第8話 女王との謁見

 翌日、雅晴は裁判を受けたあの建物に戻ってきていた。


「何だか緊張するね」


「ああ」


 横を歩くアルリカは、調理場から借りてきた鍋をお腹の前で抱えている。


 聳え立つ大きな建物の入り口は巨大で、裁判室の入り口とは桁が違う。


 短い階段を上った先には、数本の太い柱が横一列に並び、その奥にはぽっかりと空間が口を開く。


 どの柱も壁も朝日を受けて白く輝き、雅晴は目を細めた。


「こんな朝っぱらからカレー持って来いって、あの隊長何考えてやがる」


「チャンスがもらえただけ良しとしようよ」


 昨夜、カレーを食べた隊長から、処刑前にチャンスをやる、と二人を王宮に呼び出されていた。


 隊長が帰った後は、二人の護衛に見守られる中、カレー作りに勤しむこととなった。


 アイラがアゼルの精肉店に走り、もう一人の男性が雅晴とアルリカが逃亡しないように監視する。


 野菜に関しては、もう一鍋分のカレーを作れるだけの材料は十分に残っていた。


 作り終えたころにはすっかりくたびれ、二人は調理場のテーブルでそのまま寝てしまった。


「ここって王宮だったんだな」


「ハル、知らなかったの?」


「バザールへも、アルリカにくっついて裏道を回り込んでたからなあ」


 階段を上りながら、雅晴は視線を横へ向ける。


 露店の色鮮やかな屋根が所狭しと賑わうバザールは、王宮の目と鼻の先にあった。


 煌めく海面をなぞって吹く、ひんやりとした風。穏やかなその風は頬を撫で、髪をさらう。


「んん! 気持ちー」


「だなあ」


 アルリカの肩で灰黄色の毛先が揺れている。


 雅晴が横目ちらっと彼女を見ると、眩しい笑顔がそこにあった。海の方を向いて手を広げ、風を全身で受ける。


「さて、行くか」


 雅晴が呼びかけると、アルリカは首を縦に振って鍋を持ち上げた。


 王宮の中に入ってしまえば、たちまち外界との接続は無くなってしまう。


 日差しと風が無くなり、バザールの活気も無くなる。入れ替わるようにして聞こえてくるのは、忙しく行き交う足音。


 建物の中は街中とは違い、相変わらず豪華絢爛だ。


「やあやあ。待ってたよ、お二方」


 声がした方を見ると、もはや見慣れてしまった隊長がいた。


 しかし、今日は正装版であった。いつもの紺シャツ&黒ベスト、黒ズボンの上からブレザーを着用している。


 胸ポケットには金色の糸で紋章の刺繍が施してある。


「もう来てくれないのかと思っていたよ。でも、ひとまず安心だ」


「まさか。ここで逃げ出すわけないじゃないですか。監視もいますしね」


 そう言って、雅晴は入り口脇を親指で差した。


 すると、白い光の中からアイラと男性監視員の姿が現れる。


「君たち、ご苦労だった。もう通常の配置に戻ってよいぞ」


「かしこまりました」


 隊長が言葉をかけ、二人は散っていく。


「あの二人、昨日からずっと起きてるし、休ませてあげてね」


「もちろんだとも。この国の警備隊はとってもクリーンだからな」


 隊長がニッと笑うと、白い歯と胸元のバッジがきらりと光った。






「この先が王の間だ。失礼のないように気を付けろ」


「……王の間!?」


 三人の前には、重く閉ざされた扉がある。


 今までの場所とは違い、ここの扉だけは大きすぎないスケールだった。


「そうだ。そのカレーを女王様に献上する。わかったな」


「わ、わかったから早くして! お鍋熱いぃぃ」


「よし。君たち、ドアを開けてくれ」


 調理室で加熱した鍋を持ちながら、悲鳴を上げるアルリカ。雅晴は調理員から土鍋のようなもの調理員から手渡されていた。


 隊長に指示を受け、両脇に立っていた係員が扉を押し開いていく。


 隙間から覗くのは、足元に敷かれた赤い絨毯と大理石の白い床。


 すっと視線を上げていくと、部屋の奥に高台があった。その真ん中に椅子が置かれ、そこに一人の人物が座っている。


 王座に対して人影が小さい気はするが、距離があるせいだと雅晴は判断した。


「いよいよご対面ってもんだ」


 雅晴は唾を飲み込み、右足を前に踏み出した。


 扉を潜ると、漂う空気感が変わった。一切の喧騒が排除され、部屋の中は静寂に包まれている。


