第11話 爆裂する魔法と
雅晴は痛みで閉じていた目を、そっと開く。
少し先の地面には、うつ伏せに倒れ込んだフィリーネの姿があった。
「フィリー……ネ……?」
自身の手を手繰り寄せるように立ち上がり、彼女の元へ駆け寄る。
銀髪に隠れて見えない顔に嫌な予感を覚えながら、雅晴は腕を回して抱き上げた。
あのときと同じ甘く優しい香りが、ふわりと舞い上がる。
「おい……おいっ!」
列車の中でアルリカを揺すったように、彼女の身体を強く揺らす。
それでも瞑ったままの目。その顔はこんな時であるというのに美しく、綺麗だった。
口元に耳を近付けてみても、急に吹き出した強い風と激しい音に阻まれて、息を感じ取ることができない。
「アルリカは。アルリカはどこ行ったんだ」
そう言って顔を上げた瞬間、背後から強い衝撃が雅晴を襲う。
何かが炸裂した音に続いて地が鳴り、爆風が包み込んだ。
雅晴はフィリーネを守るようにぎゅっと抱きしめ、身を小さくする。
しかし、風の勢いは強く、二人はコンコースの奥に吹き飛ばされてしまった。
「ハルゥ! フィリーネー! どこー? 大丈夫?」
舞い上がった粉塵に一帯の視界が奪れ、声の方向もわからないが、二人を呼ぶ声がする。
だが、少し癖のある喋り方と張り上げるようなその声は、姿が見えなくても誰だかわかる。
「アルリカ、こっちだ! 二人ともこっちにいっ――」
口を開ければ、喉に異物が入り込む。呼びかけの途中で、雅晴は咳込んでしまう。
「オッケー、ハル。今行くからね」
間を置かずに、アルリカから返答があった。
その直後、粉塵の一部が裂けた。風が通り抜けて、円形の空間が出来上がる。
トンネルのようにぽっかりと開いた穴から走り出てきたのは、アルリカだった。
蜜柑色の瞳に光を宿し、吹き返しの風に黒のローブを翻す。
「さっ、行くよ! 二人とも早く立って。あいつが来ちゃう」
「ちょっと待ってくれ。フィリーネが、その……動かないんだ」
雅晴がそう言うと、アルリカは驚いた顔を見せた。瞳からすっと光が消えていく。
彼女は雅晴と合わせていた視線を外し、フィリーネの身体の方へと向ける。
「大丈夫。ほら見て」
アルリカが指差す方を見ると、フィリーネの胸がわずかに上下していた。
「フィリーネ、息してる!」
「今までずっと抱きしめてたんでしょ? それくらい気付いてよ」
「よかった……よかった……」
「――って、こんなことやってる場合じゃないの。ほら」
アルリカが手を差し出すと同時に、彼女の背後を一筋の光が駆け抜ける。
無音になった刹那、光の爆発が起きた。
視界が戻ると、周囲の煙は晴れ、周囲の無残な姿が露わになる。
地面には大穴が空き、黒く焦げていた。ロータリーへ続く出入り口付近は、建物の外に張り出した屋根が崩れ落ち、切り取られたように壁の一部が無くなっている。
コンコース内にあったものは、大半が後方のホーム上へ吹き飛ばされていた。
「こんなに早く発動させたのか」
アルリカが見つめる先には、一人の人間が立っていた。
押し潰された駅前に佇むその人物は腕を振り下ろし、纏っていた光を振り払う。
そして、ゆっくりと、一歩ずつ、こちらへ向かって歩き出した。
「逃げるよ」
アルリカはその人物を見据えたまま、そう漏らした。
「何だって?」
「逃げるって言ったの」
「でもまだフィリーネが」
「彼女くらい抱っこできるでしょ。男を見せてよ!」
言い放ったアルリカは、既に走り出していた。
腕の中で眠るフィリーネを見つめ、もう一度顔を上げる。
間もなくあの人物は、建物の中へ足を踏み入れるだろう。
これ以上じっとしている暇はなかった。
雅晴は覚悟を決める。
「ああ、やってやるよ。このくらい、楽勝だ」
雅晴は大きく深呼吸を一回。
ぼろぼろになった身体に鞭打って、立ち上がる。
フィリーネを抱き上げ、震える足を必死に動かし始めた。
「ハル、早く! 急いで!」
「うるせえ、そんなこと言うなら手伝いやがれ」
地下へ続く階段の前に立ち、アルリカは叫ぶ。
飛び跳ねる彼女に急かされながら、雅晴は出せる限りの全速力で何も無くなった構内を移動していく。
