第18話

 ルーは舌を鳴らし、逃げるのをやめた。大きな剣を両手にもちなおし、真剣な面持ちだが情けなさそうに、「これで人を殴るのははじめてなんだよ」と、ぼやいた。


「それじゃ、いい機会じゃありませんか」


 オムホロスはあっけらかんといってのけ、ルーのみじかいあいだに覚えた剣さばきを見物した。


「危なくなったらいってくださいよ」


 ルーは振りかぶるなたを低身でよけ、オムホロスのいいぐさに悪態をついた。


 青年の左わきから背後に回り、反撃のなたよりはやく、青年の右肩に剣の鈍い刃を振りおろした。


 不気味な音がひびき、青年の鎖骨はみごとに折れてしまった。


 なたが勢いよく、床を転がっていった。


 青年は飛び上がって反転し、床にのたうった。


「殺しなさい」


 オムホロスは冷たくいい渡した。


「なにもそこまで……」


 ルーは土人形の冷めたものいいにうろたえ、苦笑った。


「いえ、残酷なのはそのまま生き残ることです。ツァカタンの約定は死ぬまでついてまわります。殺してとき放ってやることです」


 オムホロスの冷たさの理由を、ルーは決して理解せぬだろう。


「僕にはわからない」


 ルーは恨みがましくいいつのった。


「わからなくてよろしい、考えるのはこちらだから」


 ルーは死者の常春の国の名をつぶやきながら、切っさきを青年の心臓に貫き通した。肋骨が砕け、圧迫と骨折とで青年の心臓は破れた。青年は血の泡をごぼごぼと吐き続け、目を開けたまま死んだ。


「呪われろ!」


 ルーは、土人形に思いつくかぎりの呪い文句を浴びせかけた。


 オムホロスは地図のうえからそのようすをながめていたが、ルーの悪態など気にもとめなかった。ルーのその姿をみつめて、薄く微笑んだ。


 人を殺したのははじめてだった。やけに肩が重く感じられた。ルーは額に手をあて、ため息まじりに天井をあおいだ。


「じゃあ、これが報酬だ」


 ツァカタンは不満のうなり声をあげた。 


振り返る勇気すらなかった振り返る勇気すらなかった「これの……魂は……すでに……我が……所有するもの……ほかのもの……さしだせ」


 ルーは舌を打ち、目をつぶった。考えたあげく、「じゃあ、僕のファルスを奪ったやつからなにかさしだそう」と約束した。


 契約は成立し、ルーはツァカタン神殿をあとにした。


 まだ夜は明けておらず、ツァカタンの下僕が平和の報酬をむさぼるために、町を徘徊している時刻だ。


 いそいで町を走り抜け、ルーはキメラを残していった町はずれの森へむかった。






‡‡‡






 地図から目を離し、オムホロスはコンタクトを断った。


 裸の身体に地図を隠しておくところなどむろんなく、地図の処理に迷った。しかし、地図を残して魔法使いの手に渡してはルーが哀れだった。焼いてしまうことに決め、火の精霊の腹の足しにしてやった。


 もはや、土人形は、ルーいわく、まさに土くれに過ぎなくなった。


 今後、ルーに会うことがあるとすれば、魔法使いを引き継いだ冷酷なオムホロスか、切りきざまれて死体となったオムホロスのどちらかであろう。


 完全体となった暁には、あの美しいルーに殺されてやってもよかった。しかし、おそらくそうはいくまい。そのときになれば、自分の意志は過去からの数十あるいは数百という亡霊に押しつぶされていようから。


 ルーはくるだろうか? こなくともよい。あのルーでは魔法使いに勝てはしない。


 オムホロスは自分と身体を分けあう同類の、あのふるえたつ美しさを口のなかで噛み含んだ。ゴドウの性欲が素直に感応してくる。


 二度と会えないだろう、あるいはその手によって朽ちるだろうという憂いが、オムホロスの心を甘美にしびれさせた。


 ゴドウの血によって、ルーが自分の感情をゆさぶりはじめている。あのしなやかな肢体に肉欲を覚えはじめていた。ゴドウの性欲が、萎えた性器を勃起させた。


 オムホロスは低くため息をつき、精霊との契約を行使した。そして、目をつぶり、手足がこわばっていくのを待った。


 冷たく、それでもあたたかな土のしめり気が、身体の芯に染み通ってくる。


 五感で感じていた肉体が徐々に消えてなくなり、意識だけが大きくひろがっていった。


 安全な外殻におおわれたオムホロスの魂はみじかい眠りについた。

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