第10話 ランベリー・ウィステリア駅
列車の扉が開くと、鉄の錆びたような臭いが鼻を突いた。
連続したアーチ状の天井から日が差し込み、建物内を明るく照らし出す。
「なんか、随分とボロいな……」
天井は高く、壁の無い一辺は開放的だ。たくさんのホームが並び、それぞれのホームは櫛状に繋がっている。
その奥には、視界一杯に広がる空間があった。近代的な電光掲示板と、レンガのような壁面が不思議な調和をなしていた。
これだけ広い建物であるにも関わらず、車両があるのは中央付近のホームだけだった。それ以外のシマへは、フェンスが建てられていて立ち入れない。
雅晴は金網に駆け寄って、向こう側を覗き込んでみた。
鉄骨が落下していたり、瓦礫が散乱したりしており、近寄るのは危険そうだ。
「街に帰るには、向かいの十一番ホームの列車に乗れば良さそうですね」
呼びかける声に、雅晴は壊れた案内板から目を離して振り返る。
目を向けた先ではフィリーネが微笑み、その横を乗客たちが通り抜けていく。
列車から降りた人々は、停車していた列車や地下へ続く階段へ、足早に向かっていった。
「もう帰るときの話かよ。旅は始まったばかりだぜ」
雅晴が口元に笑みを湛えて言うと、フィリーネはそれもそうですね、と微笑する。
「そういや、アルリカのやつ、まだ降りてきてないのか」
「私、見てきますよ」
「俺も行くよ。一言言ってやらないとだめだしな」
再び列車の中に戻ると、アルリカは座席に崩れて寝息を立てていた。
帽子をぎゅっと握り、むにゃむにゃと寝言を漏らす。
「おーい、アルリカ。乗り換えの駅に着いたぞ」
「ルィトカさーん。起きてくださーい」
呼びかけてみても返事は無い。
仕方なく、雅晴はアルリカの身体を揺らし始めた。
揺れを激しくしていくにつれ、彼女の表情は険しくなっていく。うなされているようで、苦しげな声が口から溢れる。
「早く起きないと、発車しちまうぞ。強引に引きずり下ろすか」
そう言ってフィリーネに目配せをした瞬間、不意に首筋に痛みを感じる。
「な、何が起き――」
雅晴の言葉をフィリーネの悲鳴が遮った。
振り返ると、アルリカが雅晴の胸ぐらを掴んでいた。息を荒くして、鋭い目で睨みつけている。
「許さない……絶対に許さない……」
もう片方の手には、調理場で光を放ったときの杖のようなものが握られていた。
「じょ、冗談はよしてくれよ。な、アルリカ」
行き場を失った雅晴の両手が、ふらふらと空を切る。
フィリーネは震えるばかりで、開いた口から声は出ない。
アルリカの杖は強く、雅晴の額にめり込んでくる。彼女の手は、力を籠めすぎて震えていた。
しかし、その膠着状態は、あっけなく一瞬で終了することとなる。
「んあ……ご、ごめんなさい! あたし、ね、寝ぼけてたのかな」
正気に戻ったアルリカは、慌てて雅晴を掴んでいた手を下ろした。
「その杖もしまってもらえると嬉しいな」
「えっ? あ、あたしなんてことを」
雅晴にそう言われ、アルリカは急いで杖を引っ込める。
解放された雅晴は目を閉じ、ゆっくりと息を吐きだした。
「ルィトカさん、大丈夫ですか?」
若干の距離を取り、フィリーネが問いかける。
肩で息をするアルリカは、項垂れたまま小さく頷いた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
列車が大きな音を立てて空気を噴射した。吐き出された空気は、消え入りそうなアルリカの声とともに、大気へ霧散していった。
「気分転換にちょっと街へ出てみるか」
改札の前までやってきて、雅晴は行き先の変更を提案する。
朝から泣いてばかりだったアルリカは、すでにぐったりしていた。フィリーネの肩を借りて、二人のやり取りに耳を傾け、静かに聞いている。
「あまりおすすめはできませんよ。目的地までは、まだかなりの距離が残っています」
「でもさ、せっかく来たんだし……少しだけだからさ。寄り道しようぜ。それに、どこにどんな情報があるかわかんねえだろ」
雅晴が訴えかけたとき、背後で警笛が鳴る。
三人が振り返ると、九番ホームの辺りで鳥の群れが空へと羽ばたいた。
やがて鳥の壁が晴れ、ゆっくりと列車が出発していく。
