第3話 公開裁判
「ただいまより、イド・マサハルの公開裁判を開始します」
部屋の前方中央に座る髭面の老人が高らかに宣言した。
雅晴の正面には七人の関係者が並んでいる。お堅い服装の人が壇上に五人、その手前にペンを持った二人。左の壁側にはさらに二人の男女が座っており、右側の席は空席になっている。
「現在、あなたには不法入国の疑いがかかっています。今回の公開裁判は、疑いの真偽を判断する大切なものになります。質問には虚偽を交えず、正確に答えてください。黙秘権はありません」
センターの老人が手元の資料に目を落として、テンプレートを読み上げていく。
背後には大量の椅子が設置されており、そのほとんどの席が人で埋まっていた。
黒光りする輪は、席への案内時に外されている。雅晴は自由になった手を何度も揺らし、自由を確かめる。
「返事を」
「……わかりました」
両脇にはここへ連れてきた監視員二人が立っている。男性の方から返事を促され、雅晴は面倒くさそうに返した。
「では、まず名前と出身地を答えてください」
「伊戸雅晴、出身地は伏見です」
階段の一件でこの国の言語が理解できるようになってから、その効果は現在まで持続されている。
あの魔女ファッションの娘が、何かしら関わっているのは間違いないだろう。
「フシミ? ……知っておるか?」
老人が尋ねると、左右の裁判官は怪訝そうな表情で首を左右に振った。
言葉は通じるようになっても、雅晴の喋る内容すべてがわかるわけではないようだ。
雅晴が一方的にこちらの言語を理解できるようになった、と仮定する方がしっくりくる。
「まあ、よい。これから尋問に移ります。それでは、よろしくお願いします」
咳払いを一度し、老人は壁際の二人に目をやった。
すると、片方の男性が立ち上がって雅晴の方へ向き直る。
「では。……イド、あんたヴァリタ・ロネリアにどうやって入ったんだ」
いままの老人とは違い、高圧的な態度で質問をぶつけられる。
「どうやって……。普通に入りましたよ。フツウに」
「ほう。フツウに、ね。ということは、入国に使ったモノは提示できるな?」
「モノ、ですか。そうですね……」
河川敷で刺されて、異世界に飛ばされて、不法入国の容疑をかけられて。捕まったと思えば明後日死ぬとか言われ。雅晴は半ばやけになっていた。どうせ明日にはまたファンネのところに戻されるのだから、事を荒立てても仕方がない。
今はファンネに何と文句を付けようか、そればかりが頭に浮かんでは消えていった。
「紙を一枚いただけたら提示できますよ」
「ほほう。ではやってみるがよい。嘘は即刻処刑だからな」
老人の手前に座っていた二人の内一人が、白紙を掴んで雅晴の方へ歩み寄ってくる。
紙を受け取った雅晴は、それを折り曲げて紙飛行機を作成する。
「これでやってきました」
「なんだそれは」
「紙飛行機です」
「処刑されたいのか!」
「はは。どうでしょうね」
雅晴は鼻で笑い、大きく伸びをした。
ふと窓から見える外界に目をやると、黒い物体が高速で飛びぬけ、そのあとを白い数羽の鳥が追いかけていった。
「おい、聞いてるのか」
「聞いてますよ。何でしたっけ?」
その後もあれやこれや続く質問に、雅晴は気怠そうに答えていった。
一通りの項目が終了し休憩中だった室内に、別室で審議を終えた人たちがぞろぞろと戻ってくる。
それぞれが神妙な面持ちで、真っ直ぐ席に向かい着席した。
「それでは、これより結果の報告を行います」
老人がそう言うと、ざわついた室内は水を打ったように静かになった。
彼は室内をゆっくりと見回し、最後に雅晴に視線を向ける。
「イド・マサハルを不法入国の罪で処刑とする」
張りのある声を響かせ、木槌を強く打ちつけた。
その判決に聴衆からのどよめきは無い。
判決を言い終えた老人は席に着き、資料に手を伸ばす。
「正式に入国したことを示す書類は一切なく、入国管理局による調査でも『イド・マサハル』の入国履歴は無く、本国における国民登録もない」
そこで一度顔を上げ、言葉を切った。老人は雅晴を一瞥し、もう一度視線を落とす。
「加えて、取り調べに不真面目な態度で臨み、まともな受け答えを行おうとしない姿勢。それらの行為は、我々に対する侮辱行為及び、当事象に対して反省する意思が皆無であると判断された。よって、審議の結果処刑という判決に至った」
読み終えて刹那、老人はまた木槌を振り下ろす。
「何か意見はありますか」
「不法入国で死刑って、この国やばいっすね」
老人に意見を求められ、雅晴は思わずそう漏らす。
それに対して老人は遠い目をして、白い顎髭を擦った。
「まあ、いろいろあったんじゃ。国民でないお主に知るすべはないかもしれんがな」
裁判官としてではない、一個人として昔を思い返すかのような口調で老人は話す。
「いろいろ……ですか。ほんと、いろいろありすぎて困りますね」
「他に何か言いたいことはありますか」
「いいえ」
「では、処刑は明日の昼に執り行われます。心づもりをしておいてください」
建物の外で鐘が鳴った。室内にいてもはっきり聞こえる澄んだ音色。
窓の向こうに見える空は赤らみ、不思議な形をした雲は橙色に縁取られていた。
