第4話 バザールへ
逃げ惑う聴取とともに建物の外へ出た雅晴は、すぐ脇の路地に身を潜めた。
膝に手をついて、肩で息をする。地面に汗が滴り、玉模様の染みを作った。
雅晴は角の建物から顔だけを出して、外の様子を覗いてみる。飛び出してきた建物からは、噴水広場にいた集団と同じ服装の人が次々と走り出ている。
「これから、どうすれば……いいんだ」
顔を引っ込め、大きな溜め息をついた。
夜の帳が徐々に下り始め、街には暖かい明かりが灯り出した。
この細い路地裏にも、一つ、また一つと光源が現れる。
勢いに任せて裁判の会場から逃亡したのはいいが、行く当てもない。
雅晴は重い足取りで路地裏を進み出した。
白い石畳が真っ直ぐ続き、道の両脇には所々ゴミ箱が置かれている。
「とりあえず、お腹空いたしご飯にしよ?」
「うわあ!」
不意に暗闇から声が聞こえ、雅晴は驚いて飛び退いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
無駄に明るいトーンの声。抑揚の付いた少し癖のある喋り方。聞き覚えのあるその声に、雅晴は闇に目を凝らしてみる。
すぐ近くのゴミ箱の陰から、不意に何者かが立ち上がった。仄かな明かりに浮かぶのは、先の尖った大きな黒い帽子。全身を黒い布ですっぽりと覆ったあの少女だった。
「ああ! 玉ねぎの変人!」
「変人とか言うなぁ」
「でも、階段のとこで会ったのあんただろ」
「そうだけど!」
彼女が陰から歩み出ると、小さな影が道に伸びた。
その手には膨らんだレジ袋が握られている。
「ニーナもまさかこうなるとは思わなかっただろね」
「ニーナ?」
そう言って額に手を当てて、彼女はわざとらしく頭を左右に振る。
「昨日の晩、牢屋に来たちっちゃい人だよ」
「んん、あの何が言いたいかわからんやつか」
「やっぱ伝わってなかったか。ニーナは要領悪いからなあ。実はね、あれ」
得意げに語る彼女は雅晴の顔を覗き込み、ニッと唇を吊り上げた。愛くるしい瞳をくるくるさせて、緊張感のない表情を浮かべる。
「最後の晩餐について聞かれたら、カレー作るって答えてって言ってたんだよ」
「わかるわけねえだろ……」
「まあ、あたしもカレーが何か知らないんだけどね」
あ、そうそうこれ、と彼女は握っていたレジ袋を雅晴に手渡した。
「結構重いね、これ。食材なんでしょ、何作るの?」
「あんた、カレー知らないのか」
雅晴は差し出された袋を受け取って、中身を確認する。
日本で買ったときと同じ、カレーの具材が袋の中に入っていた。
「知らないよ。食べ物なの?」
「ああ、うまいぞ」
適当に返事をしつつ、ガザガサと袋をいじる。
「さすがに肉はもうダメだろうなあ……」
「てか、あんたじゃなくてアルリカ」
「アルリカ?」
「あたしの名前。アルリカ・ルィトカだよ」
そう言って、アルリカは手を差し出した。
その笑顔はまぶしいくらいで、まだ出会ったばかりの雅晴にとっては怪しいくらいで。
とはいえ、訝しげな表情になるわけにもいかず、雅晴は微笑を浮かべてその手を取った。
「よろしく、アルリカ。俺は伊戸雅晴」
「知ってるよ! よろしくね、ハル」
「まあ、何で知ってるのかは追々聞くとして、そろそろ場所を変えようぜ」
裁判が行われていた建物はまだ目と鼻の先だ。いつこの路地に警備隊が入ってくるかわからない。
一時はやけになりかけたが、せっかく外に出られたのだから、もう少しこの世界を味わってもいいのではないか。
そんなことを考えつつ、雅晴はアルリカとともに路地裏から足早に立ち去った。
王宮前バザールの一角に、雅晴とアルリカの姿があった。
行く当ても無かった雅晴は、アルリカに連れられるまま街の雑踏に紛れ込んだ。
「似合ってるよ」
「いや、逆に目立つだろ、この格好」
アルリカから不思議系ファッションを半ば強引に譲り受け、雅晴は渋々それらを身に纏っていた。
転生時に着ていたボロボロになった服をはぎ取られ、露店で適当な服を買い与えられ、魔女のコスプレをさせられて、周囲からの目が痛い。
