第17話
すべてが朱色一色で、灰色の煉瓦はひとつもなかった。左右上下に名も知らぬ朱色の石が張り巡らせている。
おなじく鮮やかな朱色のツァカタン像が背を丸めて、天井をささえていた。
頭は固い甲羅に覆われた甲殻類の一種で、その額ともいえない場所に深い傷痕があった。いまはそこから白い肉がはみだし、傷をふさいでいた。頭部に当たる部分は蟹に似ている。その口吻はやすりのようにこすり合わせてカツカツと鳴っていた。背面の甲羅は何十もの鎧を継ぎ合わせたように朱色の神の体を覆っている。
その甲羅の鎧から四肢のかわりに、ねっとりとした何十本もの半透明の触手が地面にたれている。その触手の陰から、昆虫の節足が四本突きだしていた。その節足の先は鋭い鎌のように研ぎ澄まされ、つかむもの全てを切り刻んでしまいそうに見えた。
ルーは神のあまりの醜さに目をそむけたが、オムホロスはまじまじと古代神に見入った。
オムホロスは小さな体を神前にひざまずかせ、小石をぶつけあわせるような音をたてた。
けだるげにツァカタン神は、突き出たふたつの青黒い目をひくつかせて、土人形を見下ろした。蟹ににた口からおなじような音を発した。二言三言交わしあい、オムホロスはルーを振り返った。
「さぁ、あなたの願いをおっしゃいなさい」
「あんたはなにを頼んだんだ?」
オムホロスは肩をすくめ、「あなたのことを紹介しただけです。双神のときも。神は人外の存在だから、いきなり、ミクロな存在に大きな口をたたかれたくないものです」
ルーは首をかしげ、それでもしぶしぶ神前にひざまずいた。なるだけ、ツァカタン神を直視しないように、床に視線を泳がせた。
「ツァカタン神、僕は奪われたファルスをとり戻すために、ここまで参りました。だれが奪い、またもっているのか、どうかこの僕に教えてくださいませ」
聞きとりにくいツァカタン神の断続的な声が頭上から発せられた。
「ビオリナの……シルフィン神……神官……その胸の……クリスタルの……剣……それを奪え。それでとり戻す……それしか……わからぬ」
「ビオリナ……!?」
ルーは驚愕して大声をあげた。いまさらケラファーンへあと戻らねばならなくなるとは。忘れようとしていた望郷の念と劣等感とが複雑に交じりあった。
「報酬は……なに……さしだす……?」
ルーは茫然としてうずくまっていた。助けをもとめて、周囲を見回した。
「早くこたえなさい。なにをうろたえているのですか」
オムホロスの冷静な声に、ルーは我に返った。
「いや、こっちがさきだ! ツァカタン神よ! 我が願いがさきだ! 報酬はいつも与えた! なのに、神よ、あんたのしもべはその男を殺さなかった! 俺の復讐を手伝わなかった!だから俺がさきだ!」
突如、背後から男の怒声がひびきわたった。
ルーとオムホロスは驚いて振り返った。
春ひさぎの許婚の青年が手になたをもち、小さな出入り口のまえにたっていた。顔は血の気に染まり、歯をむきだして、ルーをねめつけた。
「ひとりになるな、と……ひとりになるなと警告した。だから、殺されても文句はいえまい」
やおら、血でさびついたなたを振りあげ、青年はルー目がけて突進してきた。
「なんのことだ!?」
ルーはその一撃をよけながら、叫び返した。
「おまえが最後だ。おまえを最後に俺は解放される」
「だからなんのことだ!」
ルーは剣を抜き、わめきながら、柱ひとつない方形の広間の壁を横ばいに逃げ惑った。
「よもや忘れたとはいわせんぞ! おまえは俺のコアルパトをだいただろう!? どんなに俺が愛しても、愛し尽くしても、声ひとつあげなかったかわいいコアルパトを泣かせただろう!? コアルパトを永遠に失ってしまったんだ! 俺のコアルパトはどこかへいってしまった!」
「オムホロス! この男はなにをいってるんだ!?」
ルーは死に物狂いで、男の凶刃をよけながら叫んだ。
オムホロスはその乱舞を呑気に見物しながらこたえた。
「ツァカタンのしもべはあなたが男ではないことを嗅ぎ取ったのです。だから殺さなかった。その男はあなたが男だと思い込んでいるのです。きっと内臓を引きずりだすまでしつこく追い回すでしょうね」
ルーはうんざりしたようにうなった。
「まさかわかってて抱けっていったのか!? なんで教えなかった!? もしかして、おまえ、わざとやってるだろう!」
オムホロスは肩をすくめてこたえた。
「まさか! オムホロスだっていま知りましたよ。知っていたら……」
すかさずルーが叫び返した。
「知ってたって、やらせたんだろう!? どうせ!」
「そのとおりです、わかっているじゃないですか」
ルーはオムホロスの言葉にじだんだ踏みながら広間を駆け回った。
青年は奇声を発して、朱色の床になたをめりこませた。
「狂わせたのは俺だ! あいつをだいた男どもだ! コアルパトォ!!」
すすり泣きながら追いかけてくる青年の足どりは、酔っ払っているのかやけに不安定で、ルーはそのおかげで凶刃をよけることができた。しかし、青年は疲れも知らず、しつこい。
ルーは閉口して、情けない声で叫んだ。
「オムホロス! なんとかしてくれ! 魔法使いなんだろ!?」
オムホロスは面倒くさげなようすでツァカタン神の台座に寄りかかっていた。
「あなたの問題でしょう、助けるいわれはありませんよ」
「薄情者!」
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