第18話

 ケセオデールはあわてて飛びずさった。義妹は眉をしかめ、残念そうに嘆息した。


「うわさとはまったくごたいそうなもの……ご出自は下女からと聞いてるけど……」


 ケセオデールはあざけるように義妹をねめた。


「相手にことかいて見境がなくなるなんて、獣とおなじね」

「ひどいこというのね」


 義妹は目をいからせて、義姉をにらんだ。


 その視線にケセオデールはうしろめたさを覚え、「あなたのことをいったのじゃないわ……」と、低くつぶやいた。


「だれのこと?」

「だれでもないわ」


 ケセオデールは目をそらせてこたえた。義妹はいぶかしげに眉を寄せたが、気をとり直していった。


「そう……でもあなたを誘いこんで裸にひんむいてやろうっていうご盛んなかたは、その目ではっきり確かめるまでつきまとうでしょうね」

「おなじようななぐさめならおたがいでできるでしょうに……」


 すると、義妹はわけしり顔でケセオデールをじろじろとねめ回し、「あなたは罪深きかたね、ご自分のお姿をまともにみられたことがおありなのかしら?」


 ふいに手をケセオデールの胸にあてた。ぶ厚い灰色の毛織りのドレスのせいで、ケセオデールの小さな胸はつぶれ、その平坦な胸元を義妹はまさぐった。


「かき寄せてようやく乳房といわれる代物になるのじゃなくて? それにこの顔」


 ケセオデールのあごをつかみ、義妹は引き寄せた。


「あなたは女臭くないのよ。おたがい少女で、月の血もみず、殿がたも知らなかったころはそれでよかったかも……でもあなたはなぜそんなにもほっそりとして涼やかな面影で、少年めいた雰囲気をもっているの?」


 義妹は義姉の頬に手をやりこちらにむかせ、ケセオデールの目をのぞきこんだ。


 庭係の娘とちがい、想像するだけだった肉がすきまもなく押しあてられて、その体熱を感じた。


「やめて……!」


 ケセオデールは義妹をやっとの思いで突き飛ばし、廊下を駆けだした。


 転げこむようにして部屋のなかに駆けいり、うしろ手に激しく閉じた。


 息がのどに焼けつく。テーブルによろよろとよろけ、陶器のカップに酒をそそいだ。ゆらりとゆらぐ酒の面をしばしみつめ、いっきに飲み干した。


 娘の件以来、酒が癖になっていた。アルコールが血を巡り、べつのほてりをごまかしてくれるのだ。


 一杯や二杯では、この青白い肌に赤味はささない。黄色い液体が脳を愚鈍にし、素面の苦痛をやわらげてくれるのだ。たて続けに三杯目をあおり、酒臭い吐息をもらした。


 酒の壷がみるまに空になってしまった。


 だれかが笑っていた。男の声で低く押し殺し、強い酒でのどがかすれ、その口から突いてでてくる。とめることができなかった。


 どうしたらいいのだろう。自分の存在がうやむやになる春まで待つことなどできない。女であるにも不完全で、男であるにも不完全。いったい、自分はなにものなのだ?


 指がテーブルをはい、つぎの酒壷をさぐった。酔って酔って自分を忘れてしまうくらいに酔いつぶれてしまいたかった。


 ケセオデールはふらふらと酒壷を片手にもち、扉まで歩いていった。


 義妹のいったこともわかる。女たちは男にかわるなにかをさがしはじめたのだ。長い冬のかつえた愛をなぐさめるために。


 酒壷の口をかたむけ、ぽとりとしたたる酒をなめた。酒が尽きた。ひどくいらだたしい。ケセオデールは廊下から世話女を呼ばわり、大声で酒をもってくるように命じた。気が滅入り、酒気は冷めはじめていた。酒は水のようで、忘我することさえたやすくない。どさりとゆりいすに尻を沈め、廊下をかかとで蹴って歩く世話女の軽快な足音を聞いていた。


 入室を許された世話女は、無言で酒壷をテーブルにおいた。しかし、去ろうともせず、たたずんでいる。


 ケセオデールはいらいらと眉をしかめて顔をあげた。そして、呆然として庭係の娘の姿をみつめた。


 娘はこびを含んだ笑みを浮かべて、じっと王女を見下ろしていた。


 ケセオデールは敏感に彼女の成熟した肉の匂いを嗅ぎつけた。血が激しく巡りはじめる。ふっと気が遠くなりそうな、肉欲が襲ってきた。しかし、ゆりいすのひじ掛けに爪をたて、さっと右手で戸口を指さした。


「でていきなさい」


 穏やかだが、断固とした声音に、一瞬娘はびくついた。しかし、すぐに気をとり直したのか、うずくまり、ケセオデールのひざに手をのせた。そのしぐさ、その目は、ケセオデールを完全に男と見立てていた。


 発情した女のきつい体臭に、王女は顔をしかめた。娘の手を払いのけることもできず、体が覚えはじめた最初の波にうっかりと身をひたしていた。


「忘れられないのでございます……ケセオデールさま、お情けを」


 ケセオデールは歯を食いしばり、頭をもたげてくる衝動を押しとどめた。


「あのことは、気の迷いです……もう終わったことなのです。おまえの心を乱したことはあやまります……あれは……あれはあやまちだったのです。はやく忘れてしまいなさい」


 あえぎながら吐きだした言葉を、娘は一笑にふした。


「ケセオデールさま、まるで殿がたのようなことをおっしゃられるのですね? わたしはあやまちとも気の迷いとも感じませんでした。たんなるお戯れでもかまいません。たとえ、ケセオデールさまが女であられても……」

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