「大丈夫だよ。その格好してたら、警備隊以外は誰も近寄ってこないから」
「ほーん……って、警備隊が来たらいかんだろ」
脱魔女コスのアルリカは、雅晴の横を歩きながらそんなことを言う。
黒い布の下は、意外にもまともな服装だった。パステルカラーのワンピースが白い肌に調和し、健康的な四肢が若々しさを醸し出す。
海へ向かって温かな風が吹き抜け、ふわりと巻いた明るい灰黄色の髪が揺れた。
「でも、何でまたあんな真っ黒の格好をしてるんだ」
「そうだねぇ。ハルに覚えてもらうため、かな。まあ、いろいろあるんだねー」
「……そんなもんか」
「そんなもんだよ」
蜜柑色の瞳に映るバザールの明かりは、優しいはずなのにどこか寂しげで、灯のように揺らめいていた。
雅晴はそんな彼女の横顔から目を離し、夜空に煌めく星を見上げる。
この夜空は日本とも繋がっているのだろうか。
「そうだ、ハル。カレー作ってよ。あたし食べてみたい」
「んん、カレーに興味出てきたか。マジでうまいぞ」
「ほんとに? じゃあ、ご飯作れるところ、案内するね」
そう言って、アルリカは雅晴の手を引いて歩き出そうとする。
雅晴はちょっと待って、と鼻歌を歌う彼女に呼びかける。
「大事な食材がダメになっちゃっててさ。ここで買っていきたいんだけど」
「そうなの? いいけど、何買うの」
振り返るアルリカに、雅晴はバザールでの買い物を提案する。
警備隊に見つかる可能性を考えると、一刻も早く立ち去るべきではあるが、カレーを作る上で肉は欠かせない。
「カレーには種類があってさ……んまあ、種類っていうか、メインを何にするかって感じなんだけど」
「うんうん」
「この国ってどんな肉があるんだ?」
「お肉? ほほう、お肉をお探しですか。では、あたしの後に着いてきてください。バザールを案内しましょう!」
「あんまり目立たないように頼むぞ」
アルリカは意気揚々と先陣を切る。追いかけながら、雅晴は小声で呼びかけた。
すると、アルリカは振り返って、後ろ向きに歩き出す。そして、視線を上下させてから小さく笑った。
「じゃあ、その帽子とローブは脱いだ方がいいんじゃないかな」
「……誰が着せたと思ってんだよ!」
幅の狭い道の両脇には、様々な店が所狭しと並んでいる。食品を扱っているお店から、日用品、狩りに使う道具を陳列しているところもあった。
店主は威勢の良い声を出し、店の前を誰かが通りかかるのをじっと待っている。目が合ったら最後、商品を買うまで開放してくれない気がするほどの目つきだ。
「いらっしゃい、お若い二人さん、ちょっと寄ってってよ」
「いやいや、この二人はうちで買い物するんだよな、な?」
「もう少しいろいろ見て回らせてよー。また戻ってきたときはよろしくね」
買い物しに帰ってくる可能性を残したアルリカの発言に、店主たちはこれ以上は逆効果と店の後ろに戻っていく。
「いらないときはいらないってはっきり言わないと、ああいうのはしつこいだろ」
「買い物しに戻ってきたらサービスしてねっていう方が、案外すぐに諦めてくれるよ」
雅晴は、ほぉ、と声を出しながら首を傾げた。そんなものなのか、と無理に納得して、色とりどりのバザールを突き進む。
ふと視線を向けた先に、木の実を取り扱う店があった。姿形もバラバラで、丸いものも尖ったものもある。そんな多様な木の実がぎっしり籠に入れられている。
「もうそろそろだよ」
「お、着いたのか」
雅晴が木の実に目を奪われているうちに、目的の店へと到着した。
敷地の端の方にあるこの店は、精肉を専門に取り扱っているようで、ケースの中に並ぶのは薄紅色や強い赤みの食材だ。
「アゼル、こんばんは」
「よう! ルリカ。今日もイイのが入ってるぜ」
アルリカが店主に向かって挨拶すると、店主も負けじと声を張り上げる。
ケースを手で叩きながら豪快に笑っていた店主は、雅晴に気付いたようで、その手を止めて視線をこちらへ投げてきた。
「ルリカ、そいつは誰何だい。紹介か?」
「そんなとこかな。お肉が欲しいって言ってたから連れてきた」
「そいつは嬉しいねえ。今度ちょっとおまけしてやる」
