第15話
いままで一度もはいったことのない、魔法使いがくつろぐ個室。のぞいたことすらなかった。
石殿の底辺に位置し、どこかに滝壷でもあるのか、水のしぶく音が聞こえる。ちょうどこの真上はモロ神の間なのではないのか?
磨きたてられた鏡のような壁が林立し、恐ろしくひろく感じられた。明るく、ところどころにランプが吊りさげられている。滝音が激しくて、どこに魔法使いがいるのか見当もつかなかった。
オムホロスは腰までぬるま湯につかり、壁の反対側をのぞいてまわった。
鏡のひとつに魔法使いのうしろ姿が映っている。真像がどこにたっているのか、オムホロスは腰をかがめて注意深くさぐった。偽像が壁に乱反射して、みつけるのはたやすくなかった。
湯気にくもった真像の魔法使いの黒髪はぬれそぼり、後ろへかきあげられていた。あらためてよくみると、マスターの皮肉にゆがめられた顔つきは意外にもととのっていた。
オムホロスにさえみせたことのなかった肌がさらされていた。
案の定、茶褐色なのは目にみえる部分だけで、ほかは青白くなまめかしかった。
そして、疑いもなく、ふたつの乳房が魔法使いの胸にあるのをみた。
オムホロスは我が目を疑った。視線をさげ、魔法使いの股間に目をやった。マスターもまたホムンクルスだったのだ。
鏡をのぞきこみ自分自身をみつめる、魔法使いの琥珀の瞳がじろりと動いた。オムホロスをとり囲むあらゆる偽像がオムホロスをにらみつけていた。
「なにをしてる?」
オムホロスはすくみあがり、黙っていた。偽像が四方へ散らばり、真像の魔法使いがゆっくりとオムホロスに近づいてきた。
「マスターがホムンクルスだとは思いもよらなかったのか?」
「オムホロスは孤独だと……」
「そうだ、おまえは孤独だ。それはかわらぬ」
「でも……」
魔法使いは爪のとがった人さし指を、オムホロスの蒸気で服から透けてみえる乳首に押しつけた。
「噛み切られて心地よかったか? え? その口もだ、血はうまいか?」
魔法使いはオムホロスの下唇をつかみ、力まかせに引っ張った。オムホロスはよろけて湯のなかへつまずいた。
「だが最終的に口にする血も肉もおまえ自身のものではないし、ましてやゴドウのでもないんだ」
「ではだれの?」
「おたがいのさ」
魔法使いの顔が凄絶にゆがんだ。笑っているようにもみえた。
「先生と殺しあうとおっしゃられるのですか?」
「そうさ」
「なぜです?」
「ホムンクルスだからだ」
「ではあの本を隠してしまわれたのは先生なのですね?」
「まえに忠告したはずだ。おまえはわざわざ脇道にそれて、かんじんなところで失敗している」
オムホロスの唇に血がにじんでいた。
魔法使いはオムホロスのあごをとらえ、いきなり接吻した。舌先をオムホロスの唇に突きいれ、まさぐってきた。
その舌がオムホロスの舌とからみあうまえに、魔法使いはオムホロスを景気よく突き飛ばした。
後頭部を壁に打ちつけられ、オムホロスはめまいを起こしながらそれでもたちあがった。
「おまえはまだうつけものだ。なにも知らぬとでも思っていたのか?」
「いいえ、先生はオムホロスがいつかあのふたりに気付くと、罠を張っておられました」
「ああ、おまえにすこしでも役にたつ脳みそがあってよかったよ。そうでなけりゃ、張りあいがない」
「本来ならば、あの生体は殺しておかねばならなかったのでしょう?」
「そのとおりだよ、だがな、おなじ修羅場をくぐり抜けて、ここにこうしているものもいるんだ。おまえばかり甘やかせてはいられぬ」
「なぜオムホロスをつくったのですか? なぜわざわざ殺しあいなど?」
オムホロスの声がいんいんと室にひびいた。
「声を張りあげんでもちゃんと聞こえてる。なぜ、なぜ、なぜ! 聞かなけりゃおまえの脳みそは理解できぬのか? なんのためにあの部屋で保身を築く期間を与えていたと思ってるのか? ホムンクルスがもともとどういうものだったか、おまえはあれだけ親切な散らかりようを整理していても、気付くどころか理解さえもできなかったとでもいうのか!?」
うんざりしたとでもいいたそうに、魔法使いは投げやりに両腕をひろげた。
「先生をつくられたかたもホムンクルスだったのですか?」
「あたりまえだ」
「先生はオムホロスのほかに、いったい何人のホムンクルスを?」
「たぶん、おまえが最初で最後だ」
オムホロスは注意深くたずねた。
「先生の血と肉を絶対食べねばならないのですか?」
魔法使いはニヒルな笑みを浮かべ、「オムホロス、おまえはとうの昔にホムンクルスのリビドーを知ってしまったはずだ。この老いぼれがおまえの血をみてかきたてられるように、おまえもこのマスターの血肉に飢えはじめるんだ」
「食べたらどうなるんです」
魔法使いははじけるように笑い転げた。
「それはおまえが勝ってからいえ」
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