢いで振り下ろされる。だがファラエルはその一撃を軽々といなし、戦斧と共に僅かばかり前のめりになった甲冑の背面を鋭く蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた甲冑はそのまま地面へと叩きつけられ、苦悶のうめき声を上げて悶絶、停止した。


「グレンっ!」

「自らの武具にその身を流されるようでは、もはや戦士とは呼べぬな」


 優雅ささえ感じさせる身のこなし。月光を反射して美しく輝くファラエル。今のミァンとフレス・ティーナにとって、その威容は絶望をもたらす死神のようにすら映った。だが――。


「諦めない――!」


 ミァンとフレス・ティーナ。二者はほぼ同時に吠えた。

 フレス・ティーナの全身、その隙間から炎が吹き出し、纏った外套が豪炎の翼へと姿を変える。ミァンは握りしめた木製のレバーを引き絞り、足下のペダルを一気に踏み込む。炎に包まれたフレス・ティーナが雄叫びを上げ、真紅に燃える長剣を構えて立ち上がる。


「はああああああ!」


 爆炎の塊となるフレス・ティーナ。その起き上がりざまに放たれる逆袈裟の一撃。全てを焼き尽くす炎竜の一撃は、受けることも、避けることも不可能――そのはずだった。


「え――!?」

「――貴様が炎を操るように、我が愛竜は大気と寒気を操る」


 二体の巨大な甲冑を中心に拮抗する冷気と炎。否、正確には拮抗などしていない。フレス・ティーナの放った豪炎は、その全てがファラエルの操る大気の狭間に捉えられ、あらぬ方向へと四散していたのだ。


「――私は最後通告と言った。それを絶った以上、覚悟はできているのだろう」


 ファラエルの両刃槍ランサーに大気が収束し、即座に開放される。発生した爆風はフレス・ティーナの巨体を弾き飛ばし、凄まじい衝撃と共に地面へと叩きつけた。そしてそのとき、ミァンの意志を示すように最後まで握りしめられていたフレス・ティーナの手から長剣がはね飛ばされ、主を無くして大地へと突き刺さった――。




 ○   ○   ○




 ――陸人は自分が気を失っていたのを自覚した。ちぎれ飛んだ草と埃っぽい土の匂いが、硬い土の上に横たわる陸人の嗅覚に飛び込んでくる。


「――凜は!?」


 もうもうと煙る粉塵の中。目覚めると同時に起き上がって周囲を見回した陸人は、自分のすぐ隣に凜が倒れているのを見つけると、側に寄り添って口元に手を当て、確かに呼吸があることを確認する。


「ふぅ――良かった。一体、なにがどうなって――」


 凜の無事を確認し、安堵する陸人。だが、その時どこからか吹いてくる強い風とともに視界が晴れ、周囲の光景が陸人の目に映し出される――。


 二人がやってきた雑木林は既に無く、大草原の上に二つの月が輝く見たこともない景色。だが何よりも彼を驚かせたモノ――それは遙か頭上を見上げる程の二体の巨人。陸人の常識では考えられないような巨大さの人型の物体が、互いの手に武器を持ち、斬り結んでいたのだ。


「で、でかすぎだろおおお――!」


 陸人はすぐに動いた。動くことが出来た。考えている暇はなかった。まだ死にたくなかったし、凜を守らなければならなかった。

 気を失った凜の体をよりしっかりと抱え直すと、陸人はそのまま巨人の戦場から離れるべく、少しでも遠くを目指して駆けだした。


 その間も二体の巨人の戦いは激化する。それどころか、途中で斧を持ったもう一体の巨人までもが飛び込んでくる。巨人達の踏みしめる一歩一歩は大地を揺らし、陸人は何度も体勢を崩して転びかけた。


「はぁっ! はぁっ! 死なない! 死なない! 凜だって守る!」


 脇目も触れず一目散に逃げる陸人。だが悲しいことに、その一歩一歩は巨人の大きさに比してあまりにも小さい。陸人は背後から突然の熱を感じた。ちらと振り向いた陸人の後方に、巨大な炎の壁が迫っていた。


