第14話

 ゴドウはしんと静まり返る密林のなかをあてもなくさまよい続けた。


 漠とした脳裏にオムホロスの面影が浮かび、魔法使いの命令がそれとかさなりあって、自分の足をせきたてていた。


 あの狂気じみた欲望は不思議なほどになかったが、オムホロスをもとめる切望は、いまだに心の底でくすぶっているようだった。


 ゴドウはただやみくもに歩き回っているわけではなかった。オムホロスが一カ月まえにたどった逃亡の足跡を地道に追っていた。オムホロスが一カ月かけた道程を、ゴドウは二倍のはやさで消化していった。


 ゴドウはたち残るわずかな樹木や、ほじくり返され荒らされた大地のすみずみをさぐり、甘やかなオムホロスの体臭を嗅ぎ分けた。


 樹木にほつれた蜘蛛の糸にオムホロスの息遣いを、解読不能な文字がきざみつけられた石にオムホロスの瞳を、樹木にこびりついたヤニにオムホロスの指先を感じて、ふとゴドウはたちどまった。


 わずかに茂る樹木がゆるやかな風にそよいでいる。


 巨大なヤスデのような葉をひろげる青々とした熱帯の樹木が、周囲に茂る照葉樹よりもひときわゴドウの目を引いた。


 ゴドウは引き寄せられるように、その棕櫚の低木に近づいていった。


 ゴドウの鼻孔に麝香めいたオムホロスの体臭が忍びいる。


 棕櫚の粗野な樹肌に手をあてた。たれさがる棕櫚の葉をゴドウの巨大な体でかき分け、すっぽりと大きな葉につつまれた。


 棕櫚の葉のふところにいだかれ、むせ返るようなオムホロスの存在を、ゴドウはひしひしと感じていた。


 堅く粗い幹にゴドウは唇を寄せた。鼻を押しつけ、深くその匂いを吸いこんだ。


 これは紛れもなくオムホロス。


 棕櫚の衣装を身にまとい、なにものかのむかえを待ちわびる少年にして少女。


 その眠りをさまたげるかのように、ゴドウはたくましい若者の腕で、細い幹をだきしめた。


 だきしめられ、幹はしない、葉がわさわさとうちふるえた。


 ゴドウは唇でオムホロスのやわらかな薄紅色の唇をさがした。幹をはい、さぐりあてた。


 棕櫚のこげた茶色が紺色を帯び、青々としたひろい葉がおもたくゴドウにしなだれかかった。青年期にはいりかけた少年の腕がゴドウの肩にかけられた。


 粗い樹肌の黒い繊維がこそげ落ち、黄色味を帯びた白い肌がゴドウの褐色の肌にかさなりあわさった。


 長い紺色の髪が少年のひろい肩にたれ、細い腰はゴドウの腕のなかにあった。


 オムホロスは、ゴドウの金色の瞳を見据えた。


「オムホロスはおまえの手にかかって死ぬのか?」


 ゴドウはその舌を自分の口で封じた。一度として交わしたことのないおだやかな接吻を味わった。


 オムホロスはゴドウの血で覚えた性欲が、自分の体にわきいずるのを感じた。しかし、それはかつてゴドウをうけいれた場所からではなかった。


 カタルガのひさぎ女が死んでしまったことで、オムホロスの女性器は完全な基本形態として、いまではなりをひそませていた。


「ゴドウ……オムホロスはもう、おまえのお姫さまではないよ」


 オムホロスは昔とおなじように優しげにいい聞かせた。ゴドウの痛ましげにゆがむ顔をなで、オムホロスは微笑んだ。


「オムホロスの愛人だったゴドウも、もう死んでしまったのだよ」


 ゴドウは聞き分けのない子供のように、やっと手にいれた大好きな宝物をぎゅっと力をこめてだきしめると、しめった腐養土を蹴って、駆けだした。


 オムホロスはだきかかえられたままあらがうこともせず、自分の運命をさとって覚悟を決めた。


 ゴドウは密林を走り抜けた。その足をはじめはいいつけどおり、泉へとむけていた。


 しかし、腕のなかの誘惑は無視するにはいたく芳しい匂いを発している。オムホロスの言葉の意味を真に理解していなくとも、このゴドウはオムホロスと情事をかさねるまえの恋に身を焦がすゴドウであり、胸のくすぶりをいまや素直に吐きだしたくてたまらなくなっていた。


 心にずっとあたため続けてきた思いを遂げるために、ゴドウはふたりだけになれる密やかな褥をさがした。


 心地よい下萌え、生い茂り密となった木陰、かぐわしい香りにつつまれた場所。


 しかし、ネクアグアにそのような場所はもはや存在していなかった。魔法使いの所為のために、乾いた下萌えはことごとくこそがれ、ゆたかな緑はまばらとなり、土蜘蛛に殺された累々の死体によって、悪臭がそこはかとなくただよっていた。


「ゴドウ、おまえの背にのせておくれ。オムホロスは逃げないから」


 ゴドウは頑なに首を振り、ぎゅっとオムホロスを押しいだいた。


 ゴドウは水辺の匂いを嗅ぎつけ、喜びいさんでそちらへ駆けていった。


 きらめく木陰が目前に出現し、悪臭は風に浄化されていく。青くしめった密林の嗅ぎなれた匂いに、ゴドウは安堵した。


 踏み分け、やわらかな下萌えにオムホロスをおろした。そして、やっと自分のあやまちに気付いた。


 ゴドウの獣なみに鈍くなった脳みそでは、魔法使いをだし抜くことなど、とうていできはしないことだったのだ。


 魔法使いは遅いふたりの到達に、不満のうなり声をもらした。

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