三人は鳥たちを追って視線を上げていく。所々崩れ落ちた半透明の板を縫うように、鳥たちは建物の外へ消えていく。残されたのは、青い空に浮かんだ白い雲。
「天気も良いし、散歩がてら。ね」
にっこり微笑んでみる雅晴。しかし、フィリーネの表情は一向に好転しない。
雅晴は手を合わせ、お願いのポーズをとった。
「な、アルリカからも頼むよ」
「あ、あたし?」
急に話を振られ、アルリカは顔を起こした。
いつものような元気はなく、小さな声で、えっと……、と言葉を詰まらせる。
「気持ちはわからなくもないけど、まずは先に向かった方がいいような」
「そうですよ。情報でしたら、ベルセント・ボイヴィッシュの資料館で集められます」
「やっぱさ、探検したいじゃん。少年の心が疼くっていうかさ」
女性陣が先を急ごうとする中、雅晴だけは目を輝かせ、新しい街に心を躍らせる。
子供のように駄々をこね、興味を向けた先から離れようとしない。
「……わかりました。建物の外に行ってみましょう」
「ちょっと待ってよ。地下に降りないと」
「さすがだなあ、フィリーネ!」
渋々といった様子で、フィリーネが街の探索に許可を出した。
雅晴は拳を振り上げて、子供のようにはしゃぐ。
「さて、どっから行こうかな。どんなとこがあるのかな」
開いたまま動かない改札を潜り、雅晴は出口へ向かって走り出す。
足音は空間に響き、後ろから追ってくる二人の声がこだまする。
さっきまでいたはずの他の乗客たちも、すっかり姿を隠していた。
ぽっかり空いた出入り口には、白い光のカーテンが包み込んでいる。
「さあて、この向こうは!」
雅晴は勢いよく光をかき分けて、外へ飛び出した。
数歩進んで、パタリと足が止まる。
そこにキラキラ輝く街は無く、打ち捨てられた廃墟が広がっていた。
「ど、どういうことだ」
「一体何があったのでしょうか……」
「だから嫌だったのに」
追いついてきた二人は、雅晴を両側から挟み込む。
雅晴とフィリーネが目を丸くしていると、アルリカは大きく溜め息をついた。
「アルリカ、何か知ってるのか?」
「一応。……直接見たわけじゃないけどね」
意味深な発言をするアルリカに、雅晴は問いかける。
彼女は足元に転がっていた破片を蹴り飛ばし、そう答えた。
「教えてください、ルィトカさん。この酷い光景は一体何なのですか」
駅前のロータリーは荒れ果て、事故を起こした二階建てバスが放置されている。
正面に佇むレンガ造りの建物は、白いアクセントをくすませ、右奥の近代的な高層ビルは、ガラスを失っていた。
アルリカは歩き出し、二人の前に出る。
数歩進んで止まり、こちらへ振り返った。
手に持ったままになっていた帽子を目深に被り、ゆっくりと口を開いた。
「ここは、ヴァリタ・ロネリアのかつての王都だよ」
「王都だと?」
「そんな話、聞いたことがありません……」
予想だにしなかった言葉に、雅晴とフィリーネは顔を見合わせる。
「ルィトカさん、お願いです。お話を」
困惑した表情で、フィリーネはアルリカに向かっては声を飛ばす。
雅晴はそんな彼女を見据え、問いかけた。
「――逆に、フィリーネはどうして知らないんだ」
日本から来た雅晴が知らないのは仕方がないとしても、現地の人間であるフィリーネが、遷る前の都の存在を知らないはずがない。
「そ、そんなことを言われても困ります……」
「十七年もこの国で暮らしてきたんだろ? 知らないはずないだろ」
「仕方ないよ。スカーレット家が隠してるんだから」
「さっきからまどろっこしい。はっきり言ってくれよ。どういうことなんだ」
小出しに発言するアルリカに耐えられなくなって、雅晴はつい声を荒げてしまう。
反射的に小さくなった彼女の表情は、帽子が邪魔をしてみることができなかった。
「ごめんなさい」
「いや、俺も悪かった」
午後の太陽は駅の向こう側。影が落ちたロータリーには、暗く冷たい空気が漂っていた
「……おばあちゃんから聞いたんだ。ずーっと前、ちっちゃな頃に」
そこで一度言葉を切り、アルリカは二人に背を向ける。
「この国は昔、崩壊しかけたときがあったんだって。小さな田舎町にやってきた行商人たちがきっかけで」
風を受け、帽子の大きなツバが上下する。少しサイズの大きいシャツが揺れ、ハタハタと音を立てた。
雅晴はフィリーネとともに歩き出し、今度はアルリカを中心に一列に並んだ。