「さて、閉廷の前に最後の晩餐について少々」
昨夜、謎の女性が伝えに来たこと。最後の晩餐について何か言っていた。
「処刑執行前夜の食事についてですが、本機関ではあなたの希望のメニューを最大限聞いて食事を提供しようという方針です」
しかしながら、昨日のあれでは何も言いたいことが伝わっていない。
雅晴はただ正面で喋る老人の話を聞いているだけだった。
「突然のことで混乱しているかもしれませんが、今夜がその食事に当たります。最後の晩餐のメニューに望むものは何ですか」
「いや、特にないですけど」
「……望むものはない、ということですか。調理人が確かに応えますよ?」
考えるそぶりも見せずに回答する雅晴に、老人は面食らってしまった。
隣に立っていた監視員も思わず肩を叩く。
「おい、あんた。最後くらい好きなもの頼めよ。明日死ぬんだぞ」
「ちょ、ちょっとドゥーガル先輩。ダメですって」
「だってこいつがあまりにも自分を出さないから」
「今は職務中なんですから、話しかけたら怒られます」
雅晴を挟んでフィリーネとドゥーガルが言葉の応酬を繰り広げる。
「いや、俺のことは別にいいから」
「そこ! うるさいぞ!」
高圧的な態度の男性が半身を乗り出して叫んだ。
驚きのあまり三人揃って肩を揺らし、顔を見合わせる。
数秒後、思わず噴き出した雅晴に釣られて二人も笑い声をあげる。
「処刑されたいのか!」
「失礼しました」
両サイドで直立する二人には釣られず、雅晴は浅めの溜め息をついた。
「さっきからお前は!」
「はいはいすみませんでしたっ」
そう言って雅晴は、嫌々頭を下げる。
勢いをつけすぎたせいか、吐き気と少しの寒気を感じ、身震いが出た。
体勢を戻そうとしたとき、また鐘の音が聞こえてくる。
下を向いている間に、壁際の男性も椅子に座り直していた。
「そちらの監視員の方、大丈夫ですか?」
「は、はい。だだ大丈夫です」
老人が揃えた指を向けた先に目をやると、そわそわと落ち着きのないフィリーネがいた。
目が合うと慌てて逸らし、彼女は前を向く。
「そうですか。ではじっとしていてください。……さて、閉廷の前に最後の晩餐について少々」
ドゥーガルに睨みつけられ、彼女は申し訳なさそうに目尻を垂らした。
視界の隅で不思議な形をした雲が、夕陽に縁を透き通らせている。
「処刑執行前夜の食事なのですが、本機関ではメニューの希望を最大限聞いて、最後くらい楽しい食事を提供しようという方針です」
老人は淡々と話しているが、つい十分ほど前と内容が被っている。ボケ始めているのかもしれないが、周囲の人間が止めようとする様子はない。
「突然のことで混乱しているとは思いますが、今夜がその食事に当たります。最後の晩餐のメニューに望むものは何ですか」
「いや、さっきも言いましたけど――」
不意に、フィリーネが机を挟んだ正面に立ち塞がった。
裁判官に背を向けて、ズボンのポケットから何かを取り出す。
「これ、読んでください」
手渡された紙はヨレていて読みにくいが、何やら数行ほどのメッセージが記され、日本語の上には現地語が併記されている。
「そうそう。温かいお米はちゃんと準備しておくから、頑張ってね。カレー楽しみにしてるね」
「昨夜、国王様にこれを渡せと命じられました。パインが読み上げるだけじゃ絶対に伝わらないから、と」
謎の女性が立ち去ったあと、フィリーネが必死に話していた光景を思い出す。
「そんなこと言ってたのか。まったくわからんかった」
「あ、あれでも一生懸命頑張ったんですよ!」
「あなた、何をしているんですか。定位置に戻ってください」
腰を折って目線を合わせ、両手を一生懸命上下される彼女。その背後で老人が今までになく大きな声を張り上げる。
「……お前、もしや仲間か! 監視員! そいつを捕らえろ!」
その声を合図に、ドゥーガルがフィリーネに向かって突撃した。
身体の脇から吹き飛ばされ、彼女はなすすべなく床に打ち付けられる。
傍聴席から悲鳴が上がり、聴衆は次々に出口へ駆け出す。
室内はあっという間に大混乱に陥った。
「そっちの男も捕まえろ!」
その瞬間、フィリーネに向いていた矛先が雅晴へと向けられる。
ドゥーガルはフィリーネに馬乗りになって、暴れる彼女に手錠をかけている。
書記の男女が立ち上がる際に脚をぶつけ、長机の上から書類が散乱した。
壁際の男性はその紙に足を滑らせ、派手にすっ転んだ。
奥の壇上からは、動き出した裁判官が一斉にこちらへ向かってくる。
矢継ぎ早に起こる光景に目を奪われていた雅晴は、ハッと我に返った。
「やばい」
席から立ち上がった雅晴のすぐそばに、壁際の女性が迫っていた。伸ばせば手が届きそうなほどに距離が詰まっていく。
雅晴は一瞬躊躇するも、彼女に向かって机を押し飛ばす。
「きゃっ?」
直前で避けられはしたが、彼女は大幅に失速した。
怒号を背に受けながら、雅晴は柵を乗り越える。
「待ちなさい!」
逃げ惑い混雑する聴衆に混じり込み、雅晴は部屋から消えるように脱出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます