第16話
南の草原地帯で夏を過ごしたカリブーが、冬の到来をさとり、怒涛をとどろかせて北上しはじめた。銀灰色の狼たちがそのあとを追う。
冬至の夜がふたたび巡ってきた。その日の朝、とうとう太陽は昇らずじまい。これから半年はお目見えできまい。
薄暗い闇のなか、夏のあいだに肥え太った犬たちが、そりの引きなわにくくりつけられ、おとなしげに地にふせっている。ろうで磨きたてられた胴長い丈夫なそりに、引かせられるだけの荷がつみあげられた。
城門のすぐそとに男たちが集い、長引く離別の儀式を女たちからうけていた。毛むくじゃらの熊にもみえる男たちが女たちをくるみ、しっかと抱擁しあった。つらつらと過ぎし夏のことを語り合うものもいた。
ケセオデールは娘として王の頬に口づけし、妻として夫の唇に接吻した。二人に無事を祈る魔除けと厄除けの腰帯をわたし、アルスターのうえからそれぞれの腰にかけてやった。
まるで出発をせかすように、北の空におぼろな神の姿が映る。巨大な翼をひろげ、双神は肩を寄せあい、守護領域を巡回している。
出立の合図が男たちのあいだで声高に交わされた。ケラファーン王が腕を振りあげてどなった。
犬の喧噪とともにそりは引きずられていった。浅い雪を削りおろすような音をたてて、そりはケラファーンの森へとむかっていった。そして、森を迂回し、ビオリナの国境沿いを通り抜け、カリブーと狼と犬とを連れだち、そりで氷の世界へと旅立った。
女たちは身じろぎもせず、城のしたにたたずみ、男たちが冬にせきたてられるようにケラファーンから去っていくのを見送った。
長い習慣のちがいからか、いまさらそれについていきたいとは、ケセオデールもさすがに思わなかった。ただすこしばかり退屈になった。長い長い冬を女たちだけに囲まれて過ごすのは、多少苦痛を覚えた。
女たちとは異質で異端。しかし、人の皮をかぶった夢魔のように正体はさとられず、あるべきものがないだけ。自分を女となさしめる男がいなくなったゆえに、いまや心のうえではケセオデールは唯一の男。
はばかることなく冬の庭を焦然と歩き回った。
思い人である娘とあっても、いまなら行儀よく接していられる。
女主人として、少女として、リビドーなき男として。
にこやかに冬の庭づくりの相談をした。しかし、冬に咲く花はすくなく、もっぱら来年の春にむけて語られた。この手の話題にはことかかず、ほぼ毎日おとずれては娘を手なずけていった。
もうこのころには、あの堅くしかつめらしい口許に小さな笑みが浮かぶようになっていた。
語り合う場所も庭から四阿、回廊から広間、踊り場から廊下へと、徐々に段階を踏んでいく。
部屋に連れこんでどうするつもりなのか、まだ深くは考えていなかった。ただ娘にふれたかった。その女性らしい突起とくぼみに。
喜ばす手立ては自分以外のものに頼らねばならなかったが。それでもためらいはなく、静かに確実に秘めやかに自分の部屋へと娘を手繰り寄せていくだけ。
「ねぇ、おまえ、あたしの端切れをあげるわよ。どれがほしいか部屋まできて選んでちょうだい」
ある日、ケセオデールにそういわれても、自分はこの気まぐれな王女のお気に入りなのだという優越感が、娘を疑わせなかった。
王女の部屋にはいり、扉のまえにたつと、木箱のなかの端切れを手ですくっては落としている王女の姿を、娘はみとめた。声をかけられるまで彼女はおとなしく待っていた。部屋は寒く、暖炉の火は乏しかった。ようやくケセオデールは顔をあげ、その美しい顔に笑みを浮かべた。
「選んで」
娘はそろそろとかがみぎみに木箱に近づき、なかをのぞいた。選んでいるあいだ、ケセオデールがかたわらに座り、その髪をいじくっても気にしなかった。
「きれいな髪ね……リボンを編みこむのは大変じゃなくて?」
「いえ、王女さま。こつさえつかめばそれほどではございません」
「寒くはない?」
「それほどは」
「お酒の相手をしてちょうだい」
娘は甘い酒なら好んだ。それに指がかじかんで端切れをうまくつかめない。断る理由はなかった。
もってこられた酒は甘く強いもの。黄金色にたゆたい、果実と発酵したアルコールの芳香がただよう。娘はカップのなかの液体をちびりとなめた。
王女はくいとひと息にあおり、カップをテーブルのうえにおいた。
酔いはしないが、娘の肌は暖められ、ほんのりと赤らんだ。王女の顔色は青白く、かわらなかった。
王女につづいて彼女も酒を飲み干し、さらに顔をほてらせた。
王女はさきほどからなにもいわず、じっと娘をみつめている。娘はちらりと王女をみやった。
ほてった頬にひんやりとするものを感じた。王女は酔っているのか、なにやらすわった目つきをしている。その目には娘になにかを思い出させるものがあった。娘は考えあぐねてみたが、思いあたらなかった。
端切れを選び続ける娘のわきに、王女はたたずんだ。その呼気は離れていても、小刻みに聞こえてくる。娘がいぶかしげに見上げると、王女は値踏みするような視線を返してひざまずいた。
「酔っているの?」
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