「紛れ込んだ病気が国中に蔓延して、それはすごいことになったって。王選絡みで内乱が起きちゃうし、何ヶ月も冬が続いちゃうし……」
そこまで話したとき、で、とアルリカの声音が変わる。これまでとは打って変わり、元気の戻った明るい声だった。
「突然ニーナが現れて、国を治めだした。使い物にならなくなった首都を捨てて、本島の南東にベラドーナーの街を創ったの」
「それがあの海沿いの街、か」
「そう。だから、ここみたいなところがいっぱいあると思う」
「街に入る前に見たあの壁は、戦いと闘いによるものだったのですね」
アルリカの話すこの国の歴史に、フィリーネは相槌を打って聞き入っている。
そんな様子を眺めながら、雅晴は考えていた。国の混乱を救った歴史を、どうして隠す必要があるのだろうか。
「なあアルリカ」
「どうしたの、ハル」
「その、スカーレット家がこの歴史を隠蔽してるってのは、一体どういうことなんだ? そんなことをするメリットがわからない」
「それは……スカーレット家――王家が、混乱を拡大させちゃったからなんじゃないかな。伝染病の対応に手間取ったり、その最中に国王がいなくなったりとか」
「ほおう。そうなると、確かに隠したくなる気持ちもわかるな」
雅晴は顎に手を当てて、口元に笑みを浮かべた。
難しそうな顔をしていたフィリーネは、降参のつもりなのか首を傾げる。
「どうしてですか?」
「そりゃあ、もしバレでもしたら王家の地位が危うくなるだろ?」
「……あっ!」
「待ってよ。おばあちゃんの推測も混ざってるだろうから、本当のことはわかんないよ」
手元を離れて広がっていく話に、アルリカは慌てて付け加える。
「ま、何にせよ、とりあえず見て回ろうぜ。アルリカ、なんか観光名所みたいなとこないのか?」
「知るわけないじゃん! って、結局寄ってくの? 何もないし危ないよ」
「まあ、それもそうか。先を急ぎますかあ」
「お二人は仲が良いのですね」
紫紺の瞳に見つめられ、こげ茶と蜜柑の瞳が揺れる。
短い沈黙の後、アルリカは何かを思いついたのか、悪戯な笑みを浮かべた。
「ニーナの指示だもん。だから一緒にいてあげてるだけだよ。シルヴェスター隊員の状況と同じ」
「そんなことないですよ。私なりに、この状況を楽しんでいるつもりですよ」
「あれ、そうなんだ。てっきり、嫌々監視役やらされてるのかと思った」
明らかに狼狽するアルリカに、雅晴は下品な笑い顔を送る。
目の合った彼女は、ふんっと顔をそらしてしまった。
くすっと声が聞こえ、雅晴がフィリーネを見ると、天使のような笑顔がそこにあった。
「あ、ルィトカさん。フィリーネで大丈夫ですよ? 駅では隊長がいたので言えてなかったですが」
「それなら、あたしのこともアルリカって呼んでよ。ルィトカってのは、あんまり好きじゃない」
「わかりました。では、アルリカさん、改めまして、よろしくお願いします」
「こっちこそ、よろしくね。パイン」
「もう。パインはダメです。そう呼んでいいのは、ニーナ様だけですよ」
「ほほう。じゃあ、別のニックネーム考えないとだね。フィリーネ」
差し出された手に手を重ね、二人は握手を交わす。
一人仲間外れになった雅晴は、何だか寂しいような、嬉しいような気分になった。そんな不思議な気持ちを振り払うように、もう一度ロータリーへ目を向ける。
街に落ちる影は崩れた凹凸で、地面に明部と暗部を作り上げていた。
と、不意に赤いバスの陰で何かが動いた。
雅晴は前のめりになって、注視してみる。
あちらも車体の後ろから、じっとこちらの様子を見つめていたようで、瞬間的に相手と目が合ってしまった。
その人物は表情一つ変えずに、陰から歩み出る。懐に手を入れ、何かを取り出した。
そして、その先端を突きつける。
「やばい、伏せろ!」
雅晴の叫び声と、発砲音がほぼ同時に発せられ、重なった。
無理に振り返ろうとして、雅晴は体勢を崩して倒れ込んだ。
地面にぶつかり、その衝撃で思わず目を瞑ってしまう。
その瞬間、二人がいた方から悲鳴が聞こえ、誰かの倒れる音が続く。その鈍い音は耳に残り、離れることはなかった。
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