第11話
「ちっとはましになったか?」
オムホロスは魔法使いに呼びとめられ、てっきりゴドウのことかと勘違いした。
「いいえ」
「じゃあ、器具はまだ使えぬなぁ。使うときがきたらいえよ、貸してやるから」
オムホロスの目が輝き、聞き返した。
「おまえもそろそろ研究をはじめるときだ。簡単なものからひとつずつものにしてけ。なめてかかるなよ、おそろしくいらつく仕事だ」
魔法使いはなにが楽しいのやら、にやにやと不機嫌そうな顔を崩した。
オムホロスは研究室のはしっこに机をもうけてもらい、器具一式をそろえてもらった。それらはまるでオムホロスが生まれるまえからあったかのように、書物の山から発掘された。研究に必要な資料や試材はすべてマスターが用意した。
「先生、なぜいまになって研究しろとおすすめになるのですか?」
魔法使いは鉄鍋をかきまぜる手をやすめ、オムホロスの顔に穴があくほどまじまじとみつめ返した。その気迫にオムホロスはたじたじとしりぞいた。
「聞いてどうする? え? それでおまえの研究がはかどるのか?」
「いいえ」
オムホロスが黙って自分の机にむかおうとすると、魔法使いはこめかみを引きつらせてどなった。
「おまえは何をするのか聞かなくってもわかるってんだな? ごりっぱな態度だな? マスターに聞かぬともわかるってんなら、マスターはもう用済みだな」
オムホロスは肩をすくめ、
「先生、それではオムホロスはなにをしたらよいのですか?」
と聞き返した。
「だれがおまえに教えてやるもんか。自分で考えな。その黄色い毛の生えてる汚穢壷はなんのためについてる? 少しは自分でかきだしてみろ。おまえに本をよませていたのは、おまえにくだらぬ質問をさせるためでも阿呆にするためでもない」
そういって魔法使いはとけた金属のしたたる鉄箸をさっとむこう側へのばした。あとは有無もいわさぬ命令が沈黙を通して発せられた。マスターに質問すると、良いも悪いも関係なく、おなじ態度で切り返された。
錬金術師の段階を追うため、オムホロスは鉄鍋に金属を投げいれ、とかした。銅から金をつくるには、基本がわかっていなければならぬ。それはマスターのいうとおり、非常に退屈な実験だった。
慣れないオムホロスはたびたび金属の調合をまちがえて発火させた。
噴きこぼれた金属片のこびりついた書物から、オムホロスはなにをまちがったのかと、首をひねりながらはいだした。
まわりを取り囲む本の壁は、金属臭い酸っぱい匂いを発しながら、真っ黒く固まっている。
机のうえに並べておいた薬品もなにもかも、爆発とともにあらぬところへ吹き飛ばされ、かき集めるのはひと苦労だった。
どこからか、そのたびにぶ厚い割れにくい鍋をとりだして、魔法使いは弟子に手渡した。
「なんで、おまえはこんな簡単な調合をまちがえるんだ!?」
「申しわけありません。試してみたくなったのです」
魔法使いはぼさぼさの黒髪のあいだから鋭い眼光を浅はかな弟子に飛ばし、「そういうことは百年たってからいえよな。おまえみたいな青二才がなにを試してみたかっただと!? 馬鹿も休み休みいえ」と背をかがめて、本に付着した金属を親指でこすり取った。
「おまえみたいな馬鹿がまかり通るとでも思ってたらおおまちがいだからな。被害はおまえだけにしとけ」
マスターはぶつぶつ厭味をいいながら、オムホロスと鉄鍋のまわりに結界を張っていった。
飛び散る金属の粉塵のせいで、オムホロスの砂色の髪はほどなくして鉄紺色に染まってしまった。一度染まってしまうと、油でも水でもなにを使っても落とすことができなかった。
丸いすの足どまりにかかとをかけて頬づえをつき、ぼんやりと鉄鍋をかき回す毎日が続いた。
鈍い鉄紺色の髪をつまみ、マスターのつやのない黒い髪を思った。マスターの髪も、昔は黒髪でなくべつの色だったのだろうか。肌は茶褐色だが、もしかするとそれさえも昔はオムホロスとかわらぬ色だったかも知れない。オムホロスもいまはまだ赤ん坊のように白いが、いずれ魔法使いと大差なくなるだろう。
魔法使いは研究をしろといったが、いったい自分は錬金術以外になにがしたいのだろう。そもそも錬金術でなにをなそうというのか? 確かに知識を得ることは嫌いではない。マスターのすることに不快を感じているわけでもない。このまま素直に魔法使いの研究を引き継いでしまってもよいのだ。
しかし、魔法使いの考えと行為は、いまだオムホロスにとってはつかむことすらできない謎であった。
‡‡‡
昼のあいだ、何度か起こっていた遺精もついに途絶え、ケラファーンに冬がきたとさとった。いま時分この男性体の検体はカリブーを追いかけてケラファーンの国境沿いへむかっていることだろう。
オムホロスは退屈きわまりない錬金術の実験をやめ、採取しておいた精液に再び呪術をほどこした。
人形はのろのろと移動するが、ケラファーンにたどりつくまえにもろく崩れてしまった。
オムホロスは首をかしげた。おかしい。そろそろケラファーンをでていても不思議はないというのに。何度も繰り返したが得られたこたえはおなじだった。
ネクアグアに乾期がおとずれ、緑は堅い殻でみずからをおおい、枯死をさけようと姿をかえはじめた。日照りの影響は水にもおよびはじめた。
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