「意外と重たいんだよ……」
雅晴がそうぼやいた直後だった。
顔のすぐ横を、一筋の光が通り抜ける。
そのことに気が付いたときには、前方の壁が衝撃とともに煙を上げた。
「ど、どうなってんだ」
振り向いてみると、崩れ落ちた出入り口に立つ人間が、手を突き出していた。
と、今度はその人物めがけて鋭い光が放たれる。
その人はニッと笑い、突き出していた手で光の矢をはじく。
進路を変えられた光は、後方の高層ビルに突き刺さって派手な音を響かせた。
「ほら、手貸すから一緒に逃げ切ろ」
耳元で囁かれたその声は、力強さと脆さを孕んでいるようで、触れば簡単に崩れ落ちてしまいそうだった。
いつの間にか隣を走っていたアルリカは微笑みを見せ、そっと雅晴の背中を押す。
それが物理的なものなのか、精神的なものなのか、今の雅晴にはわからない。でも、確かに体が軽くなった気がした。
「もちろんだ」
雅晴たちは、やっとの思いで地下鉄の駅へ向かうための階段に差し掛かる。
追手の猛攻も当たらなければ、ただの賑やかしにしかならない。
「このまま乗り換え先の列車まで、一気に走り切ろうぜ」
少しだけ心に余裕ができた雅晴は、アルリカにそう呼びかけた。
彼女もそうだね、と答えるが、その足は次第に速度を緩め、やがて止まってしまう。
「どうしたんだアルリカ。何やってんだ」
「ごめんね、ハル。すぐ追いかけるから、フィリーネと少しだけ先に行ってて」
「何言ってんだよ。早く行くぞ」
「ごめん。二人がいると、この魔法は使えない。だから、だから……」
そう言って振り返ったアルリカの目には、涙が浮かんでいた。
頬を伝い、一粒、また一粒と涙が落ちていく。
雅晴が躊躇っていると、アルリカの口から震える声が溢れ出す。
「間に合わなくなっちゃう。お願い。……ね」
爆裂音が鳴り響き、地面が揺れる。
天井からは破片が零れ始めていた。
「わかった。先に行って待ってるからな。必ず来いよ」
「当り前じゃない。あたしはルィトカ家の魔女なんだから」
アルリカは大きなツバを握り、帽子をぎゅっと被り直す。
ローブの中に手を入れて杖を取り出すと、振り返って呪文のような言葉を唱え始めた。
雅晴は背中でその言葉を聞きながら、地下深くへと潜っていく。
彼女が詠唱を終え、最後の言葉を紡いだ途端、立っていられないほどの揺れが雅晴を襲った。
階段の上へ目を向けると、青白い光に包まれたアルリカが煙に消え、次の瞬間には雅晴の身を爆風が押し出した。
強弱のついた地響きが起き、辺り一帯を包み込む。
風に押されて階段を落下するさなか、さらに強い衝撃が一度全身に走る。
辛うじて繋がっていた雅晴の意識は、そこで手放されることとなった。
次に意識を取り戻したとき、目に入った天井は木製だった。
パチパチと木が弾ける音が聞こえ、雅晴は上半身をゆっくりと起こす。
「マサハルさん、起きたんですね! よかった。本当に良かった」
飛びついてきた彼女からは、また甘い匂いがした。
全身が痛くて、か弱い女の子からのハグですら顔に出てしまう。
「心配したんですよ。あれからずっと目を覚まさないんですから」
「悪いな。ちょっと無茶が過ぎたみたいだ」
周囲を見回してみると、ここは小さな小屋の中だった。
雅晴が寝ていた横には囲炉裏が置かれており、スープのようなものが入った鍋が煮えている。
布団の下には畳が敷かれていて、藺草の香りが懐かしかった。
しかし、小屋の中にアルリカの姿はない。
「なあ、フィリーネ。アルリカは、どこに行ったんだ。小屋の中にいないみたいだけど」
「……それは、その」
聞いてはいけない気もしたが、聞かなくてはならない。
はっきりさせなくてはならないことなのだ。別れ際に約束したのだから。
「い、今はちょっと席を外してると言いますか、その……えへへ」
無理矢理作った笑顔で、何かをごまかそうとするフィリーネ。雅晴はその様子から、想定していた最悪を察してしまう。
「ごめん。答えにくいことを尋ねちまったな。フィリーネは無事でよかった」
