第9話
ケセオデールの中性的な横顔から吐きだされたその言葉は、オムホロスにとって実に陳腐に聞こえた。ケセオデールはまさにそうした存在なのだから。いいかえれば、その逆もまたありえるのだ。ケラファーンの少年は、かぎりなくホムンクルス的存在なのだ。
オムホロスはキメラの背にのり、黙々とファルスを彫り続ける少年をながめた。その男根はケセオデールの記憶のあらゆる部分から引きだされたものだった。懸命に、失われた男性器を手元に手繰り寄せようとしているケセオデール。いや、自分がファルスを失った男であるという自覚がある今は、ケセオデールではなく、ルーと呼ぶべきなのかもしれない。オムホロスは口許に笑みを浮かべた。
そろそろ、キメラはケラファーンの領域を脱し、偏平な大地と丸くせりあがる海を渡ろうとしていた。東南寄りへ頭をむけ、一日に千里を飛来した。
オムホロスはモロとの約束を決行するために、自分の研究机のまわりの結界の厚みをすこしずつ増し、その範疇を拡げていった。すくなくとも小一時間は魔法使いをごまかせるだけの結界が必要だった。
自分の気配を人工的につくりだすために、等身大の人形もつくった。人形のまわりに用心深く、慎重に、複数の目的と意味を盛りこんだ、おとりの結界を張り巡らせた。
人形の完成は、ルーが春ひさぎの少女と出会う、その瞬間でなければならなかった。
キメラの四肢がふたたび大地を踏みつけた。
空のうえで赤々と燃えていた太陽は地面に降りると地平線に隠れてしまった。あたりは濃紺と黒に沈んでいた。
灰色の雪が街道筋のわきに押しやられ、こ汚い壁をつくっていた。
さびれた街道筋からはずれたところに、樹木に囲まれるようにしてたつ民家がひとつあった。
ルーは、オムホロスとファルスをつかむとふところにねじりこみ、なじみのない土地の民家の木戸をたたいた。
戸口から目つきの悪い男がのぞき、ぶしつけにルーをねめまわすと、馬小屋を勝手に使えといった。
ルーは民家のすぐ裏手の馬小屋にもぐりこんだ。敷きわらはしめり、獣独特の臭気を放っていた。ルーはすきっ腹をかかえ、なるべくしめっていない小屋のすみに体をもたせかけて眠った。
ルーが静かな寝息をたてはじめたころ、オムホロスはこっそりとふところから抜けだした。少年のために食べ物を調達してやるつもりで、ひょこひょこと馬小屋をでて、民家の周囲を巡った。
オムホロスは地図上からこれらの風景をながめているせいか、夜目がきいた。
暗闇のなかでなら民家も馬小屋も立派なものにみえるが、オムホロスの目には、つぎはぎだらけで手入れがされておらず、すきまがところどころにあいている、みすぼらしい家屋にしか映らなかった。
馬小屋のわらのうえでうずくまって眠る馬でさえ、はげのできた老いぼれの馬だとひと目で察した。
とっぷりと夜も更けたというのに、おんぼろの板張りからはほのかな明かりさえもれてこない。
しかし、オムホロスはたいして危惧もせず、すきまをくぐりぬけ、せまくて不潔な民家へはいっていった。
どの扉のちょうつがいも壊れて、半開きになっている。干からびた果物、割れた食器、飲みさしの酒瓶、それらをたどっていくと食堂らしきところにでた。
床は足の踏み場もないほどのがらくたにあふれ、そのまんなかにごみの城のようなテーブルがひとつ。それをはさむふたつのいすに男がふたり。ひそやかな声で話し合っている。
「あれはたいしたたまだって」
「すがめのおまえがいうんじゃ、おてんとさまのしたじゃさらせねぇって面だな?」と忍び笑い。
「くそっ、いってろ。くっせぇ毛皮きたがきなんざ、俺のこぶしひとつでことたりるさ。なに、かせいだ金を親元んとこに届けに帰る奉公息子さね。足はつかねぇよ」
「殺しちまうのかぁ? あれだって金になるだろう」
「だれが売りにいくっていうんだ、え? 俺か? きっと俺だろうな、わかってるさ。やばいことは俺、うまいことはおまえ、これがおまえのいう世のなかの道理なんだろうよ」と、悪態を吐く。
「ひがむな、兄弟。別に俺がいってやったっていい。おまえがいなけりゃ、そのぶんじっくりねんごろにもなれるさね。おまえはあのがきの揚げ銭でも数えてりゃいい」
オムホロスはわざと暗くされた室内をさぐり、土間から干からびたパンをひとつみつけた。かじりかけで放っておいてあったのだ。酒なら幾樽もおいてあった。果実酒の小瓶をかかえ、民家のすきまからさっさとでていった。
小走りに馬小屋に駆け込み、「起きなさい、はやくここからでましょう。ほら、これを飲んで」と、少年をゆさぶり起こした。
ルーはいぶかしげに目をしょぼつかせ、いわれたとおりにひと口酒を飲んだ。舌の根が焼けるようなからい酒だった。むせながら立ちたがり、キメラのもとへむかった。
「なにがあったの?」
ルーは走りながら、ふところの土人形にたずねた。
「気をつけて。言葉遣いが戻ってますよ」
ルーははっとして唇を噛み、「まるでこうるさい姑みたいだね」
オムホロスはその厭味を聞き流して続けた。
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