第15話
「やっとついたか、オムホロス。居心地は悪いが、存分にくつろいでくれ。なんなら、そのキメラと別れを惜しんでつがいあってもかまわぬぞ」
魔法使いはモロの精気によって、わずかに若返った鋭いおもてをうわむかせ、地面に座るオムホロスを見下ろした。
その琥珀の瞳は飢えてぎらついていたが、声はいたって冷静であった。
オムホロスは身を堅くした。魔法使いの黒いマントのうえからもよくわかる股間のふくらみに警戒心を覚えた。
魔法使いはオムホロスの恐れを察し、低く笑った。
「モロが怖いか? この魔法使いにモロをとり憑かせたのは、おまえじゃないか。こうなるかも知れぬとは予想できなかったのか? おまえほど何度教えても学ばぬやつも珍しいんじゃないのか、ン? やれやれ、がっかりだな。魔法使いがマスターを打ち破ったいきさつを考えもしなかったのか? 慈善事業のついでにあまたの神をおとずれたんだろう? そのときたずねればよかったんだ」
「オムホロスは代償を提供できなかった。オムホロスは先生ほど非情になれなかった」
魔法使いは片眉をつりあげ、ひどく悲しげにつぶやいた。
「この魔法使いをおまえは非情とののしるのか? それはひどいな。魔法使いとて最初からこのように厳しかったわけじゃない。この冷酷さはホムンクルスの特性なんだよ? これも知らなかったのか?」
オムホロスは自分の推測があるていど正しかったことをさとった。勝っても負けても、その勝利はオムホロスのためにあるのではなかった。
「考えてはいた。それで先生はオムホロスをどうする?」
「しかるべき儀式ののち、このモロをおまえに移しかえる。おまえはすべてにおいて不完全だ。魔法使いはこの体のすべてにおいて完全だった。ゆえに、モロに食い尽くされずにすんだんだ。しかし、おまえの体はモロという異質に耐えられまい。移しかえられたとたんにおまえは原子にかえる」
オムホロスはうろたえはしなかったが、すこしばかり口惜しげに下唇を噛んだ。
「それではオムホロスはなんのために生まれた?」
「そのといはすこしまちがっているぞ、オムホロス。生を得たものは目的を達してから、おのれはこのために生まれたのだとさとるものだ。しかし、おまえは不完全なものであり、生命環からはずれたものだ。そして、おまえは死ぬために生まれてきた」
魔法使いは無駄なおしゃべりを好まないたちで、すでにせわしなく動き回っていた。
泉のまわりに結界を引き、邪魔ものがはいらないようにしてしまった。
しかし、その地面の印をゴドウがうしろについて蹴散らし回り、まっこうから反抗できないのを腹立たしげに表現した。
魔法使いはゴドウの所為に呆れ返り、腰に手をあて、ゴドウをたしなめた。
「ゴドウ、だめじゃないか。いまの主人はこの老いぼれなんだから、そんなことをするんじゃない。それともおまえ、せっかくのおつむまで羊臭くしちまったのか?」
ゴドウは鼻息を荒げ、羊の声でわめきたてた。
「ああ、ああ、わかったよ! 老いぼれが気に食わぬのだろう? おまえのまえのご主人はきれいだったからな、体中噛みついてもちっともしからぬ。老いぼれがお優しいご主人でなくてすまなかったよ」
魔法使いは肩をすくめると、手を振りあげた。
すかさずオムホロスは下萌えを抜いて、ゴドウに投げつけた。下萌えは緑色の硬質の壁となって大地にそそりたち、魔法使いの放った地虫を跳ね飛ばした。
「オムホロス、聞き分けのない奴隷をかばうのはやめぬか。どうせ、おまえを始末したら、ゴドウも燻製かなにかにしちまうんだから」
その言葉が冗談にしろなんにしろ、魔法使いは表情もかえず淡々とのたまった。
「その手が使えるかぎり、おまえはこの男妾を守り通すんだろうな……うるわしいかぎりだが、オムホロス、情が移っちまったからといって、そのたんびに援助してやっていてはきりがなかろう」
オムホロスは魔法使いがゴドウのほかにだれのことをいっているのか、気付いた。
いままでさほどかわらなかったオムホロスの顔色が、わずかに青くなった。唇を噛み締め、魔法使いがどこまで知っているのか、マスターの挙動をさぐった。
魔法使いはしゃべるのをやめ、樹木からつたを引きちぎると、オムホロスに投げつけた。
一瞬のうちにつたは拘束のためのなわとなり、オムホロスの手足を大の字に地面にくくりつけた。
あまったつたで、ぱしりとゴドウを守る硬い緑の壁をひっぱたいた。壁は崩れて、はらりと草が地面に舞い落ちた。
魔法使いは反抗的な金色の瞳を振りむき、ふんとばかりに地を踏みしだいた。
下萌えが鋭い無数のとげと化し、ゴドウの下腹部から背中へと貫いた。
声もなくゴドウは息絶えた。まるで生きているかのように、ぎっと魔法使いをにらみつけたまま。
「先生、あなたはやはり残忍でむごい人だ」
オムホロスは押し殺した声でつぶやいた。
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