 正面に座るのが人間であっても、王の間の雰囲気は神聖であった。


 真っ赤な絨毯の上、隊長の後ろを二人は歩いていく。


 部屋の半ばまで来たとき、不意に高台の前で人影が動いた。


「お待ちしていました。アディソン隊長」


 そう喋った声はとても綺麗だった。少女のような若さを残しつつも、大人の女性のようにしっかりした芯のある声。


 雲に隠れていた太陽が姿を現すと、薄暗かった室内は明るさを取り戻した。


 そこにいたのは、まだ若い女性だった。桃紅色の髪が束ねられ、巻いた毛先が胸に乗っている。


「本日はこのような機会を設けていただき、ありがとうございます」


「いえ。アディソン隊長にも何かお考えがあるのでしょう。警備隊の長、そのような方からの提案を邪険にする必要もありません」


 彼女はそう言ってアディソンに頭を下げる。葡萄色のロングワンピースがゆらゆらと揺れ、伸びる影がちらついた。


「それで、後ろのお二方がイドさんにルィトカさんですか」


「あ、はい」


「そうでーす」


 鍋を持ったまま雅晴は軽く会釈する。アルリカは無駄に明るく返事をした。


「では、そのお二人の抱えているお鍋に入っているものが『カレー』ということでしょうか」


「その通りです。ぜひ女王様にも召し上がっていただきたいと思い、連絡を入れさせていただきました」


「わかりました」


「……カレー、ですか」


 アディソンと付き人が言葉を交わしていると、高台の上に座る人物が会話に混ざってくる。


 その声は柔らかく、あどけない。どこか聞き覚えのある可愛らしい声に、雅晴は眉間に皺を寄せた。


「は、はい。少しクセはありますが、一度口にするとやみつきになってしまう逸品です」


「そうなのですね。少し私にも見せてください」


 雅晴とアルリカが棒立ちになる中、女王は王座から立ち上がる。


 その瞬間、部屋に入る前に覚えた違和感の正体が明らかになった。


 女王の立ち姿はあまりにも小さかった。それも、今にも服に呑み込まれてしまいそうなほどに。


「ニーナ様、座ってお待ちください。この者たちがすぐに準備致しますので」


「ニーナ……?」


 それは、アルリカから何度も聞かされていた名前であった。雅晴に救いの手を差し出したとされていた人物。初日に牢屋へやってきたあの少女。


「女王様の名前を呼び捨てるとは何様のつもりだ!」


「アディソン隊長、少し声が大きいです。彼はこの国の人間ではありません。もしかすると、礼儀作法も異なる文化圏かもしれないのですよ」


 声を荒げるアディソンに向かって、付き人はそう言い放つ。


 感情の見えないその声は冷たく、容赦なく心に突き刺さる。


「し、失礼しました」


「謝らなくてもよいのですよ。アディソン隊長もまた、他国という存在と長らく関わっていないのですから」


「ねえセシリア。そのくらいにしてあげては?」


「で、ですが……」


 階段を下りきったニーナは、セシリアと呼ばれた付き人の頭をそっと撫で、優しく微笑みかけた。


 セシリアは今にも溢れそうだった涙を袖で拭い、ニーナに向かって笑い返す。


「上出来ね」


 必死に伸ばしていたつま先を戻し、ニーナは踵を絨毯に下ろした。


 もう一度セシリアを見上げてにっこりと笑い、二人に向き直る。


「伊戸雅晴にアルリカ・ルィトカ」


「はい」


「……は、はい」


 雅晴にもアルリカにも見下ろされる女王は、二人を見上げて見つめる。


 いざ女王を前にすると、一気に人間味が増すものだな、と雅晴が考えていると、視界の隅でアルリカの身体が小刻みに揺れ出した。


「ぶ、ぐ、ふふ」


 鍋を持ち上げて口元を一生懸命隠してはいるが、漏れ出す声からも揺れる身体からも、笑っていることは一目瞭然だった。


「お、おいアルリカ。さすがにそれはやばいって」


「ご、ごめんハル。でも……耐えられない」


「アルリカ・ルィトカ、それはどういう意味ですか」


「もう、無理」 


 再度ニーナが喋り出した瞬間、アルリカはついに堪えきれなくなって、声に出して笑い出してしまった。


 唖然とする男性陣とは裏腹に、セシリアはつられて一緒に笑い出してしまう。


 そんな中、ニーナだけは徐々に頬を膨らましてふくれっ面になっていく。


