第12話 城門前で

 朝を迎えた森は鳥がさえずり、風に揺れる木の葉が静かに空間を賑やかす。


 三人は、最初の目的地であるベルセント・ボイヴィッシュを目指して歩いていた。


「結構歩いたけど、まだ着かないのか? 駅のすぐ近くだって聞いてたんだけど……」


「昨日、誰かさんが一つ手前の駅で降りてしまったので、まだですね。でも、もうそろそろのはずですよ」


「ううっ」


 雅晴が横に並ぶフィリーネに問いかけると、後ろから一人ついてくるアルリカから曇った声が出る。


 すると、フィリーネは笑顔のまま振り向き、首を軽く傾げてみせた。


 苦い笑みを浮かべ、アルリカは身体を縮こめる。


「ご、ごめんってば。その、あのときは緊急事態で、仕方なくて……」


 昨夜、ベルセント・ボイヴィッシュを目前にした手前の駅で、アルリカは突然列車から飛び降りた。扉が開くと、彼女は慌てて駆け下り消えていく。


 フィリーネは仕方なく、気を失ったままの雅晴を背負って後を追った。


 しばらくして、アルリカは戻ってきた。その表情はやけにすっきりしたような、でもまだ何か不安の残った微妙なニュアンスの混じるものだった。


 それから、二人と一人はホーム上のベンチで、待てど暮らせど列車は一向に現れない。


 しびれを切らしたフィリーネが探し回って、やっと見つけた時刻表によると、飛び降りたあの列車が最終便となっていた。


 何とかして町に到着するべく、アルリカの一声で森を突っ切ってみるも惨敗。散々迷った挙句に、ようやく使われていない小屋を発見したということらしい。


「なんか、フィリーネの本当の顔が出始めてきたぞ」


「そんなことないですよ。私に本当も嘘もありません」


「感情に溢れてたといえば、裁判直前の大階段を思い出すなあ。俺とあの大男が喋ってたら、必死に話に入って来ようとするんだけど、潰れた玉ねぎの汁で泣いてうまく喋れなくなって――」


「だって仕方ないじゃないですか。涙が止まらなかったんです。何でか、こう!」


「ってえ」


 早口になって得意げに話し出す雅晴の後頭部に、連続デコピンがフィリーネによって食らわせられていく。


 それにムッとした雅晴は、口元に笑みを浮かべて、でもさ、と声色を変えた。


「昨日は俺に変態だって言ってきたけど、フィリーネも他人のこと言えないよな」


「どうしてです?」


「だって、えーっと? 確か、あのときは、ノーブルゥアァッ――」


 最後まで言い終わらないうちに、思い切り後頭部をはたかれ、雅晴は前のめりになって地面に倒れ込む。


「そのことは忘れてくださいって言いましたよね」


「いきなり何すんだよ」


「だって、それはですね」


 起き上がって服についた土を払いながら、雅晴は不機嫌そうに言ってみる。叩かれた理由など、すぐにわかるのだが。


 フィリーネはもじもじと俯いて、身体を左右に揺らす。


「あまり大きな声で言わないで、とあのときお伝えしたはず……です!」


「小さかったらいいんだ……」


「アルリカさん?」


 後ろでぼそっと呟いたアルリカに、フィリーネは顔を上げ、ずかずかと歩み寄っていく。


「元はといえば、アルリカさんが茶色いのを投げつけたのが原因なんです! なのに、そんなことを言うのはこの口ですか?」


「ご、ごめんなひゃいぃぃ」


 フィリーネに両手で口を引っ張られ、アルリカの言葉はふにゃふにゃになる。


 二人の取っ組み合いを見ていると、不意に笑みがこぼれた。


「そういやアルリカ、昨日の夜はどこに行ってたんだ? 何度も小屋を抜け出してたみたいだけど」


「へっ!?」


 雅晴が何気なく問いかけた一言で、二人の動きがぴたりと止まった。


 地面に押し倒されたままのアルリカは、明らかに動揺したように視線を泳がせる。


「んん?」


「いやー、久々に街の明かりが無かったじゃん。だから、つい星を見たくなっちゃってさー。いやー、すっごく綺麗だったよ。ハルも一緒に来たら……よくないけどあの満天の星空は一見する価値ありだよ!」