「そ、そんなことありませんよ。それに、私のことはいいんです。所詮使い捨ての監視員ですから」
彼女はそう言って、腕の傷を擦った。
窓の外へ目を向けると、辺りはすっかり暗くなっている。
まだ地下にいるのか、地上に出たのかは、ここからでは判断できなかった。
「……ダメですね。何だか気分が落ち込んでいるみたいです。早く元気にならないとですね」
そう言って、彼女はその場で立ち上がる。
部屋の隅へ移動していく姿を目で追っていると、彼女は椅子の上に置かれた帽子を手に取った。
それは、先端が尖った、ツバが大きな黒い帽子。所々穴が開き、汚れている。
「少し、外に出てみましょうか。ここの夜は、ベラドーナーの街と違って、静かですよ」
「……ああ」
フィリーネに連れられて、雅晴は小屋の外に出た。
扉を開けると涼しげな風が吹き抜け、草木が揺れる。
足元の地面は濡れており、しっとりした足音が溶けていく。空気には、まだ雨の匂いが混じっていた。
「明日は資料館に行きましょう。そこで香辛料について、きちんと学ぶんです」
「ああ」
ランタンの仄かな灯りが、彼女の顔を浮かび上がらせる。その顔に張り付いた笑顔は、本当の感情を隠しているようで不気味だった。
「何そんな顔してんのよ。旅は始まったばかりなんでしょ」
「ああ……あ?」
ランタンが照らし出す小さな範囲に、灰黄色のミディアムウェーブが揺れる。
声に張りのある、明るい出会ったときと同じトーン。
「アルリカさん、もう大丈夫なんですか?」
「いや、正直まだ全然ダメっぽい」
「ど、どうして、あのとき……だって」
妙にやつれたその顔を指差しながら、雅晴は言葉を詰まらせる。
「それはさすがに酷いんじゃない、ハル」
「そうですよ。他人に向かって指を差すのは、いけないんですよ」
「アルリカ、生きてたのか」
やっとの思いで絞り出したのは、そんな言葉だった。
雅晴の言葉を聞いて、アルリカはわざとらしく溜め息をつく。そして、顔の前で人差し指を振ってみせた。
「だから、言ったじゃないですか。あたしはルィトカ家の魔女だって。勝手に殺さないでよね」
「じゃ、じゃあ今までどこに行ってたんだ。小屋の中にいないからてっきり……」
「そ、それはっ」
アルリカの発言を最後に、沈黙が訪れる。
近くで鳴く虫の声が、やけにうるさい。
と、大自然に混じって、趣の異なった音が耳に届いた。
まるでお腹の虫が鳴くような、少し恥ずかしい音。
「ご、ごめん。その、何だか気分が悪くなっ――」
「ちょっと待てよ」
最後まで言い終わらないうちに、アルリカは泣き声を上げて森の中へ駈け込んでいく。
後を追おうとした雅晴の腕を、フィリーネが必死に掴んだ。
「何すんだよ、離せ」
「私は監視員です。マサハルさんの行動を監視するのがお仕事なんです」
「こんなことしてる間に、アルリカがどっかに行っちまうぞ」
「あの娘は今、戦っているんです。乙女のピンチなんです」
乙女のピンチを強調するフィリーネ。雅晴が見つめると、彼女はそっと顔を横に振る。
事態をうまく呑み込めない雅晴は、ピンチなら、とフィリーネに詰め寄った。
「だったら余計に追いかけないと!」
「や、やっぱりマサハルさんは変態の気があるんじゃ……」
「意味わかんないこと言ってる場合かよ」
「いいんです。そっとしておいてあげてください。……さ、中に戻りましょうか」
「何だよそれ……」
半ば強引に、雅晴は小屋の中に連れ戻される。
近くを流れる川のせせらぎが、鬱蒼とした森に清涼感を与えていた。
うっすらと雲のかかった月は、その輝きを川面に反射させる。
その煌めきは、きょろきょろと周囲を見渡していた一人の少女を照らし出した。彼女はその頬をほんのりと上気させ、桃色に染めている。
「べ、別に変な趣味があるわけじゃないんだから。誰も見てないよね」
消え入りそうに呟き、さっと、下半身の一切を脱ぎ払った。
雲が流れ、月の光は勢いを増す。
水面の輝きは、今度は隠すべきものを隠す大事な役割を果たすのであった。
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