「もう、ほんっとにルリカは!」


「だって、どういう意味って……そんな喋り方するから」


「ニーちゃんの演技、面白くて、つい」


「セシルまで!」


「どういうこと?」


 雅晴とアディソンだけは状況を理解できず、ただただ発言者を目で追うことしかできなかった。






「ごめんね、騙すような真似しちゃって」


 食堂に移動した一行は、カレーライスを囲みながら歓談を楽しんでいた。


「アルリカ、知ってたのか?」


「知ってたというか、ニーナに言われてハルと一緒にいたのに、ニーナにカレーを食べさせて命乞いすることになったんだもん。ほんと、何があるかわかんないよね」


「アディソン隊長にはお礼を言わなくっちゃね。ありがとう」


 なんでも、アルリカとニーナは友達と呼べるほどの仲で、そこに階級の差が入り込む余地はないらしい。セシリアもニーナの付き人を長くしており、非常に親密な関係なのだという。


「と、とんでもございません。女王様にお礼を頂けるようなことは、何もしておりません」


「で、アディソン隊長はどうして、ニーナ様にカレーを食べてもらおうと思ったのですか?」


「それは、このカレーという料理を作れる人材を失ってしまうのが、その、惜しいと感じたので……」


 アディソンは職務に私情を挟んで、正しく遂行できなかったことをニーナに謝った。


 隊長という立場でありながら、部下に示しがつかない行動をした、と。


「気にしないで。結果としては良い方へ転んだのだから」


「しかし、ニーナ女王。何もバツが無いというのは……」


「アディソン隊長、ニーナ様がそうおっしゃっているのですから、ここは素直に受け入れるべきではありませんか?」


「セシリア様……」


 二人の会話を聞きながら、ニーナはカレーを口へ運んだ。


 スプーンを片手に、もぐもぐと口を動かし、左手で水を飲む。


「懐かしい」


 コップをテーブルに置くと、そう小さな声で呟いた。


「で、ハル。カレーってまた作れるの?」


「いや、正直難しいと思う」


「何!?」


 何気ないアルリカの質問で、アディソンが凍り付く。


「昨日バザールを回ったとき、それと、カレーを作りながらアルリカと話したときにそう感じました」


「確かに、私もこのような味の料理は、この国では初めて食べました」


「そ、そんなこと……」


 口々に飛び出る不吉なワードに、アディソンは頭をかきむしった。


「お、おかわりはもうないのか?」


「ありません」


 雅晴が言い切ると、アディソンは目を大きく見開いた。


 それを見て、アルリカがクスクスと今にも笑いそうな表情を浮かべている。


「どうしてだ。もう作れないとは、何の根拠があってそう判断した」


「この国には、恐らくカレーを作れるスパイスが存在しないんです」


「スパイス、だと?」


「はい。香辛料とも言いますね。たくさんの種類が存在する、カレー粉を作るのに欠かせない原料なんです」


 カレー粉を一から作るとなると、最低でも六から七種のスパイスが必要となる。


 バザールの露店には木の実を取り扱っている店もあったが、圧倒的に香りを感じられなかった。


「では、スパイスとやらを見つけ出せ。お前は昨日、二度もカレーを作ったではないか」


「それはその……」


「一年、一年の執行猶予を付けるから、この国でカレーを作れるスパイスを見つけ出せ。そうすればお前は無罪だ。自由だ」


「い、いや。俺もそんなに詳しくないですよ。一ところかゼロから作れって言われても困ります」


「ならこのまま拘束して、お前とあの銀髪の女と一緒に処刑してやる」


「ちょっと待ってくださいよ!」


「待たん! 今すぐ決めろ」


「どうしてこういっつもいっつもスピード展開なんですか」


「よし、決まりだな。お前たちには監視をつける。三人でカレーの原料を見つけて戻ってこい。いいな」


「よくありません……!」


「ハル、諦めるしかないよ。頑張ろう」


 雅晴は自由の身を手にするため、まだ見ぬ香辛料を探す旅に出る。


 命の消費期限は一年。今、未開封だった旅の口が開けられ、カウントダウンが始まった。

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