「……なんか、えらくいっぱい喋るな」


「そ、そんなことないよ。ほほほら、あたしのことはいいから、早く行こ。ね?」


「まあ、それもだなあ。んじゃあ、行くか」


 そう言って雅晴は振り返る。一瞬だけ。フェイントをかけるつもりで。


 そして、すぐさま元の体勢に戻ってみる。


 アルリカが大の字になって胸を撫で下ろし、馬乗りになったフィリーネは彼女の耳元で何か囁いていた。


 そんな彼女と目が合うと、みるみるうちに顔を真っ赤にし、全身をぷるぷると震わせ始める。


「ハルの……ハルの変態ぃ!」


 アルリカの叫びは、朝日の眩しい森にこだまする。


 小枝にとまっていた小鳥たちは驚いて羽ばたき、葉擦れの音はざわめきとなって空気を震わせるのであった。






「なあ、まだ怒ってんのか? 悪かったって」


「別に。怒ってないもん」


 アルリカの隣を歩み、雅晴はとりあえず謝ってみる。


 どうやら昨夜のことは禁忌なんだと心に刻み込み、雅晴は空を見上げた。


「でも、俺もだるまさんが転んだ的な動作しただけで変態呼ばわりされると、なんか癪に障るんだが」


「ダマルさんが何って?」


「だるまさんな。んんーまあ、簡単に言うと見られてる間は動いたらダメっていう、子供の遊びだな」


「何それ。よくわかんないけど、もう大丈夫だと思った瞬間にまたこっち向かれると、うってなるじゃん」


「そうなのか?」


 見上げるアルリカと見下ろす雅晴。両者の視線に火花が散る中、先を歩くフィリーネがこちらに向かって駆けてくる。


「マサハルさんにアルリカさん、お二人に良いお知らせですよ。……って、今度はどうされたんですか」


「何でもない!」


 フィリーネからの問いかけに、二人は口を揃えて言い返した。


 彼女は一瞬、表情を強張らせたが、すぐに微笑みめいたものに変化させる。


「フィリーネ、ごめん。あたし、つい」


「大丈夫ですよ。お気になさらないでください」


「俺も悪かった。デカい声出しちまって。……で、どうしたんだ」


「そうそう、お二人とも見てください。ほら」


 そう言って、フィリーネは元来た方へ向かって腕を伸ばした。


 彼女が指差す先へ目を向けると、道の両側に立ち並んでいた木々が無くなっている。それは、森の終わりを告げていた。


「おおっ! やっと抜けるのか」


「あの先がベルセント・ボイヴィッシュです」


「歩き疲れたよー。早く休みたい」


「んじゃあ?」


 三人は顔を見合わせる。


 そして次の瞬間、土を踏みしめ、走り出した。


 髪を揺らして、瞳に輝きをのせ、期待に胸を膨らませる。


 出口までの数十メートルをあっという間に駆け抜け、三人は並んで足を止めた。


 開けた視界いっぱいに飛び込んできたのは、すっかり寂れてしまった小さな田舎町だった。


 整備された道の先に住宅が密集しており、その左奥には広大な敷地にあり列車がたくさん止まっている。


 どの建物の壁も屋根も汚れ、人の姿はここからでは窺えない。


「想像してたのと違う……」


「ニーナ様からいただいた資料では、ここがベルセント・ボイヴィッシュで間違いないはずなのですが」


「ウィステリア駅みたいなことには……ならないよな」


 しかし、住宅街の駅とは反対側には、今でも綺麗に手入れされ、白く輝く城が立っていた。


 石垣の上に立つその城は巨大で、何本もの塔が設けられている。


「あっ! あのお城です。あそこに資料館が併設されているはずです」


「……ほんとだな。行ってみるか」


「うん」


 城へ向かうために一度市街地へ入ると、今度は今までとは違った驚きを三人は感じることとなる。


 一歩通りに足を踏み入れれば、少ないながらも確かに人の生活があった。


 雑貨屋や日用品を取り扱う店、食料を売る店も喫茶店のような場所もある。


 三人はまた顔を見合わせる。それぞれが同じように安堵の表情を浮かべていた。それから、ゆっくりと息を吐きだす。


「あぁ、人のいる場所に来られたな」


「誰もいなかったらどうなるかと思ったよ」


「とりあえず、一安心ですね」


 涙を浮かべるアルリカを抱き寄せ、フィリーネはその頭を優しく撫でていく。


「頭撫でないでよ。子供じゃないもん」


「よしよし」


「おいおい、まだ最初の目的地にも着いてないのに、ラスボス倒した後みたいになってるぞ」


「たまにいいじゃないですか」


「それが、たまじゃないから困ってるんだよなあ」


 そんなことを言い合いながら、城下町の探索は一端後回しにして、資料館を目指して再び歩き出す。


 通りの外れまで来ると、目の前には閉ざされた城門が立ち塞がっていた。


 鍵でしっかりと閉じられ、押しても引いても扉はびくともしない。


「入れないじゃん」


「困りましたね」


 雅晴は門の前で腕を組み、下から上に向かって視線をずらしていく。


 フィリーネも眉根を寄せて立ち尽くしてしまう。


「ぶっ壊しちゃう?」


「いや、さすがにまずいだろ。それに、どうやって壊すつもりだよ」


 物騒なことを言いだすアルリカに、雅晴が問いかける。


 すると、彼女はニッと笑って、どこからともなく例の杖を取り出した。


 小さな顔の横でくるくると棒を回し、蜜柑色の瞳を煌めかす。


「アルリカ、お前なあ。昨日のこと忘れたとは言わせないぞ?」


「もしかして、それ、魔法を発動するために必要とされている杖じゃないですか。まだ現代に魔法使いがいるなんて信じ――」


「お前たち! そこで何をしている!」


 背後からしわがれた男性の声が飛んでくる。


 三人が慌てて振り返ると、白髪の年老いた男性を中心に、左に若い女性、右に中年の男性が立っていた。


「最近ここらを嗅ぎまわっている盗賊の一味だな? 逃がさんからな」


「ちょ、ちょっと待って――」


「黙れ!」


「三人とも地面に這いつくばりなさい」


「さもないと命の保証はないぞ」


 開くことのない城門を背に、三人は身動きが取れなくなった。


 汗でじっとりと手が湿る。


 視界の隅でアルリカが杖に息を吹きかける。粒子状に分解した杖が、風に溶けて流れていく。


 フィリーネは自分が警備隊の一員であったことも忘れて、へなへなとその場に崩れ落ちてしまう。


「まずいことになったな……」

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