第16話
「そこまでいうなら、この老いぼれもその言葉をみとめてやってもいい。だがな、オムホロス、おまえは悲しげにいうが、ホムンクルスはどんな生き物よりも一等弱い生命体なのだ。非道にでもならねば、ここまで血統を引き継いではこれなかったろう」
魔法使いはゴドウの体からしたたり落ちる血潮をつまさきでひろげ、モロの儀式のための魔法陣を描いていった。
「そら、こうして、せんの残虐非道が魔法使いの仕事を助け、ホムンクルスをより強い種にしようとしてるじゃないか、みてみろ、オムホロス」
オムホロスにむける血まみれのつまさきをながめながら、オムホロスはいった。
「先生はオムホロスの血肉を食わないのか?」
「オムホロス、おまえの経験なんぞ、この魔法使いの何十代にも渡る経験にくらべれば、糞とおなじだ。しかし、せっかく苦労してつくりあげたものが、こう簡単に水泡に帰してはやる気が起こらぬなぁ」
「オムホロスのあとにまたつくるのか?」
魔法使いは鼻で軽く笑った。
「もちろんだとも。生き残る後継以上の数のホムンクルスが、おまえのようにちりとなっていった。つくり、そして、滅ぶ。ホムンクルスはこの環からのがれられぬ運命なのだ」
魔法陣を描き終えた魔法使いはオムホロスの足元にたたずみ、長々とたれさがるぱさついた黒髪をかきあげた。
ととのった酷薄な顔に、うっすらと微笑みが浮かびあがった。
オムホロスの裸体をすみずみまで、じっくりとなめるようにみつめた。
「ホムンクルスは血と肉をむさぼって享楽を感じる。ゴドウがおまえの穴に棒を突きいれて快感をえるのとおなじにな。相手を苦しめることでしか愛というものをえることのできぬおまえと魔法使いは、因果な生命体なのだ……」
太陽のしたで、血の気の引いたオムホロスの肌は青白かった。
魔法使いは自分の黒いマントを肩からずり落とした。
陽のしたにさらされた魔法使いの肉体は、驚くほどがっしりとして引き締まっていた
モロ神殿の地下の浴室でみた魔法使いの生白い身体は、ほのかなランプの灯火のみせた幻影だったのか。
しかし、やはりホムンクルスの隠しようのない象徴として、丸みを帯びた乳房がそこにあった。オムホロスの未熟な乳房よりも大きく、淫猥にゆれていた。
魔法使いは黙したまま、自分の股間に手をのばし、萎えかけた男性器をにぎりしめ、しごきはじめた。そうしながら、オムホロスの脚のあいだにひざまずいた。
あいたほうの手の指を二本、唾液でしめらせ、オムホロスの陰嚢のしたをさぐった。二本の指が退化しつつある陰部にさしこまれた。
「ああ、カタルガの女は死んだのか……ケラファーンの男は殺したのか?」
オムホロスは魔法使いのなにげない言葉を聞き、魔法使いがまだなにも知らないのだとさとった。
我知らず、安堵に胸をなでおろしていた。
ルーがいまだ無事であるという事実に、オムホロスは口許に笑みを浮かべた。
「なにを笑っている?」
まるで睦言のように魔法使いがささやいた。
「殺すつもりだった。だが、先生につかまってしまった。オムホロスは移しかえられたとたんに消滅するのか?」
「ああ、そうだ」
オムホロスは微笑んだまま、目をつぶった。もう二度と目を開けることなどないと思った。
‡‡‡
キメラはビオリナの極点をぐるりと通り越し、カリブーの軌跡をたどって、南方へ進路をとった。
眼下の巨大な氷塊が、崩れては大海に沈んでいくようすを丸一日みて過ごし、キメラはようやくビオリナとはまったくちがった風俗の民びとの村にルーをおろした。
そこで何日分かの魚の燻製などを手にいれ、ふたたび空の旅を続けた。
ルーの頭には、ネクアグアのこと、オムホロスのこと、クリスタルの剣のことしかなかった。
雪景色が途切れ、青々とした大海に浮かぶ島々がみえても、ルーは食料が尽きるまでおりようともしなかった。
キメラは夜を徹して飛行することに疲れを覚えない土くれに過ぎなかったが、ルーにはその疲労がこたえた。
何日過ぎたか、それすらわからない状態で飛び続け、ルーはなかば気をうしなってキメラの背にしがみついていた。
突然、キメラは命じたわけでもないのに、ある孤島に舞いおりた。
ルーは死に物狂いでキメラの首の羽根を引っ張り、かすれた声で「飛べ」と命じた。
しかし、キメラは粘土の像と化し、うんともすんともいわない。
ルーはその背から転げ落ち、そのまま気をうしなった。
目を覚ますと、汗だくで砂まみれになっていた。
太陽はこげつくように暑く、ルーは悲鳴をあげて毛皮をぜんぶ脱ぎ捨てた。薄い男ものの下着だけになって、目のまえにひろがる海に飛びこんだ。
海の水は冷たく、ルーはやっと生き返ったような心地で泳ぎ回った。
荒らされた浜辺に転がる木片で銛をつくり、浅瀬を泳ぐ魚をとった。しこたま腹につめると、あとは粘土のキメラのかたわらで、大の字になって眠りをむさぼった。
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