第2章 スパイスを見つけるヒント

第9話 新しい街へ

 全身に強い揺れを感じ、雅晴まさはるは目を覚ました。


 寝ぼけ眼で窓の外を見てみると、列車は寂れた駅に停車していた。


 見渡す限り平原で、澄んだ青空が一面に広がっている。奥には巨大な山が高くそびえ、その山頂にはまだ雪が残る。


 日はまだ高いというのに人影はない。列車は数分もしないうちに警笛を鳴らし、再び走り出した。


 速度が徐々に上がっていくにつれ、木製の椅子から伝わってくる振動も強くなってくる。


 頼りないクッションを見つめていると、思わず大きな欠伸が零れた。


「アルリカ、あれからどれくらいだ?」


 雅晴は喉をガラガラ言わせて尋ねるが、返事は無い。


 通路側に目をやると、アルリカはいつの間に持ち出したのか、黒いとんがり帽子を深々と被って寝息を立てていた。


「そりゃ眠くもなるよなあ……」


 雅晴はそっと視線を正面の席で眠る少女へと移す。


 人形のように整ったその寝顔は、昨日のことだというのにもう懐かしく感じられる。


 揺れで肩から滑り落ちた銀色の髪が座席に垂れ、南の空に浮かぶ太陽の光を反射した。


 眩しくて反射的に閉じた瞼は重く、もう一度開くのさえ億劫に思う。


 目指すのはベルセント・ボイヴィッシュ。ヴァリタ・ロネリアの西のはずれだという。到着予想は辺りがすっかり闇夜に包まれる頃。時間はまだたっぷりある。


 雅晴は温かな日差しで視界を赤く染めながら、また夢の世界へと誘われていった。






 ニーナやセシリアと別れたあと、二人は旅の支度をしにバザールへ足を運んでいた。


 今日の食料やちょっとした小物、非常食。それから、リュックも長袖の服も買い揃えた。


「じゃあ、あとはアゼルへの挨拶だけだね」


 店の裏へ着替えにいったアルリカが話しかけてくる。


 雅晴はアルリカが戻ってくるのを、店の前にしゃがんで待った。


「アゼルのおっさんに挨拶なんかいんの?」


「まあ、しばらく会えなくなるしさ」


 着替え終わったアルリカは、そう言って笑う。満面ではない、寂しげな笑顔で。


 それから、売っていた焼き菓子を手土産に、二人はアゼルの精肉店を訪れた。


「よう、ルリカにカレーの兄ちゃん」


「アゼル、こんにちはー」


「俺の名前は雅晴だっつの」


「おうおう。今日も元気がいいなあ」


 アゼルは今回もまた、ケースをバシバシと叩いて豪快に笑う。


 バザールはギラついた太陽の下でも活気にあふれていた。夜とは違って、商人から民間人までもが入り乱れ、往来の激しさは増すばかりであった。


「ねえアゼル」


「なんだ?」


 アルリカは蜜柑色の瞳をきょろきょろとさせている。別れをなかなか言い出せず、他愛もない話も振り出せずにまごまごしてしまう。


「んだ、らしくねえなあ。言いたいことがあるならはっきり言うのがルリカってもんだろ」


「別にそんなんじゃないもん」


「アッハッハ。なんだ兄ちゃんの前では可愛らしい女の子でいたいか」


「違うって言ってるじゃん。そうじゃなくて」


「んん。そうか。何か言いにくいことがあるんだな」


 アルリカの見せる態度に何か感じ取ったのか、アゼルは急に物腰を穏やかにする。


 ケースの奥から出てくると、店の前に置いてあった木箱に腰かけた。


「ほれ、言ってみい。ルリカのことだから、どうせまたしょうもない――」


「あたしたち、一年近くこの街に戻れないかもしれないの」


 アゼルの言葉を遮って、アルリカは下を向いたまま話し出す。


 声の震えを必死に抑えるように、手を握りしめている。


「警備隊の隊長の命令で、探し物をしなくちゃならなくなって」


「なんでまたそんなことになっとるんだ」


「いろいろあってさ。もし無事に見つけて帰ったら処刑せずに罪を見逃してくれるって。ニーナ様もやってみたらいいって」


「ニーナってあのよそ者か」


 ニーナの名前が出た途端、アゼルは顔をしかめた。


 急に身体を動かし出したり、頭を掻いたり落ち着きを失っていく。


「いくらアゼルでも、ニーナのこと悪く言ったら許さないよ」


「こっちこそ、パスカル様を追いやったあの女狐なんぞ認めてたまるか。純粋なセシリア王女まであんなやつに騙されてしまって……」


