第15話
ハルコーンに求められなくなって、ひと月はたとうとしていた。
さっさとおたがい寝てしまうようになったのは、あの日の夜から。
ケセオデールのものではない、甘くすえた女臭さがハルコーンの首筋からただよってくる。いまや別の意味でケセオデールは女の匂いに敏感になっていることを知った。
あの女だと、ケセオデールは目を伏せたままさとる。
ハルコーンは情欲の相手にあのひとを選んだのだ。
しかし、不思議と悲しみも嫉妬もなく、彼を好奇のまなざしでみやった。
あの女を想像してみる。好みにあわないとみえてなにも感じなかった。
庭係の娘のことはあれ以来さけていた。もし会ってしまったら、なにをしてしまうかわからない。飛びついて茂みにひきずりこんでも、彼女を傷つける道具すら備っていないのだから。
‡‡‡
あの浮気な女が恋人をかえた。
友人たちは従弟との一件でケセオデールのことをとり沙汰したのち、捨てられてしまったハルコーンのことをうわさの種にして、豊かな土壌に撒き散らした。
実の妹でさえも冷たく兄を評する。あのひとは平凡な結婚にむいているのよ、一日一度の交わりにあの好色女が満足するわけがない、と。
果たして、わずらわしい彼の欲求がふたたびはじまった。はじめのうちは適当にあしらったが、毎日断ってもいられまい。
優しく羽毛のような接吻をうけ、知らない間にいくらか巧みになったハルコーンの愛撫に身をまかせた。
やはり何も感じない。
内股をさぐり、あの女によって教育された指がこざかしくうごめいている。
ケセオデールは目をつぶり、まぶたに焼きつけた庭係の娘の幻影を呼び起こした。
いま自分が手を回し、いだいているのはあの娘。いままさに、ふくれあがり屹立した男性器を突きたてようとしているのは自分自身。娘の白い脚がケセオデールの腰にからまりつき、さらに深く押しつけられてくる。
単なる想像が、ハルコーン相手に豊かに脚色されていく。
ケセオデールの魂は見も知らぬ異性の肉体に宿り、見慣れた性器をそなえていた。
空想の肉体をふるい、娘の顔をもつつかみどころのない白い肉と交わった。
娘に求めていた交わりは、不思議なほど夫との交わりと酷似していた。
自分をつかむハルコーンの手と体の重みだけが、いまは自分が女であるのだと自覚させた。
もはや意識しなければ、ハルコーンのことさえ忘れてしまいそうだった。
ハルコーンとほぼ同時にうめき声をあげた。
ケセオデールの意識ははじけ、また徐々に世界を構築していった。
現実に戻ると、夫が幸せそうにのしかかり、そのまま目をつぶっていた。
いまやはっきりと意識した。奪われていたのは自分のファルス。母の胎のなかで奪われたのがはじめ。
そして、いままでずっと奪われ続けてきた。
男が男に犯されて、不自然理不尽を感じないほうがおかしい。間違って女の身に生まれたのだ。
取り戻すためにはどうしたらいい?
しかし、現実のケセオデールは女として、ハルコーンにだかれたまま眠りについた。
‡‡‡
短い夏はしりぞき、劣らず駆け足の秋が忍び寄ってきた。
夫や恋人をもつ女たちは、冬の追い狩りへと旅立つ男のために、肌着、手袋、帽子と身につけるいっさいのものを繕いはじめる。
ケセオデールも例外ではない。手なぐさみのレース編みもキルトづくりもしばしかたわらにどけ、ごわつき獣臭い毛皮に手をのばした。
昨夏は女王とともに王の衣服を繕い、今年はひとりで夫のまだあまりいたんでおらぬアルスターの毛皮に、厚いフェルトを裏打ちしていった。
たんせいこめて夫のためになにかしていても、心は日々に盗み見る情欲の恋人を思い、庭をうろついたこともしばしば。いればいるで近づけず、いなければ狂おしくさがした。
しかし、それすらおさえ、静かによい妻としてゆりいすに座り、手は休みなく冬の猛威から夫の体を守るための防具をつくりあげていった。
寒さに朝起きるのがつらくなり、暖炉に火がくべられ、吐く息が白くなり、空に冷たい花がちらつきはじめたとき、ケセオデールは解放のときがきたとさとった。
犬ぞりを引き、北へと渡りゆくカリブーを追って、男たちが長い旅にでかける季節がまた巡ってきた。
ハルコーンはいままでよりも熱くケセオデールをだき寄せ、これからの長い不在をこの数日間にたてかえるつもりでいるのか。冬至の朝がくるまでは、この胸のなかにしっかとつつみこみ、だれにも渡さないとばかりに慈しんでくれた。従弟とあの女のことなど汚物壷に放りこまれた。
ケセオデールはハルコーンの愛につつまれているときだけ、彼のためのケセオデールという女になった。
ハルコーンは体のしたの、結婚まえとすこしもかわらず少女めいた妻をみつめた。
「離れがたいな……」
「なにが?」
「なにがって……おまえはいつまでたってもねんねなんだね?」
ハルコーンは妻に優しげな笑みをかえした。
「もう、ねんねじゃないわ」
「半年もおまえの顔がみれないなんて、おまえのやせっぽちな体をいだけないなんて、その無粋な文句がきけないなんて、ぼくはさびしいよ」
「あたしはそんなに無粋なの?」
「無粋も無粋さ。おまえの耳には恋の歌もカリブーの鳴き声とおなじにきこえてるらしい」
「そんなことはないわよ……」
彼は、ケセオデールの乳房を幼子のようにいじくった。
横むきにだきあい脚をかさねあわせたまま、ケセオデールは夫をみつめた。
ある友人がいったことがあった。ケセオデールはマイオーン神ににている、と。あの胸なき女性器をもつ、凛とした少年の顔の有翼神。しかし、それは気まぐれなからかいに過ぎず、次には友人の貪欲な鼻はべつのえさを漁っていた。
ファルスをもぎとられた男は女なのか、それとも女の形をした男なのか。単なる畸型した女なのか。
このままだと、決してこたえは得られない。
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