「くっそ!」


 すんでの所で巨人の作った足跡の段差へと飛び込む陸人。陸人は空中で凜を庇うように抱きしめて地面へと叩きつけられると、その二人の上を灼熱の炎が通り過ぎていく。


「あっつつ……」


 叩きつけられた背中と肩が酷く痛む。陸人は凜を抱き上げようとしたが、片方の腕には力が上手く入らなかった。






 ――死ぬかも知れない。






 陸人の脳裏に、初めて死の可能性が過ぎった。 






『それは困る。汝には、成してもらうことがある』



 


 

 ―――ドクン―――





 陸人はそのとき、確かに声を聞いた。

 聞き覚えのない、しかしどこか懐かしい何者かの声を。


 陸人は咄嗟に声の主を探して周囲を見渡す。だがその時、陸人と凜、二人からさほど離れていない場所に、先ほどの二体の巨人のうちの一体が持っていた剣が激震と共に突き刺さった。




『剣を取れ。汝ならば出来る』

 



「出来るって……あんな、馬鹿でかい剣……」




 その声に、陸人はまだ何かを反論しようとして、やめた。


 陸人は一度だけ腕の中の凜を見、彼女をそっとその場所に寝かせると、そのまま地面に突き刺さった剣へと向かい、全速力で駆け出した――。




○   ○   ○




「――ん?」


 倒れ伏すフレス・ティーナを見下ろすファラエル。その内部、長い銀髪を後ろでまとめた見目麗しい青年が、何事かに気付く。


「あれは、騎士ではない――なぜ戦場に飛び込んできた!」


 弾き飛ばされ、地面へと突き刺さったフレス・ティーナの剣。そこに向かってまっすぐに走る人影――。見慣れない格好をしているが、騎士ではない。ファラエル内部の座席で青年は苛立たしげに呟くと、既に沈黙したフレス・ティーナから向きを変え、剣へと走る陸人の方に向き直る。


「円卓の戦場を騎士でないものが汚せば死罪――まさか、知らぬ訳ではあるまい!」


 叫びと共に両刃槍ランサーを大上段に構えるファラエル。

 


 それにも構わず走る陸人。

 剣はもう目の前だった。陸人はもう何も考えていなかった。



「うわああああああああああああ!」



 ただがむしゃらに、剣に向かってまっすぐに手を伸ばし、叫び、その体ごと全体重をかけて剣の刃に体当たりした。そしてその瞬間、陸人の意識はそこで途絶えた――。





 ―――ドクン―――





「――!?」


 迸る閃光。後退するファラエル。

 うっすらと目を覚まし、その光景を見つめるミァン。


 地面へと穿たれた刃から迸ったその閃光は一条の奔流となって天へと昇る。夜の闇が昼と見まごうばかりの明るさに包まれ、戦場の方々で戦う騎士達も、皆その光景に目を奪われた。


 そして、戦場の全ての視線が一点へと集まったその時。天上まで届かんばかりに伸びたその光は、凄まじい勢いと長さとを持って大地へと振り下ろされる。


「――なんだと!?」


 咄嗟に回避するファラエルだったが、閃光の斬撃はファラエルの右腕をなんの抵抗も感じさせずに切断する。吐き出される水蒸気の吐息と共に苦痛のうめき声を漏らし、片膝をついて失った右肩を押さえるファラエル。

 被害を被ったのはファラエルだけではない。地平線の彼方まで届こうかという長大なその光の剣は、その線上に居た黒甲冑の巨人達数体もまた切り裂いていた。


「くっ――まだこのような奥の手を残していたか――。引くぞ! 撤退旗を!」


 未だに光が収まっていないことを見て取ったファラエルは、即座に全軍に撤退指示を出す。この一撃は、彼らにとって予想もしていなかったソラス王国の兵器と映っていたのだ。






「――何が起こったというの?」


 引いていく敵影の光の下、ファラエルに敗れ地面に倒れたままその光景を目に焼き付けていたミァン。フレス・ティーナ内部に映し出される光景が拡大され、ミァンは自身の剣の根元に倒れて眠る一人の少年の姿を発見する。




「――まさか、彼が今の光を――」




 あれほどの出来事の後だというのに、今は眠っているような少年の姿。ミァンにはその少年が、既にこの世を去った自身の父と母が遺した守りの御遣いであるかのように映っていた――。 






 ―――ドクン―――




 ――彼は、その音に聞き覚えがあった。そのリズムに聞き覚えがあった。

 

 その音が、自分を呼んでいるように彼には聞こえた。


 その音は、遙か遠くで彼を待つ、何者かの鼓動だった――。


 

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