第10話
「ふたりの悪党ですよ、あなたを強姦して金を奪おうと算段しているのを聞いたのです」
「へぇ……」
悪事というものに慣れていないルーには、あまり実感のわかぬ言葉だった。
その夜は別の土地の、枝葉の茂る高木のこずえで眠った。
朝になって視界にひろがった風景が、ルーを感動させた。
太陽と緑。ぎらぎらと日光に反射する葉がルーをつつみ、日差しは初夏めき、ルーは臭い狼の毛皮を脱いだ。
すべてがとげとげしさにつつまれていたケラファーンの冬は、どこにも見当たらなかった。
寄りかかる椎の木肌にすらぬくもりがこもり、あたたかさにルーの頬は紅色にほてった。
となりには翌檜がそびえ、雑多の種が森に茂っている。青々と景色を染めあげ、むせかえる植物の匂い。
ルーは思わず空を見上げた。羊様の雲の陰をぬって飛び去る、いるはずのない双神の姿をもとめて。
あたりをながめながら、粗末な朝食をとった。瓶はガラスでできていた。それはるり色のすこし厚みのあるガラスで、ルーはケラファーンの女王の自室の水色の窓ガラスを思い出した。
‡‡‡
ルーとはこれでもう一カ月もコンタクトをとっていなかった。
ルーが、ひとりでカタルガでやっていけるように、一カ月間みっちりとカタルガ語を教えこんでおいたのだ。
放っておいてもルーだったら、オムホロスとの約束を素直に守ることだろう。
オムホロスはルーと友好を深めるよりも、いずれくるだろう魔法使いとの対決の日にそなえるほうを選んだ。
手掛かりもなく、魔法使いの気まぐれな言葉について考え続け、オムホロスは結論をえた。モロは自分の分身を植えつけ、増殖したいという欲求をもっている。
ホムンクルスは完全体になるためには、同種のホムンクルスの血肉を口にしなければならない。
それはともに個体の存続であるのだ。モロもホムンクルスも個体を維持することに、おなじ生存の価値観をみいだしているのだ。
魔法使いは自分のマスターを食らい、完全体となった。しかし、それは身体的にではない。なぜなら、あの蔵書の山は一代にして築かれたものではなく、めまいのするような過去から、ひとりのホムンクルスがたずさえてきたのだ。
ホムンクルスとは、膨大な記憶を維持し続ける生命体なのだ。
なぜ、オムホロスは不完全なのか?
それは、その天文学的量の知識の一部も受け継いでいないからだ。知識を受け継げるのは、それを無事に次代に引き継がせることのできる強い個体だけで、オムホロスが敗れれば、魔法使いはまた新しいホムンクルスを生みだすにすぎない。
魔法使いはどうやってマスターに勝つことができたのだろう。
モロはその鍵になるのではないか?
魔法使いはゴドウに人間の知恵を与え、雨期のあいだオムホロスとともに閉じこめておいた。
ゴドウはモロの神殿にはいらざるを得なくなり、オムホロスはリスクの高い要求を飲まざるを得なくなった。
これを魔法使いの周到な罠だと断言しても、過言ではなかろう。現にマスターは、ルーやひさぎ女を生かしておき、混乱という罠を張っておいた。
魔法使いは自分の周囲にオスのキメラをはべらせておいたことがない。もちろん、メスのキメラもだ。人の脳みそをもつキメラの生殖器をゆがませ、モロの生殖の範疇から自分を除外した。
なぜ? 魔法使いは先代のマスターに課されたおなじことを、オムホロスにも課している。魔法使いが焦慮から、自分の性体の肉をうっかりとくちにしていたとしてもおかしくはなかろう。
オムホロスは雨期があけてみすぼらしくなった密林をかき分けて、獲物をさがした。
生き物の姿はみえなかったが、茂みからがさがさと音がした。
雨期のあとに、二度目の繁殖のシーズンがやってくるのだ。この孤島の奇妙な生態系と厳しい環境は、もしかすると魔法使いがつくりだしたのかも知れない。
オムホロスは自分に消音の呪文をかけた。足音が消え、手がかきわける茂みの雑音もしなくなった。
茂みの陰に小さなミドリフウキンチョウの巣があった。卵の殻が巣から蹴りやられ、ところせましと茂る枝葉に引っ掛かっている。
成鳥とはにてもにつかない色合いのひなが、体をけいれんさせて鳴きわめいている。
親鳥は泥にまみれた木の枝にしがみつき、けがれのない青々とした葉っぱめいた風体をぴくぴくさせた。枝をうろついている蜘蛛をついばみ、はじけるように飛びたつと巣のふちにしがみついた。
親鳥がひなの口のなかに蜘蛛を押しこんでいる最中に、オムホロスの容赦のない手が親鳥をむんずとつかんだ。
悲劇は一瞬のうちに過ぎ去り、ひなはくるはずのないえさをもとめて、ふたたび鳴きさざめいた。
使役の印を胸元に削られ、おとなしくミドリフウキンチョウはオムホロスの肩にとまった。
‡‡‡
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