「やった!」
店頭で繰り広げられるやりとりを眺めていた雅晴は、アルリカへの警戒は解いても良いのではないかと考え始めていた。
と言っても、もともとほとんど警戒していないに等しかったのかもしれないが。
「なんでも、カレーって料理に合うやつを探してるみたいだよ」
「ほへぇ、カレー。なあ兄ちゃん、カレーってどんな料理なんだ」
「あれ、アゼルも知らないの?」
「ああ。俺も何十年と生きてきたが、まだまだ知らねえこともあるもんだ」
二人に視線を向けられ、雅晴はえっと、と答えだした。
「カレーってのは、野菜を煮込んでカレー粉を入れて煮て、ご飯にかけて食べる料理かなあ。辛さが癖になるっていうか、病みつきになるっていうか。で、そこでどんな肉を使うかでカレーのインパクトが変わるっていうか、印象が変わるというか。とにかく、欠かせない大切な鍵なんだ。安い肉でも高い肉でも――」
早口であれもこれもと語り出す雅晴。次々と飛び出す言葉に、アルリカとアゼルはぽかんと口を開けてひたすらに相槌を打った。
「――というわけで、カレーはうまい料理なんだ」
あれよあれよという間に喋り切った雅晴は、大きく深呼吸をして微笑んだ。
パチパチと拍手を送りながら、アルリカは目を輝かせていた。
「なんだかよくわからなかったけど、とりあえず食べてみたくなった!」
「ああ、俺も気になってきたぞ。おい、どんな肉がいいんだ」
「チキン、ビーフ、ポーク、ツナ……どんなでも合っちまうのがカレーのいいところなんだが、どれがいいんだろうなあ」
雅晴は顎を擦って、ケースを眺めた。向かいからアゼルが覗き込み、肉は両側から睨みつけられる。
左右に目を振り、頭をフル回転させる雅晴。肉の色味と脂の感じ、あとは雰囲気で吟味する。
数分経って、大体の目星をつけてきたところで雅晴はふと思い出す。
「あ、俺お金持ってないんだった」
「そういえばさっきの服も、あたしが買ってあげたんだもんね」
「だな」
小さく呟いたつもりだったが、いつの間にか真横にいたアルリカに拾われてしまった。
「うおっ」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
振り向いた目と鼻の先にいたアルリカに、雅晴は思わず大きな声を出してしまう。
アルリカは口を僅かに尖らせて、もう、と息を一気に吐き出した。
「で、兄ちゃんどうするんだ。もうそろそろ決まったか?」
「うわっ」
ケースの向こうから覗き込まれていたことを今さら気付き、また驚きの声をあげる。
尻もちをついて汚れたズボンを後ろ手に払いながら、雅晴は気まずそうに話し出す。
「いや、その、ちょっとした問題が……」
「ん、どした。言ってみろ」
「お金が無くて……」
「金がねぇのか兄ちゃん」
雅晴の気持ちをよそに、アゼルは大声で笑い出した。
目に涙を浮かべて、彼は大きく開いた口に言葉をのせる。
「そうかそうか。でも、ルリカがいるんだ。今日は金はいいから、好きなん持ってけ」
「え、でも」
「なあにかまわしねえよ。なんなら、ルリカに払わせるから安心しな」
「ちょっとアゼル!」
アルリカの言葉には耳を貸さず、アゼルはケースに手をついて中を覗き込む。
しばらくして、ケースの後ろ側をスライドさせて開け、ビニール手袋を装着した手を中に入れた。
「これ、持ってけ。これ、どう切ったらいいんだ」
「えっと、薄めにスライスを……って、いいんですか」
親指を突き上げ、アゼルは肉塊を引っ張り出して加工を始める。
程よい赤身に白い脂がのった牛のような肉。雅晴が絞っていたうちの一つだった。
「出来上がったら俺にも食わせろよ?」
「もちろんです!」
「知らねえ料理を食うためには多少のリスクは負うもんだかんな」
「じゃあ、あとは料理するだけだね」
ビニール袋に詰められた肉を受け取り、雅晴とアルリカは再び歩き出す。
豪快な笑い声を背中に受けながら、人で賑わうバザールを後にした。
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