 憎しみと憂いが混じった表情を浮かべ、アゼルは大きな溜め息をついた。


「ルリカ、お前もいい加減目を覚ませ。あいつに幻術でも見せられてるんじゃないか?」


「そんなこと……そんなことないもん!」


 アルリカはそう言い放つと、アゼルを睨みつけた。


「数年前のようなことになってからじゃ遅いんだぞ!」


 アゼルに怒鳴られ、アルリカの顔がみるみるうちに崩れていく。


 今にも泣きそうになった顔をそらし、彼に背を向ける。


 振り返り際、アルリカが何かを呟いたように見えたが、周囲の雑音に呑まれて雅晴の耳には届かない。


「ハル、行くよ。もうアゼルなんか知らないんだから。お別れなんて、お別れなんて……」


 アルリカはシャツの袖を濡らし、走り去っていく。


 肩で息をするアゼルから視線を外すと、雅晴も彼女を追って走り出した。






「嫌なこと思い出しちまったなあ」


 草原ばかりだった車窓に、徐々に生活の気配が戻ってき始めていた。


 所々に家が立ち並び、畑には農作業をする人がいた。


 太陽は少しだけ西へ進み、今は昼下がりくらいの時間だろうか。


「あれ、マサハルさん起きてたんですか。私としたことが、いつの間にか寝てしまっていました」


「おおー。フィリーネ、起きたのか」


 紫紺の目をパチクリさせ、フィリーネは小さな欠伸を零した。


 右、左と顔を傾けるのに合わせて、髪の毛も右へ左へ流れる。


 アゼルと別れ、約束の時間に噴水広場へ行くと、アディソン隊長とともに待っていたのはフィリーネだった。


 アディソンによると、二人の監視役として旅のメンバーに加わるのだという。


 容疑者として捕らえられていたのでは? と雅晴が質問すると、女王からの命令で逆らうことができなかったらしい。


「ルィトカさん、よく眠ってらっしゃいますね」


「今日は朝からいろいろあったからなあ」


 雅晴にもたれかかって眠るアルリカ。呼吸に合わせて、長い帽子が雅晴の顔を削る。


「ちょーっと失礼」


 雅晴が起こさないようにそっと帽子を取ると、泣き腫らした目が少し痛々しい。


 フィリーネは何か言いたげな表情でこちらを見てくるが、手を上げたり下げたりするばかりで、なかなか口に出してこない。ついには尋ねるのを諦めて、窓の外を眺め出してしまった。


 そんな様子を見て雅晴は、思わずにやけた表情になってしまう。


 駅に入ってアディソンがいなくなると、フィリーネとアルリカの間には険悪な空気が残った。


 一時はどうなることかと思ったが、フィリーネが意外にも大人だったのか、アルリカが子供っぽ過ぎたのか。真相はわからないが、列車に乗って話しているうちに、そんな空気は消えてなくなっていた。大階段での一件は、どうやら水に流すことにしたらしい。


「マサハルさん」


 と、雅晴がそんなことを考えていると、フィリーネが呼ぶ声が聞こえた。


「なんだ?」


「見てください」


「んん?」


 フィリーネはそう言って顔を窓に向ける。そのあとを追って雅晴も窓の外を見た。


「あれは一体……」


 これから列車が向かう先、大きな川の向こう側に、石の壁のようなものが視界の限り広がっていた。


 壁の上端からは、時計塔や高層ビルのような建物も見受けられ、出発地よりも大きな街のようだ。


「どんな街なんだろうなあ」


 車窓から見える家の数が急激に増え、いつしか点在から密集に変わっていた。


 街へ向かう線路も、川の手前で別の路線が合流し、幅を増している。


 しかし、どこか様子が少しおかしい。


 雅晴が違和感を抱いているうちに、列車は川に架かる橋を渡り終え、石の壁をくり抜いて設けられた門を潜る。


 その瞬間、世界が変わった。


 コンクリートで整備された道路に、ショーウィンドウの奥に佇むマネキン。


 道端に放置された車に、破壊された店舗の玄関口。


 そんな世界に目を奪われていると、不意に列車の速度がゆっくりと落ち始めた。


 窓の外に見える光景が、次第にはっきりと目で追えるようになっていく。


 やがて、列車は今にも崩れ落ちそうなターミナル駅で停車した。

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